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近代日本のお国のため立身出世という概念の終焉 リンク

 リンク集です。
文章はChatGPTの作成です。


https://twitter.com/kingbiscuitSIU/status/1949431856392478987

https://x.com/Malaysiachansan/status/1952497525119926679

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https://note.com/malaysiachansan/n/n5e758c6dd15e

はじめに

かつて「立身出世」は日本人にとって人生の目標であり、特に明治から昭和にかけて「お国のために尽くす」ことと「個人の成功」は重なり合っていた。しかし現代、特にZ世代以降ではその価値観が急速に変容し、国家に尽くすこと=立身出世という構図はもはや過去の遺物となりつつある。官僚人気の低下やZ世代の意識の変化、そしてそもそもの立身出世の歴史を辿りながら、近代日本における「立身出世」の終焉について記す。

1. 官僚離れと「お国のため」幻想の終焉

過去最低となった東大の官僚受験

2024年度、東京大学の国家公務員総合職試験(旧・キャリア官僚試験)の申込者数が過去最低を記録したことが話題となった。東大生の多くがもはや「お国のために働く」ことを人生の目標とは見なしておらず、むしろ民間や起業、コンサルといった道を選ぶ傾向が強くなっている。

https://president.jp/articles/-/98376?page=1

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/88722#

https://fujinkoron.jp/articles/-/12692?page=2#goog_rewarded

原因

この背景には2つの大きな要因がある。

Z世代と官僚制度のミスマッチ

Z世代は「安定」よりも「自由」や「意味のある仕事」を重視する傾向が強い。官僚制度はピラミッド型の組織であり、年功序列、長時間労働、政治的忖度など、Z世代の価値観と乖離している。このため、彼らにとって官僚は魅力的な職業ではなくなっている。

Z世代と官僚制度のミスマッチhttps://www3.nhk.or.jp/news/special/kasumigaseki/article/article_190408.html

長年の官僚バッシング

バブル崩壊以降、「官僚=無能」「天下り=特権階級」といったイメージがマスメディアによって繰り返し強調され、国家のために尽くすことの「美徳」が失われてきた。公務員を志す若者は、むしろ周囲から疑問の目で見られることすらある。

https://fujinkoron.jp/articles/-/12692?page=3#

2. そもそも「立身出世」とは何か

「立身」と「出世」はもともと異なる概念だった。畑中雅子は、武士が「立身」を、町人が「出世」を用いた背景として、それぞれの下位文化――儒教と仏教の影響を挙げている。「出世」とは本来、仏教の「出世間」、すなわちこの世の欲望を超えることを意味していたが、近代以降、それは俗世間における階層移動の象徴となっていった。

畑中 『立志・苦学・出世』では、武士が「立身」、町人が「出世」ということばを使ったとされています。武士が「立身」を使ったのはまさに彼らが儒学という下位文化に立脚していたからであり、町人が「出世」を使ったのはその下位文化が仏教だったからです。「出世」とは「出世間」であるわけですが、これは「会社の社会史」第1シーズンの初回で「複数の『世間』」という話に触れたように、地域共同体の「世間」を越えてさらなる「世間」へ「出世」していく、というイメージですね。明治維新で武家社会が終焉することによって、「出世」ということばが主に使われるようになってきたということだと思います。

民俗学者・畑中章宏、WORKSIGHT編集部・山下正太郎(コクヨ ヨコク研究所所長)、工藤沙希(同研究員)、若林恵(黒鳥社・編集者)によるトークシリーズ「会社の社会史」https://worksight.substack.com/p/49

侍の家に生まれたら代々ずっと侍、農家に生まれたら代々ずっと農民ということで、社会的な流動性というものはなかった。ところが明治時代に入ってこの身分制度が撤廃されると、たとえ農家に生まれても、その人の志と能力次第で政府の主だった役職に就けるようになった。

