「なんで産んだん」
「オババ なんで産んだんや」
「うん? 欲しかったからやよ」
28歳のわたしよ。
その年で産んだ長女が
ちょうど28歳になったときに
そう問われるよ。
本心で答えても
「うそやん きもいねんけど」
って一笑に付されるよ。
ほんとうなのにね。
長女は強い子だ。
なかなか妊娠しなくて夫とともに検査した。
何の問題もないのに、二年近くその兆候はなかった。
「仕方ない。気晴らしに旅行でも行こう」
夫の提案で関東方面へ旅に出かけた。
夫が自転車のフレームビルダー修業していたとき
拠点となっていたところへ。
思い出の地を巡って、夫の古くからの友人に会い、
伊豆大島で初めて目にしたくさやの臭いに悶絶したな。
自然豊かな美しい海にも入ったっけ。
地元の名物料理を注文。
わくわくして待っていざ食べようとしたら
まさかの胸焼けが起こった。
なんと一口も食べれない。
『なんで?? 』
普段すこぶる絶好調の胃をもつわたしは
ここぞの名物料理を前に箸が進まない状況に
あ然とした。
普段と違う状態に違和感を覚えた。
『おかしい、、まさかね、、』
おまけに海水浴をしたら時期が早かったのか
冷たい海水に体温奪われ
旅の最後にはしっかり風邪を引いてしまった。
月のものが遅れてるのもあって半信半疑で産科に行ったら
まさかの
「おめでたですよ」
がやってきた。
『ええー このタイミングでくるかー』
生まれる前からお腹の子の
一筋縄ではいかない側面を感じた。
そうして長女は突然、わたしのお腹にやってきた。
子どもは親を選んで生まれてくるのだ、と聞く。
それなら長女は間違いなく大勢の女の人の中から
この “わたし” を選んでお腹に宿った、ということになる。
そのことを大きくなった本人に言ったら
「んなぁことはぜってぇーねぇー!! 」
と相変わらずのべらんめぇ口調で全力で否定されるよ。
そうして十月十日
わたしの腹の中ですくすく育つ。
もうじゅうぶん育ったのにまだお腹にいたな。
予定日を迎えても出てこない。
予定日を大きく過ぎても一向に出てくる気配すら無い。
陣痛を誘発しようとわたしは田舎道を縦横無尽に歩きまくる。
それでも陣痛の『じ』もこなかったね。
初産となるわたしは観念して入院する。
そして陣痛促進剤を丸二日間、点滴し続けたね。
そんなストレス下でも胎内の赤子はすこぶる順調。
『 とくん、 とくん、 とくん 』
強い心拍を規則正しくリズムよく打ち続けたな。
お腹の子は元気だが親になるわたしはと言うと
もうへろへろ。
三日目の朝はもう産む体力は残ってなかった。
分娩台の上でいきむ力もない “しおしおのぱあ” のわたしは
お腹を押す先生と吸引する先生の力添えのもと
やっとのことで出産をした。
そうして長女はこの世に引っ張り出された。
予定日から2週間と2日過ぎた誕生だった。
ストレスに耐え抜いた赤子は
少し黄疸はでたものの体重も3キロ超えで痩せてもいない。
何の異常もなく5日後に退院した。
その後もすくすく成長、
半年後に離乳食の時期になったとき
食べ過ぎる赤子に驚いた。
使用する容器は小さい赤ちゃん用ではない立派な大人用。
それを「もうおしまい」と取り上げないとならぬくらい食欲旺盛。
とにかく食べる。
好き嫌いはほぼなし。
市販のベビーフードなどでは到底足りない。
というか世の離乳食期の赤ん坊は
あんなミニチュアのような量で足りているのか? と思うほど
初めて買ったら内容量の少なさに驚いたな。
自作のメニューでは
とくにかぼちゃの裏ごしとヨーグルトが大のお気に入り。
どう見てもデカすぎるサイズにたっぷり入ったそれを
小さな口の周りを真っ黄色、
ときにはまっ白にして
食べ切るよ。
「もっとくれくれー」アピールされるが
周りがびっくりするぐらいもう食べてるので
ストップしたよ。
食べ無さ過ぎの心配はわかるが
食べ過ぎの心配もあるんだって知るよ。
