【#創作大賞2025 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』2章
ある日、
アジサイのログイン通知が届いた。
復帰したのかな、とぼんやり考えながらモンスターを狩り終えて、フィールドを歩いていると、目の前には見覚えのある女性キャラ。
木立の行方という杖武器を片手に、返り血のサードレスという軽装備。
核で滅びた世界のひまわり畑に屹立としていそうな佇まいだった。
「アジサイ……」
偶然だろうか?と僕は思った。
つまり、アジサイと僕は偶然同じフィールドを狩場にしていたのか、と。
今さらなんて声をかけていいのかさっぱりとわからなかったが、僕は自然と右手を上げて挨拶をしていた。
「久しぶり」
元気していた?が続かない。チームから集団いじめを受けていた人間に、元気していた?なんて、まるでサウナで倒れている人間に「どう、整った?」と聞くくらい気が触れている。
数分間、僕らは沈黙の下で平等に見つめあった。
てっきり、僕はいつもみたいにテキストを打ち込んでいるのかと思ったけれど、そうでもなかったみたいだ。
ちょうど離籍中かヘッドホンをしていないかのどちらかだろう。
最も考えたくないのは、僕もいじめに加担していたと思われることだが、そう思われていてもおかしくはない。
僕はそのままアジサイの横をすれ違った。
「……ってよ」
「うん?」
女性の細い声が聞こえた気がしてアジサイの方を振り返る。いや、まさか。
アジサイは僕に背中を向けたまま最初の位置にいる。
それにアジサイは『話さない』
いつもテキストを打ち込んで、僕らがそれを読んで、僕はマイクを通して会話をする。
アジサイのポニーテールが何かに迷っているように、フィールドの熱風に揺られている。
「気のせいか、早いところモンスターの材料を換金するかな」
と思った矢先、今度ははっきりと聞こえた。
「……待ってよ」
周囲に僕ら以外のプレイヤーの姿はなし。
「え、アジサイ?」
「……うん、そうだよ、聞こえてるんだ」
「驚いたな」
「マイクヘッドホン買ってみたんだ」
「そうなんだ、最近買ったの?」
「昨日」
「いや、アジサイって普通にネカマなのかと思ってたから、びっくりした」
「ちゃんと女の子です。女の子といってもOLやっている独身女なんだけどね」
「もうこのゲームにも帰ってこないと思ってたよ」
「色々あったから?」
「そう、多くのことがあったから」
「多くのことが、ってなんか固い言葉だね」
「確かにそうかも、戦国系のアニメのナレーションみたいだなって、話しながら思った」
なんだか
「そうそう、そんな感じ、私、色々なことがあったからっていったのに、言い換えられるとも思っていなかった」
会話のリズムが
「なんか、言葉をそのまま返すとバカっぽく見られるかなぁとか深読みして避けてしまったよ」
「本当に気にしすぎ、色々でいいの、本当にね、色々あったんだから」
心地よくて
「僕もチーム抜けたよ」
「え、そうなの?なんで?」
アジサイと
「んーチームという機能が形骸化しているような気がしたから、席置いておいても仕方がないかなぁって」
今日初めて会話した気がしなかった。
「けいがいか?」
「形だけで意味がないみたいな感じの意味」
「物知り」
「昨日、本屋で立ち読みした本で覚えた、まだ未調理の言葉なんだ」
「ツリバリってさ」
アジサイの細い声で、僕のキャラクター名を発音されると、水平線の方から引き揚げられたかつての黄金の船みたいに輝かしさを内包している響きに聞こえて、ちょっと戸惑った。
「うん」
「前から思ってたけど、表現独特だよね」
「えーそうかな?というか表現が独特って、絶対よく意味がわからないってことじゃない?」
「そうかも」
の後に、アジサイは、小さく笑った。
マイクヘッドホンをつけ慣れていないためか、おそらくアジサイの口元に限りなく近いマイクが、アジサイの息だけの笑い声を拾ったのだ。
「よく言われるけど、治らないんだよね」
「治さなくていい、私結構気に入ってるよ?」
正面から認められると、どう反応して言いのかわからない。
そもそも、この会話はどこの河の上流から流れてきたのか、季節は春なのか、会話の一つ一つが春の熱を帯びているような気がした。
数枚だけでも桜の花びらが水面に踊っていたらいいな、なんて。
「アジサイはこれから復帰するの?」
「ううん、今日で引退するつもり」
「え?どういうこと?」
「どういうって言葉通りだよ?」
「今日引退するつもりで、最後にログインしたのはわかるけど、マイクヘッドホン買ったの昨日なんだよね?続けるつもりで買ったのかと思った」
「それならツリバリはどうして、復帰するの?なんて聞いてきたの?私がこれからも続けるだろうと思ったのに?」
「あくまで予想だったし、どうなのかなぁって」
「マイクヘッドホン買ったのは気まぐれ、このゲームで遊んだ期間って私的には長くてさ、数年くらいかな、でも一回も誰とも話したことがなかったから、最後くらい嫌われててもいいから誰かと話してみたいなって思ったの」
「へぇ、なるほどね」
アジサイもなかなか変わった人物だな、と僕は思った。
酔狂というかなんというか、アジサイの声の調子には、いじめを仕掛けてきたチームへの恨みや恐れや不信感が感じ取れなかった。
それはどうしてだろう?
