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妄想のお話書いてみた。泣けない自分は冷たいの?


私の名前は幡埜ぬい(わたのぬい)


私は幼少期から泣かない子だった。
あるいは泣けない子だったかもしれない。


今でも覚えているのは
小学校同級女子の父親が亡くなって
そのお葬式にクラス女子で参列したときのこと。

しんみりした雰囲気と涙する同級生と親族の姿。
参列した女子たちはその姿を目にして
さざ波のように一人またひとりと泣き出した。

号泣じゃなくしっとりと静かに。
しくしく。
めそめそ。

涙の列が自分まで回ってきた。


私は焦った。
泣こう、ここは泣くところだ、泣かなければ、、

そうしないとあの同級生に申し訳ない。

でもそう思えば思うほど涙は出る気配をみせない。

お父さんを亡くして憔悴している同級生の気持ちを想像してみる。

悲しい
哀しい
つらい
会いたい

きっと私の父や母が、と思ったら
とてもつらい。

そう思って自分の気持ちを支配しようとした。
必死に。


でも涙はぽろっともぽとっとも
出てはくれなかった。

私は一人泣かなかった。
泣けなかった。


葬儀の場であっても女子の連帯感は存在する。

あとで言われた。
「ぬいはあの時泣いてなかったよね」
「みんな悲しくて泣いてたのに」
「ぬいって冷たいよ」
「ひとりだけ泣かないなんてどうかしてる」


それでしばらくの間、みんなから
ぬいは冷酷、と思われ友だちから外された。


私は内心しょうがないじゃん と思った。

あそこで無理に泣いてる風を装って
出てない涙をハンケチで拭う仕草もできたけど
そこまで自分を偽りたくなかった。

それより判で押したようにみなが涙を流すのを
奇異な目で見つめていた。


出ないものは出ない。

だからと言って内心平気だったわけじゃない。
心は悲しかったのに。

それを見た目だけで、中の気持ちまで断定されてしまった。

何十年経ってもあの時のチクっとした痛みは残っている。



それ以降、より私は泣かない。
というか泣くのが苦手になった。


泣いたら
疲れる。
ぐったりする。
泣いた自分の醜く腫れた目を見ると
おぞましくて嫌になる。

デトックスどころか心の中に澱のようなべったりしたのものが
堆積していく。

私はほんとうに冷たい人間なのかもしれない。


そう思っていたとき
大好きな祖母が死んだ。
90過ぎていたしある程度は覚悟していた。

葬儀が始まってもどこか自分の心は置いてけぼりで
現実感が乏しかった。


そんな私が最後のお別れに
棺の中の祖母の顔を覗きこんだ。

そこにはたくさんの花に囲まれて
柔和であたたかな表情をした祖母がいた。

いつも優しくて
とくに娘の母が面白いことを言ったら
鈴が鳴るような声で笑い、
笑い涙を拭いていた祖母。

大好きだった。

またあの笑い声が聞きたい。。。

そう思った刹那

ダムの決壊ごとく
涙が心の中からせりあがってきた。

目からどんどん溢れて止まらない。
ハンケチで抑えないと眠ってる祖母を濡らしてしまう。

覗きこみたい気持ちと
濡らしてはならぬ気持ちが交差して
私は祖母を覗いては泣き、
離れては泣いた。

そんな私の姿を見て棺の周りにいた母や親族は一層涙を流した。。



ほんとうに悲しい時は勝手に涙が出てくる。
押さえようとしても出てくるのが涙。

泣こうとして泣けるもんでもない。

泣かないでおこうとして泣かずにすむもんでもないのだ。



私は冷たい人間なんかじゃない。


ぬいはそう言い聞かせて安心したかのような息をついた。









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