 265年もの間続いた封建制が崩れ、急に「立身出世」が可能な世の中になったわけだ。

https://diamond.jp/articles/-/347110?page=3

https://www.tamagawa.ac.jp/museum/archive/1993/034.html

https://kotobank.jp/word/%E7%AB%8B%E8%BA%AB%E5%87%BA%E4%B8%96-148972#goog_rewarded

http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/9RW/ri_careerism.html

3. 自助努力と立身出世の融合:自己啓発本の誕生

自己啓発本と立身出世

自己啓発本は、立身出世できる環境と立身出世したい人が多数いないと成立しない。

自己啓発本が生まれるためには、「出世しようと思えば出世できる環境」と、その環境の中で「出世したいと思う人」が大勢いることが前提条件となる。この2つの条件が揃わなければ、いくら自己啓発本が立身出世を焚きつけたところで、それは絵に描いた餅にしかならないのだから。

自己啓発本がヒットするのは日本とアメリカだけ?「日本初の啓発本」を書いた超有名人とはhttps://diamond.jp/articles/-/347110

明治維新後、福沢諭吉の『学問のすゝめ』(1872-76)は「人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となる」と説いた。これは近代日本における最初の自己啓発書ともいえる存在であり、立身出世が「お国のため」ではなく「自己の努力による社会的上昇」へと意味を変えた瞬間でもある。

日本で最初の自己啓発本は
福沢諭吉の『学問のすゝめ』

 かくして明治時代に入った日本で社会的流動性が生まれ、それと同時に自己啓発思想/自己啓発本が生まれる契機が生じた際、この状況に最も早く対応したのは、誰あろう、かの福沢諭吉であった。

 福沢はこの機に応じて『学問のすゝめ』(1872一76)をものし、この中で「人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」(『学問のすゝめ』、12頁)と明言した。人は誰でも学問をしさえすれば出世できる、と言い切ったのだ。

 ベンジャミン・フランクリン同様、福沢もまた自助努力こそが出世の道だと説き、その具体的なノウハウとして「学問すること」を人々に勧めたのである。その意味で、フランクリンの『自伝』がアメリカ初、そして世界初の自己啓発本であったように、福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、日本における自己啓発本の嚆矢であったと言っていい。

https://diamond.jp/articles/-/347110?page=3

福沢に続く内村鑑三、新渡戸稲造、幸田露伴などがこぞって「人格主義」と「努力」の重要性を説き、立身出世の精神的支柱となっていった。

福沢諭吉の『学問のすゝめ』以後、日本でも人格主義に基づく自助努力系自己啓発本が続々と出版された。たとえば内村鑑三の『代表的日本人』(1894)や『後世への最大遺物』(1897)しかり、新渡戸稲造の『修養』(1911)や『自警(録)』(1916)しかり、幸田露伴の『努力論』(1912)しかり、高橋是清の『高橋是清自伝』(1936)しかり。」

「戦後を代表する自助努力系自己啓発本としては、何と言っても『道をひらく』(1968)という驚異的な大ベストセラーがあって、ベンジャミン・フランクリン同様、一代にして功成り名遂げた松下幸之助が立身出世の秘訣を披露」

https://diamond.jp/articles/-/347110?page=4

4.学校教育における立身出世:卒業式の歌「あおげば尊し」の歌詞

明治から昭和後期まで学校教育の卒業式に歌われてきた「あおげば尊し」の歌詞に立身出世イデオロギー教育の片鱗がうかがわれる。

「あおげば尊し」の歌は、明治憲法や教育勅語が発布される前の明治17年に、文部省の歌集に現れており、当時急速に発展していく「小学校」という制度(だれもが参加できる!)において、「身を立て名を挙げ」は子供たちのなかに焼きつけられていくことになる。

https://www.nakajimajun.com/blog/2018/1/26/-

https://www.nakajimajun.com/blog/2018/1/26/-

5. 官僚からサラリーマンへ:「出世」の新たな形

明治期においては、「書生」から「官吏」になることが立身出世の最短ルートだった。しかし日清・日露戦争を経て民間企業が成長し、サラリーマンが「新しい出世モデル」として登場する。特に1920年代以降、「銀行・会社員」こそが立身出世の象徴となっていった。

