『人はなぜラブレターを書くのか』 そのタイトルが問いだとして
生活するなかで、ふと思い出される映画がある。特別な記憶としての映画作品ではなく、もっと自然な形で自分の日常と映画の場面がつながる、そういう瞬間がある。きっとこの作品もそんなふうに、人の心に住み着くだろう。映画『人はなぜラブレターを書くのか』は2026年4月17日(金)公開です。
※東宝様主催の試写会にご招待いただき鑑賞しました。※本レビューには若干のネタバレが含まれます。
『人はなぜラブレターを書くのか』あらすじ
高校時代、同じ電車で通学していた名も知らぬ男性に、ナズナは恋心を抱く。彼に渡そうと手紙を書いて持ち歩くのだが、そのタイミングをつかめないまま、男性は電車の脱線事故で命を落とす。それから24年の歳月が過ぎ、自身の人生を見つめなおしたナズナは、届くあてのない手紙を、亡き男性に向けて書きはじめる。
その言葉でしか表せないなにか。
まず、タイトルが問いになっている。
人はなぜラブレターを書くのか。
いまの時代には通用しにくい問いかもしれない。そもそもラブレターというものを書いたことがない人のほうが多いだろうし、その言葉が帯びている恋愛要素とでもいうべきニュアンスは拭いきれないほどのものだから。
しかし同時に、ラブレターという言葉でしか言い表せないなにかも確実にあって、この映画はそんな「なにか」を丁寧に綴っている。
人はなぜラブレターを書くのか。
その問いに対する答えが提示されることを期待して、観客は映画を観るだろう。そしてその答えが、自分のなかにすでにあったことに気づくだろう。
繰り返される日常を。
本作の物語について語れることは、あまり多くない。
なぜなら、この映画は物語よりも人々の日常を追うことに一生懸命だからだ。
主要人物のひとりであるナズナは、自分に関する「ある事実」をできるかぎり伏せたまま、日常を続けようとする。それは娘を思ってのことであり、自分自身のためでもある。
中学生の娘を駅まで送り、畑に立ち寄って、経営する食堂で町の人々と交流する。帰宅して、夜遅くまで領収書と格闘する。そしてまた朝が来て、駅まで送って、畑に寄って食堂へ。
そんな日常を、できるだけ日常として過ごしていきたい。そうしたひたむきな思いが静かに伝わってくる。
思い返してみれば、決定的な場面はほとんど描かれていない。
たとえばプロボクサーの川嶋が世界王座をかけた試合に臨む場面でも、招待を受けた富久夫妻は会場に出向くのではなく、自宅のテレビで観戦する。映画は会場の熱気よりも夫妻の日常空間にいることを選ぶ。川嶋が王者になった決定的瞬間を、我々は富久夫妻の目線で見ることになる。
そこで湧き上がるのは、世界チャンピオンになったという喜びよりも、約束が果たされたことへの嬉しさ、感謝、それを亡き我が子に伝えたいという気持ち、それが叶わないけれど、きっと伝わっているのだと信じたくなる気持ち、そうした感情たちだ。
作中、何度も、人のいない風景が映される。
それもまた、物語より日常を描こうという意図の表れだろう。
観客は、どこかでこう思うかもしれない。
この風景は、そこに生きた誰かが愛した風景なのだ、と。
言葉を介すことなくつなぐ。
本作は実際にあったできごとをもとに構成されている。
脱線事故、亡くなられた高校生、20年の歳月を経て届いた一通の手紙。
ともすれば悲劇を軸とした物語になりそうな出来事を、本作は、連綿と続いていく生活と、そのなかで育まれ、受け渡されていく想いについての映画に仕立てている。
語り手を担うのが、大人になったナズナと、その娘、つまり「母と子」の連携であることも象徴的だ。
ほかにも作中では様々な形で、人と人とが言葉を介さずに思いをリレーしていく。
無言で渡されるハンカチ。具のない巨大なおにぎり。トランクスに書かれたイニシャル。そして、ナズナの名前。
ナズナとは、どこにでも生えている雑草の名前だと、ある人物が言う。なぜそんな名前なのかという問いが提示される。やがて時が過ぎたあとで、その人は名前の意味を見つける。それが正解なのかどうかは関係ない。自分がどう理解し、受けとめたのかが大切なのだ。
その人なりの生き方として。
先に書いたとおり、この作品はとにかく丁寧に描かれている。どの人物もそれぞれのやりかたで愛を表現しており、そのほとんどが声高に叫ばれたり過剰に説明されたりするのではなく、その人なりの生き方としてにじみでている。
妻夫木聡演じる夫の頼りなさは、最初、もどかしいほどなのだけれど、そのぶん、終盤の頼もしさと、だけどやっぱり残っているやわらかな部分とが際立ってくる。
佐藤浩市演じる父親は、ずっと、ずっと後悔を胸に抱えた人物として存在している。まっすぐに立てないような、少し照れたような姿勢が、彼という人の屈託を見る側に伝える。
また、娘役を演じた西川愛莉の存在感も印象に残った。子はかすがい、と言うが、彼女は物語のかすがいとして、また、未来と希望を担う者として、映画をぐっと前向きにしてくれている。『君の顔では泣けない』でもやはり印象的な存在だったことを思い出した。
このようにひとりひとりの生き様が見えてくるのは、演じている役者はもちろん、監督の手腕も大きいだろう。
人に語らせるところと、風景に語らせるところのバランスも、すごく好みだった。
生きる意味だから。
人はひとりで生きていけない。そんなのはあたりまえのことだが、この映画を観たあとでは、別の視点でその事実と向き合うことができる。あなたの日々も、きっと誰かのためになっているのだ。
安易なことを言うようだが、誰の人生もべつの誰かに向けた言葉となる。なぜラブレターを書くのかという問いに対して、それこそが生きる意味だからという返答も成り立つだろう。そう言えるよう生きていきたいと思わせられる作品だ。

