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映画「国宝」を観て 毛穴から何かふきだす

今日の休みは、やることを決めていて
朝もはよから映画「国宝」を観に行った。

実は、映画を観る前、ただひたすらに夢を追いかける人の話は、自分には眩しすぎるなと少し尻込みしていたのだが、
実際は、眩しいとかそういうものでは、なかった。

今立っている地面から地続きの地獄を進んで進んで、さらに進んでいく人の話であった。

主演、吉沢亮さんの目尻の影が、終始寂しくも美しく映る。
歌舞伎役者が舞台に立つときの、
一本細くピンと張った集中と、静寂無心。
寸分違わぬところに声と動きをあてていく感覚。
擬似体験なのか、舞台の上で全身の毛穴から
何かふきだしているだろうこと知った気がした。

稽古の場面が何度かでてきて、印象に残っている。

稽古をつけるというのは、かなりイライラするだろうなと、今日はなぜかお師匠のほうに肩入れしてしまった。
点や輪郭、目をつぶってもわかるほど
そこだとわかる、そこじゃないとわかるのは、
それを描けるひとしかわからないし、
描ける人が繰り返しそれをやれてないとわからない絶対的確信だろう。

自分が油絵を学んでいた時、小手先がうまいこと
を、先生には指摘されずに、でも完全に見透かされていた感覚を一瞬にして思いだして冷や汗をかいた。

今日国宝を観に行った目的がある。
私は、俳優ダンサー田中 泯(たなか みん)さんのファンなのだ。

泯さんは、歌舞伎の女形、人間国宝の
90歳くらいまでの役を演じていた。
「あのばあさん、…あ、じいさんか」と言われていて笑った。
配役がいつも人間でいて、人間じゃないようなものが多い気がする。
演技がいつも私の想定を越え、ぞくぞくする。
思いつくこともないだろうものを目にできるから
どうしても見たいのだ。

今回の役も、やはり存在が宙に浮いている。
劇中ではバケモノといわれていたが、
妖精か精霊かそちら側に近いのかもしれない。
あの仕草と声、指先のさらに先にまで。
人は研ぎ澄ましていくとああいう形になるものなのかな。
観れてよかった。
泯さんを目に焼き付けても頭で再生できないから、また観たいと思う。

映画の余韻ものこりつつ、お腹が鳴るので帰りにランチ。
この暑さでよせばいいのに、タイ料理屋でトムヤムラーメンを食べる。
滝汗をタオルでぬぐい、でもスッキリした気分で家に帰った。


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