関ヶ原。三成、最後の采配 第十話『島津の退き口、捨てがまり』
第十話『島津の退き口、捨てがまり』
西軍が、溶けていく。
その濁流のただ中で、戦場の一角だけが、石のような沈黙を保っていた。
丸に十字の旗印。島津の陣。
その四方全てが敵。
遠くから近くから、敵の勝ち鬨の声が聞こえてくる。
熟慮したのち、島津義弘は深く頷いた。
「殿!なりませぬ!」
「ここで自害すれば、島津は取り潰しにござる!」
豊久の言葉を、義弘は受け止める。
しばしの沈黙の後、義弘は顔を上げた。
そして、静かに、しかし戦場を圧するほどの声で、問うた。
「敵は何処方《いずかた》が猛勢か」
その問いに、即座に応えたのは、豊久であった。
「東寄りの敵、以ての外《ほか》、猛勢にござります!」
その答えを聞き、義弘は初めて、満足げに、わずかに口の端を吊り上げた。
その視線は、一点。
遥か正面、徳川家康の金扇の馬印に、喰らいつくように突き刺さっていた。
四方全てが敵
ならば活路は
正面
「敵の猛勢の中にあいかけよ」
鉄のような沈黙が、一瞬で、地鳴りのようなどよめきに変わった。
薩摩隼人の全てが、主君の意図を瞬時に理解したのだ。
義弘が、采配を天に突き上げた。
「敵中突破!」
死んでも帰る以外に、ない
「うぉおおおおおおお!」
薩摩隼人の凄まじい雄叫び。
一つの巨大な槍と化した島津隊が、真正面、東軍の中核へと突撃を開始する。
福島正則の鉄壁の陣が、勝利の油断を突かれ、混乱に陥る。
そのど真ん中に、血の道が一本、穿たれた。
ついに、家康の本陣が、目と鼻の先に迫る。
だがしかし、義弘は反転する。
振り返らない。
義弘は、ただ前へ駆ける。
最初に豊久が捨てがまりになった。
その後方で、数人が、隊を離れる。
また、数人が。
一人、また一人と、生きたまま主君の駆ける道筋から「捨てられて」いく。
主君一人が帰れば、よい
「捨てがまり」と化した彼らは、静かに銃を構え、
迫りくる赤備えの津波を、ただ待つ。
義弘は振り返らず、ただ前だけを見て駆けていく。
その軌跡は、血と魂で舗装された、一本の道となっていった。
新たな登場人物
島津義弘 島津家の主君。西軍の武将。薩摩隼人。
島津豊久 義弘の甥。島津家の武将。
