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クソみたいな世界を肯定する


 ゆる哲学ラジオのニーチェ回を見ていたら,自分があの作品やこの作品が好きな理由が言語化できた話。世界はクソだがそこで生きる姿は美しい。




 今回はゆる哲学ラジオのニーチェ回を見て,私が好きな漫画とか小説とか音楽のどこに惹かれたかの一部分が言語化できたので,それをつらつらと書いていきたいなと。


まずは導入。ニーチェの伝言「この世界は病気である」


 こちらが今回のテーマとなる回です。物騒なサムネですが,ニーチェの思想の概要を紹介してくれています。

 見ない人向けにもホントにざっくりと要約すると,

  • ニーチェは当時流行していたニヒリズムやロマン主義を「ここではないどこかを理想として逃避している」として病気と表現した。

  • ここでいう病気とは,病気の時に体を休めるように逃避することで心の負荷を下げることを指している。

  • 健康であるなら現実を直視して心に負荷をかけるべき。

  • この世界・人生は苦痛しかないが,だからといってそれを否定する理由にはならない。

 といった具合です。


 この思想が哲学にどういう影響を与えたかというと,「哲学を人間のもとに取り戻した」とラジオでは表現されています。これは,ニーチェ以前は哲学が「ここにはない理想の世界」を志向し,人間の肉体すらも世界の認識を歪めるものとしてとらえていたのに対して,ニーチェは「理想の世界などはなく,眼前の苦痛にまみれた世界だけである,そしてそれを肯定しないといけない」としたわけです。

 ある種宗教もそうですが,ニーチェ以前哲学が死後の世界のようなものを理想としていたのに対して,歪んでいる・間違って見えるこの現世を「それしかないのだから肯定するしかない」としたわけです。


 ニーチェの思想を要約したラジオからの要約なので,正誤の精度やニュアンスの違いはあると思いますが,私が腑に落ちたところとはいうと
眼前にはこのクソみたいな世界しかないが,それのどこが悪い!?
みたいなところなんですね。



クソみたいな世界で生きること


 ゆる哲学ラジオではニヒリズム的なものとして「異世界転生もの」が挙げられていましたが,個人的にはその最たるものって「親ガチャ」なんですよね。ちょっとセンシティブというか扱いが難しいので,ラジオではスルーされたんだと思っていますが。

 あるいは

「人生与えられたカードで勝負するしかないんだよ」
と言っている人が初めから強いカードを持っている
恵まれた人なのが許せない

 みたいなつぶやきとか。


 正直この手の言説ってもとから好きではないんですが,一方で当たらずとも遠からずなこともあるわけでして。「努力できるかどうかも遺伝で決まっている」とか「名門大学生の実家の平均年収」みたいなデータって,今やいくらでもアクセスできるんですよね。自分のスタート位置が否応なしに可視化されてしまう時代,それを盾にしてしまうのも頷ける。


だからといって,
だからといって,
足を止める理由にはならない
前を向き続けるのをやめる理由にはならない

 というのが私の主張。手持ちのカードがノーペアでもカードを入れ替えることもせずに,勝負に出ることもせずに後生大事に抱えながら生きるのも違う。「それはあなたが恵まれているからそう感じるだけ」と言われれば否定できないが,「ではこの手の言説であなたの暮らし向きはよくなりましたか?」という話である。

だからこそ,
だからこそ,
泥臭く前に進もうとしている人は美しいと思うし
清濁を併せ呑んで命揺らす姿は魅力的だと思う

 そう思っているから,「クソみたいな理不尽な世界で,生きていく」みたいな作品に惹かれるんだろうな,と思い至ったわけです。

 あるいは,「世界はこんなに素晴らしい」といって現実を上塗りする欺瞞に耐えられなくなっているのかもしれない。



具体例1:「3020」

 半ば「いつもの」になりかけている曲です。ここのところ何故か沁みるな,と思っていたんですが今回のニーチェ回で何となく理由が分かりました。これもクソみたいな世界を肯定する曲ですよね。

生きていくことは とても辛いことだ
泥のように眠り 朝を迎えるだけでやっとだ
墓標は連なり 花をたむけ続ける
心を埋めるために 言葉を重ねる
だが湿っぽい話は無しにしようぜ
俺たちに立ち止まる時間なんて 時間なんてないよな

SuiseiNoboAz 「3020」

 のあたりとかは「まさに」といった感じ。


具体例2:「ポストずんだロックなのだ」

 続いてはこちら。こちらもある意味ポストロック。ポストロックにはこの手の曲が多いんだろうか。ラスサビはどこか3020にも似ている。

 3020よりもぐっとごく普通の生活,営みに寄り添ってくれている感じがいい。ボーカロイド(ボイスロイド)特有のフラットな読み上げが,聴き手の心の状態にかかわらずすっと沁みこむように思えます。


具体例3:「兄の嫁と暮らしています。」

 続いては漫画から。「兄の嫁と暮らしています。」です。こちらはかなり前に紹介していますね。

 当時(5年前!?)は連載中でしたが,今年の5月に完結しました。よかった……。兄の死というどうしようもない事実をどうにか少しずつ受け入れて前に進むさまは本当に良い。

 以前紹介したときに同時に取り上げた「GUNSLINGER GIRL」,「ib -インスタントバレット-」も同じようにクソみたいな世界の肯定みたいな面がありますね。


とはいえ結局はバランス

 ということで今回はゆる哲学ラジオのニーチェ回と,それを見て気づいた自分の好きな作品の傾向についてでした。ちょっと文量は短めですが。

 さんざん「クソみたいな世界を肯定する」のがいいと書いてきましたが,別に「世界はこんなに素晴らしい」とか,「別世界はこんなに素晴らしい」とする作品を否定したいというわけではないです。「そばが好き」は「そばが好き」ということであって,「うどんは嫌い」ということではない。「ARIA」とか依然として大好きですしね。

 摂取するコンテンツっては「そればっかり」になるのが危険というか,(メンタルとかの)バランスを崩しやすくなるので。ちょっとだけ,こういう面白さもあるんだなと思ってもらえれば。

 それではまた。



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