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世間のニーズを満たした番組を観て、それでも「自分の感性」が満たされない理由

最近の地上波の音楽番組を観ていて、どこか「代わり映えがしないな」とチャンネルを替えてしまうことはないだろうか。
特定のジャンルや流行りだけに偏ったラインナップ。それが今のビジネスの正解だと言われればそれまでだが、見方を変えるとそこには大きな歪みが隠れている。

今のテレビ地上波が映さない「流行の外側」にこそ、私たちが忘れてしまった本物の熱狂と、確かなクオリティを持つ音楽の世界が広がっているのだと感じてならない。
その「証拠」は、演歌歌謡や往年のベテラン歌手、バンドやヴィジュアル系といった、多様なジャンルにおいて明確なデータとして現れている。

メディアが「現在進行形のトレンド」だけを切り取る陰で、
一体どれほどのクオリティ豊かな表現が見落とされているのか。
いくつかの具体例から、その構造を検証していきたい。

トレンドの裏側に隠された「数多の表現」

演歌・歌謡曲ジャンル

まず1つ目の例として、
演歌・歌謡曲のジャンルに目を向けてみたいと思う。

例えば、演歌・歌謡曲のジャンルで確固たる地位を築いている三山ひろしさん。
年末の紅白歌合戦に連続出場し、けん玉のギネス世界記録に挑戦する姿は広く知られている。しかし、大衆にとっての三山さんの認知はおそらくそこで止まっているのではないだろうか。

だが、BS放送にまで視野を広げて三山ひろしさんの姿を追ってみると、全く違う景色が見えてくる。

「あさうたワイド」(BS日テレ)や「熱唱!僕らの名曲ショー」(BS-TBS)といった番組で軽妙な司会進行をこなす一方で、2026年の楽曲『花とサムライ』では、自らドラムを叩きながら歌唱するというアグレッシブなステージを披露している。

さらに驚くべきことに、師匠である松前ひろ子さんの最新曲には、作家「中村心一」名義で楽曲を提供してもいるのだ。
私生活では3Dプリンターでオリジナルのネクタイを作るなど、その多彩な才能と引き出しの多さは、知れば知るほど底が見えない。

こうした事実を、一体どれほどの大衆が知っているだろうか。
おそらくほとんどの人が知らないだろう。なぜなら、彼らの本当の魅力が披露される場所が、極めて限定されているからだ。

「演歌や歌謡曲は、中高齢者だけが聴く音楽だ」
もしもこのような認知が世間に定着しているのだとしたら、それはあまりにも実態を無視した、ある種の横暴な決めつけだと言わざるを得ない。

確かにライブ会場やキャンペーン会場に足を運べば、ファンの年齢層は高いかもしれない。
しかし、現場の熱気そのものは、今をときめくJ-POPのトレンドアーティストのツアー会場と何ら変わりはないのだ。お揃いの法被をまとい、うちわやペンライトを激しく振りながら、心からその瞬間を楽しんでいるファンの姿がそこにはある。

ここ数年、ヒット曲を連発して若手演歌歌謡界の第一人者となった新浜レオンさんにしてもそうだ。地上波の歌番組に限れば、NHK以外の民放で見かける機会は驚くほど少ない。
バラエティでの露出はあっても、新浜さんが最も輝くべき「歌手」としてのステージは、地上波からは意図的に遠ざけられているようにすら感じる。

最近では純烈の弟分としてデビューした「モナキ」というグループが大バズりし、地上波の音楽番組への露出が急増している。
それ自体は多様性の第一歩として非常に喜ばしいことだ。

しかし、彼らが扉を開けたからといって他の実力ある演歌歌謡歌手たちが雪崩を打って地上波の歌番組に呼ばれるような風潮は、今のところ感じられない。

キャリアを積み重ねた「ベテランアーティスト」

目を凝らしてみると、同じような現象はいたるところに起きている。
ベテラン歌手たちの現在地についても同じようなことが言えると思う。

数年前、NHKの「うたコン」で久しぶりに田原俊彦さん(トシちゃん)のパフォーマンスを見て、私は文字通り衝撃を受けた。
60歳を超えてなお、激しいステップを踏みながら一切ブレずに表現力豊かに歌い切るその姿は、全盛期と呼ばれる過去の映像と比べても数段上の凄みを放っていた。

