ぼーっと立ち止まり気付いた、noteにいる人の温かさが支えになっていた
家族二人分をシングル用の洗濯機でまわしながら
『充電時間あと10時間』とかボケた表示をするスマホ充電をしながら
賞味期限が切れた乾そばを『食べる気満々』鍋でぐらぐら茹でながら
ぼーっと考えていた。
次女がA型事業所でうまくいかないこと、
一週間の就労を終えて思うことを
明後日サービス管理責任者と面談するそう。
思うことや言いたいことが言葉にしずらく話すまで時間がかかる次女なので
口頭ではなく、紙に書いて渡すんだと。
昨夜の風呂前にそれを書き始めていた。
「無理をしないでいい」と言う私に
「甘やかさんといて」と返す。
”お金がいるから”
”我慢しないと” と
心の声を無視しようとしている。
毎日泣いているのに?
表情も〇んでるのに?
なんでなん。
そんな頭の思考に従って心や体を無視していると
新たな弊害が心や体に出るかもしれないのに。
しっかり時間かけて10カ所の事業所巡って、見学と体験2回もして
じっくり考慮して決めたところなのに。
それでもこうなる。
神様は私や次女に「まだまだ試行錯誤しなさい」と言っているのか。
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私はnoteでありのままの日々をさらけだしている。
昨日もつらい心情をぶちまけた。
ブログとちがってnoteはなんだかそのまま書いて載せても受け入れてくれる気がするから。
そこが以前やってたブログと違うなと感じる。(あくまでも偏見です)
ちゃんとしてなくてもいいっていうか
”しんどいときはしんどい”
”つらいときはつらい”
”明るくない自分をだしてもいい”
そう感じる。
10か月前、還暦前に恐々始めたSNS。
このnoteという表現の場所を知った。
『自分のあちこち頭うちまくって生きてきた57年間は
とっておきの贈り物だったんだ! 』と発想の転換ができた。
その証として、自分のみならず長女、次女、父母、旧友の
いろんな人のそのままを書き綴ってきた。
最初は0だった読んでくれる人。
時間の経過とともに少しずつ増えてきた。
元同僚の友以外は直接会ったことも話したこともない人ばかり。
その人たちが読んでくれて反応をしてくれることで温かさを受け取れた。
”一人ではない”
”孤独ではない”
顔も見たこと無い人が私の記事を読んでくれて
心情をちょこっとでもわかってくれて反応をくれるだけで
こんなに安心するんだと気付いた。
それが最近、負の内容を続けて載せて思ったこと。
私はなにも成功していないのでそのための方法は書けない。
私にあるのは経験だけ。
経験したから気持ちがわかるし、経験したから良い方へむかうような
模索の仕方を伝えることはできる。
私の立ち位置は頭うちつけまくった経験、だけがある人。
”発達障害”のこと
”認知症”のこと
”奥の深い文章”のこと
”人生のやりなおし”のこと
気付きや共感をくれる人がいて
専門家の方の知識を共有させてもらい
ときには相談させてもらったり
そういったつながりがじわーっと増えていく。
普段は気づかないけど
今日、鍋で沸き立つあぶくを見ながらそう感じた。
そういう人たちと縁をもらい、私がつながりたい輪っかの中に入れてもらえているのが幸せ。
”私は少しずつ進んでいるんだ” と安心する。