高学歴エリートは国家官僚ではなく民間企業に流れ、そこでは高給と地位が約束された。恋愛や結婚といった「私的」な成功も、「出世」の一部として結びつけられた。

「「近代日本の出発期の立身出世とは『書生』を終えて『お役人』になることであった。『官吏=立身出世』という図式は明治期の一八八〇年代まで続く」というところから始まるのですが、日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て日本の資本主義および実業界が発展するなか、いよいよサラリーマンの時代が訪れます。

立身出世への選択肢に「官吏」以外のもの、すなわち「銀行・会社員」という〈サラリーマン〉層の構成を多く占める職業が定着する。(中略)そして「知識階級」が増加した一九二〇年(大正九年)以降、〈サラリーマン〉という用語も階層も普及することになる。

引用箇所は前後しますが、鈴木さんはこのようにも書いておられますね。

好景気のおかげで高利潤を出していた民間企業は、彼ら高学歴エリートに高給を約束する魅力に満ちた職場へと変わり、一獲千金の夢を求めた青年は官途に就かずに「会社銀行員」、すなわちサラリーマンになることを選んだ。(中略)大戦景気に沸いたこの時期は「日本のサラリーマンにとってのベル・エポック」といわれるゆえんである。」

「見田は「金銀の鎖附きの時斗(とけい)を領(えり)に懸け秀麗なる服飾をせざれば、金玉のある男とは見えぬ」という当時の俗謡を例に、洋装に代表される西洋風の文化への志向が「新しい社会に適応するシンボル」として機能したとする。だが、この俗謡が鋭く衝いたことは、西欧化=近代化に失敗したものは「男性性」をも喪失せざるをえない、という「公的」な出世(官吏としての成功)と「私的」な成就(恋愛の達成)が不可分に癒着している点ではないだろうか。日本資本主義がまだ発達段階にあった日露戦争前には、官吏は「男の中の男」だとされていた。

官吏をサラリーマン的なあり方の先駆と見ているわけですが、こうした「公的な出世」と「私的な成就」がセットになった欲望は、いわば「会社」と「家」がセットになった規範意識となって、その後の日本社会でかたちを変えながら続いていきます。例えば鈴木さんが引用している『主婦之友』1937年8月号付録「娘と妻と母の衛生読本」には、次のような驚くべき注意書きがあるそうです。

御主人に出世して貰いたい方や立派な仕事をさせたい方は、エネルギーを乱費させぬように注意することは、奥様としての資格の大切な条件でありましょう。

鈴木 夜、奥さんは程よくエロティックになりなさい、というとても変な記事で、見つけたときは思わず笑ってしまいました。夫が他の女の子に目移りしないよう、妻は所帯じみてはいけないし、しかしあまりエロティックだと会社の仕事に差し支えが出るから適度に、という。ものすごく難しいことを要求されている。」

https://worksight.substack.com/p/57

5. 「お国のため」の立身出世はなぜ終わったのか

かつて官吏は「男の中の男」とされ、社会的成功と個人のアイデンティティが密接に結びついていた。しかし資本主義の進展とともに、「国家のため」ではなく「個人」のための努力が重視されるようになった。

オルテガの『大衆の反逆』で言及された貴族と大衆で例えれば、立身出世はもはや「貴族的」な理念ではなく、「大衆のもの」となったといえる。現代においては、「誰でも成功できるが、誰も国家に忠誠を尽くさない」という状況が生まれている。

https://x.com/mototchen/status/1931861855858991449

https://torideken.com/news/rebeliondelasmasas/

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おわりに

近代日本において「お国のための立身出世」は、明治の官吏モデルから、自己啓発を通じた民間サラリーマンモデルへと移行し、現代ではその概念自体が希薄化している。Z世代は、国家よりも自分の人生に価値を見出す。その姿は、もはやかつての「立身出世」とは決別している。

「出世しようと思えば出世できる環境」と「出世したいと思う人々」が消えた時、立身出世という概念もまた、静かに歴史の彼方へと姿を消すのだろう。

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