理屈抜きに、単純にカッコよかったのだ。
人間、こんな風に年齢を重ねることができるのかと、胸の奥が熱くなるのを覚えた。

それをきっかけに、私は改めてトシちゃんの音楽を追い始めるようになった。実際に足を運んだライブ会場の熱量は今でも忘れられない。
近年は都合が合わずにしばらく行けていないが、「また絶対にあの空間に戻りたい」と思わせるだけの引力が、あのライブ空間には確実に存在していた。

トシちゃんに限らず、そう思わせる熱量のあるパフォーマンスをする歌手は数多くいるはずだ。浜田麻里さん、杏里さん、山下達郎さん、角松敏生さん、オメガトライブなど、挙げ出したらキリがない。

しかし、彼らの現在進行形の凄みにフォーカスが当たる機会は、地上波では皆無に近い。本人達の意向もあるのかもしれないが。

「バンド」による感性剥き出しの表現

この閉塞感は、何も演歌歌謡やベテラン歌手の世界だけに限った話ではない。私が学生時代から愛してやまないバンドシーンでも、全く同じことが起きている。

かつてと比べ、地上波でバンドの生の演奏を観る機会はめっきり減った。
ヘヴィメタルやヴィジュアル系(V系)といったジャンルに至っては、深夜のニッチな音楽番組で辛うじてピックアップされるかどうか、という状況だ。
私が足繁くライブに通い続けている「陰陽座」の、あの圧倒的な演奏力と世界観を、テレビの大画面でも観たいと願うのは不自然なことだろうか。
学生の頃からずっと聴き続けている「access」の洗練された唯一無二なデジタルサウンドとパフォーマンスを、もっと多くの機会で耳にしたいと思うのは私だけなのだろうか。

最近では、独自の存在感を放っていたV系バンドの「キズ」が活動休止に入るというニュースを知り、個人的に激しいショックを受けたばかりだ。(前向きな活動休止であることを願うばかり)

このように、凄まじい熱量を持って活動しているアーティストたちが、大衆の目に触れる機会を得られないまま、水面下で消費されていく現状にはどうしても一抹の寂しさを禁じ得ない。

多様性の時代に私たちが静かに失っているもの

少し話が散らかってしまったかもしれない。
アーティストたちの自助努力が大切なのは百も承知だ。素人の分際でメディアや業界の構造に口を出すのもおこがましいとは思う。

だが、今現在の流行りだけを取り上げ、特定のジャンルに偏ったラインナップを繰り返す地上波の音楽番組を観ていると「本当にこれでいいのだろうか」と考え込んでしまうのだ。

SNSからトレンドが生まれ、世の中のニーズを満たす最大公約数として今の番組構成がある。
それは一つのビジネスの正解であり、否定するつもりは全くない。

しかし「今流行っていないもの」や「大衆向けではないと判断されたジャンル」は、一体どうやって新しい認知を獲得していけばいいのだろう。

多様性が叫ばれる時代でありながら、私たちは「様々なジャンルの音楽を知るきっかけ」を、むしろ過去よりも喪失しているのではないか。
そんな逆説的な危機感を覚えてしまう。

いつしか自分は、テレビの代わり映えのしないラインナップに退屈し、徐々にチャンネルを合わせる機会も少なくなっていった。
皮肉なことに、メディアの画一化が進んだからこそ、特定のジャンルを深く掘り下げてくれる専門チャンネルやBS放送のありがたみが今になって身に沁みるようになった。

地上波のフィルターを一枚外してみれば、そこには信じられないほど豊かで、そして音楽の世界が広がっている。
才能溢れる若い世代が、演歌歌謡やバンドといった枠組みの中で、誰も真似できないような素晴らしい音楽を作り上げ、命を削るようにしてパフォーマンスをしている。

私たちが「自分の趣味嗜好はここまでだ」と決めている境界線は、実はメディアによって都合よく引かれた境界線に過ぎないのかもしれない。

もし、この記事を読んで少しでも引っかかるものがあったなら、普段は絶対に開かないプレイリストやテレビのリモコンの「BS」ボタンを、一度だけ押してみてほしい。

今まで聴いたことのなかったジャンルにほんの少しだけ耳を傾けてみる。
音楽の楽しみ方は、決して今現在の流行を追いかけることだけではない。

そうやって「流行の枠外」にある多様な表現、多様なキャリア背景を持つ人々の音楽に触れたとき、あなたの感性の領域は、思いもよらない方向へと心地よく拡張されていくはずだ。

私がかつて、あの夜のパフォーマンスに人生の新しい彩りをもらったように。

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