おまけにそんなに食べるのになぜか便秘症。
食欲旺盛なのに出が悪い長女に
わたしは散々苦労する。
1歳を過ぎると
だんだん長女らしさがでてくるよ。
田舎暮らしで周りは年寄りばかり。
教えてもないのに
ある日いきなり
腰をかがめ
足を開き
右手になにかを持ってる風(たぶん杖)で
えっちらおっちら歩きだす
その様子を見たときは驚いたね。
そのときから周りを見る観察眼があったんだな。
とてもおもしろいので、その様を『おばあさん』と命名し
しょっちゅう「おばあさん やって! 」と
長女にリクエスト。
するとニコニコして何回も “おばあさん” をやってくれる。
ほんとうに愛おしかったな。
わたしの独身時代に貯めたお金で
1か月カナダ横断旅へ行ったときも
肌身離さなかったミニーマウスのぬいぐるみのおかげで
みんなの人気者になったね。
大陸横断鉄道に乗車したシニアの外人夫婦は
長女の持つミニーちゃんを目ざとく見つけ
「OH! Minnie mouse!! 」と声が掛かり
そこに2歳の長女はかわいらしさも相まって
「So cute! 」と連呼され
いろんな外人さんに抱っこされてご満悦だったな。
そんな愛くるしいさと芸達者な長女。
明るい表情が成長とともに
次第に曇っていくとは露ほども想像しなかったな。
生命力強く生まれた長女は
持って生まれた発達の特性から
二十歳前後からいろいろな不都合が表面化してくるよ。
車の音や
大勢の人がいる雑踏の音
甲高い音や大きな音に
神経が高ぶり精神が乱れる。
学びたくて入った絵の専門学校で
みんなと一緒にデッサンをする授業が嫌で
行けなくなるよ。
と同時に始めた飲食店のアルバイトの
要領をつかめず怒られまくって
精神が疲弊して1か月持たずに続かなくなるよ。
ほかにもたくさんの生きづらいことに
ぶちあたり始める。
なにをしてもうまくいかないいら立ちをわたしにぶつけ
「何とかしてよ」と言ってくる。
母子ともに暗いトンネルへ入り込み
行き場のない感情のやり場に困り果て
もがきまくるよ、、、、
そんなことが続くから
冒頭の問いかけがあったのかもな。
生まれたときの難産の話をすると
さもありなんとでも言いたそうにこうつぶやくよ。
「お腹から出たくなくてしがみついてたのになんで引っ張り出したんよう」
それでもわたしは言う。
「やっぱり会いたかったんよ」
「こんなにしんどいのなら産まれたくなかった」
長女からそう言われて
わたしは返す言葉がなかったよ。
その間およそ10年間、
長女はつらすぎて時に生きることに消極的になったり
逃げ場のないつらさを自分に向けたこともあるよ。
それでも生きることを諦めず今年30歳になったよ。
今はお互いにとってほどよい距離をとって
暮らしているよ。
長女は産まれたことを今はどう思っているのだろう。
離れているので本人の気持ちを聞くすべはないけど
ちょっとでも
『産まれてみたらまんざらでもなかったな』
と思ってたらいいな。
30年前
お腹にきてくれた長女に会いたくて
なんとかこの世に誕生させたわたしよ。
わたしがおばさんになるまで
たくさん失敗して
たくさん反省して
たくさん後悔するよ。、
でもそれぜんぶが後で気付きに変わるよ。
今こうやって
長女がお腹に来てくれた最初から
出産、成長の流れ、
そしてそのあとの出来事を辿ってみたよ。
そうしてやっぱり思った。
長女は生命力の強い子だ。
苦難のトンネルをいくつも抜けて
諦めながらも息切れしながらも大泣きしながらも
明るいところへ少しずつ出てこれた。
もちろん今も生きづらさの苦労はあるだろう。
けれどそれらを抱えながら生きる強さが長女にはあるはず。
わたしは長女を産んだあと大人になってから始まる
そこからの苦難の数々をときどき思い返す。
そうすると、わたしの胸の奥底が
『ちりり』
とすこしだけ
やっぱりまだ
痛むんだよ。