僕も今まで生きてきた年数の中で、人の悪意をダイレクトに向けられたことはある。
結構堪えた。
精神的にダメージを追ったし、人格もその経験によって歪む必要のない方向に倒れてしまった感も否めないくらい。
僕と違ってアジサイは、まるでいじめなんてなかったか大したことないといった風に気にも留めていない様子だ。
気丈にふるまっているのだろうか?
何にせよ、僕だったら、即ログアウトしてゲームをアンインストールしていたことだろうと思う。
人の悪意は際限がないのだから。
「最後がツリバリでよかったかも」
「それはよかった、僕らはどうだろう、10回くらいはパーティ組んだことあったよね?」
「ひどい、50回はあるよ」
「え、そんなに?」
「楽しかった、私打つの遅いけど、ツリバリは絶対に急かさないで待ってくれてたから、ああ、この人優しい人なんだなぁって」
「そうなんだよ、僕は優しいんだ、なにせ僕の正体はこの世界のプログラムによって構築されたNPCだからね、プレイヤーの君が楽しんでくれたのならプログラム冥利に尽きる」
「はいはい、適当なことばっかり」
僕は照れくさいと、まぶしさを隠すように、いつもより言葉数が多くなってしまうようだ。
「もう明日からここには来ない?」
アジサイは短くため息をついたあとに頷いた。
「うん、そう、ここにはもう来られない」
来ないのではなく来られない。
「やっぱり、さすがにこのゲームは嫌いになった?」
「そうじゃないの、確かに最後は私もよくわからないうちに変なことになって、久しぶりにログインしたら100件以上の悪口メッセージが届いていたり、荒らされたりもしたけど、それって本当にどうでもよくて、そうじゃなくて、もう来れないの」
僕は持っていた剣を地面に突き刺して、剣を背もたれにして座った。
アジサイもそれに従って、ゆっくりと座った。
「色々事情があるんだね、転職とか引っ越しとかそういうのもあると思うしね、ああごめん、詮索じゃないよ、例として出しただけ、全然言わなくていいから」
「刑務所にいくの、私捕まるからさ」
アジサイのあまりの混じりけのない声色に、返す言葉が見つからなかった。
何をしたのか、と安易には聴けない。
ただ、人間の声はここまで感情をろ過して無色透明な『音』になるのか、と驚いた。
「なんてね、冗談だよ」
本当に?とは聞けなかった。
「そっか、冗談か」
僕の声にも色はなかっただろう。
さっきのアジサイが言ったことが僕の頭のなかで蜷局をまいて、リンゴを蝕む毒虫みたいに、色んな穴から、出たり入ったりしているみたいだった。
「ねえ、ツリバリ」
「うん?」
「最後にさ」
「うん」
「リアルでさ」
「うん」
「会わない?私達」
僕はそのとき、足元の虫を見ていた。
細やかなところまで精巧に作りこまれていて、素晴らしいゲームだなと、無理に感動しようとしているところだった。
視線をあげると、首を傾げて僕を覗き込んでいるアジサイ。
ゲームならではの紫に近い白い肌。
胸元に下げられた髑髏のネックレス装備が、柔らかくぶら下がっている。
微かに揺れた。
砂漠フィールドは僕の鼓動以外、何一つ音を立てていなかった。
