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ひきこもり期間にイラつく長女と疲弊していた私の間をかろうじてつないでくれていたモノ

シングルマザーの私には発達障害があるふたりの娘がいる。
娘の特性が分かったのはどちらも二十歳を過ぎてから。
子どもの頃は特に違和感は感じなかった。
普通学級から普通科の高校へ進み、支障なく卒業して現在に至る。

そこから現在に至るまでが、特に長女と私の困難の始まりだった。

今日はASDの特性をもつ現在30歳の長女が社会に適応できず、閉塞した生活をおくる中で一助になってくれていたモノについて書く。

今同じような状況でつらさや息苦しさを感じている人がこの話を読んで、精神的に少しでも軽くなってもらえたらうれしい。


長女のことを少し書いておく。
高校に通い始めてからだんだん日常のささいなことに神経を尖らせるようになった。
各駅電車3駅先の通学のほんの数分間が苦痛になった。
私に「電車内の他の人が自分を見てくる、自分のことを噂している、自分が笑われてる気がする」と言ってきた。

そんな中、最初の心療内科で診察してそれを言うと「統合失調症」と言われ投薬治療をしたが、まったく効果は無かった。
それでも自転車で通うには距離があるため電車通学は続けていた。

そこで長女は策を講じた。

通常よりずいぶん早い時間に通い出したのだ。
すると、電車内のストレス軽減と通学路でも大勢の生徒とも顔を合わさずにすみ、心の乱れを抑えることができた。

今思えばそれが私が長女に感じた、初めての違和感だったかもしれない。

ぽつぽつとそういった生きづらさの芽が出てきた。

高校時代は年中マスクをし、イヤホンで始終音楽を聴き、好きな漫画を手で隠しながら大学ノートに描き続けた。
周囲をシャットアウトする姿勢を貫いた。
誰とも話さず接触せず高校生活は終わった。

卒業後は夢である漫画家になるために3年制の専門学校へ通うも
みんなで一つの石膏像を描くデッサンの授業が苦痛で、入学2か月で不登校になった。
入学と同時に始めた寿司屋のホールアルバイトも心にヒビを入れただけで、
自己肯定が地に落ちた。

そうして成人前から徐々に社会に対応できず、孤独になった長女。
アルバイトができず、不登校になり、やることがなくなってきた。
周囲に馴染めない生きづらさから10年にわたって家にこもった。

18歳から28歳まで闇の生活で、私と長女の密着関係は大小の衝突が多かった。
でもその関係に風穴を開けてくれる小さな存在がいた。

プライベートな内容でもあり、発達障害のお子さんがいる親御さんに読んでもらって、ささいなことでも緊張が少し緩むこともあるのを知ってもらいたい。
それで有料とさせていただく。


毎日、長女と対応するなかでだんだん疲弊していく私。
疲弊する私を見ると【自分のせい】のように感じてますますイラつく長女。
そのどうしようもない状況下。

その間をとりもったモノ、、、

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