見出し画像

その後の『摂津名所図会』

*口絵は『摂津名所図会 武庫 菟原 八部 有馬 能勢之五郡 / 御影町摂津名所図会刊行会』 P310の絵



先日の投稿。理由がわからないけどアクセスされている。
新規投稿は初日に20回見られるかどうかで、その後じわじわ増えて30回超えあたりで頭打ちになるから、30人くらいの読者がいるという判断だった。
一日で60回閲覧というのは、新記録です。とにかく嬉しいのでその後の展開を報告します。

結論から言うと、廃仏毀釈前に描かれた多聞寺の絵はないと判断しました。
AIは、「多聞寺が山上にあったといえる根拠を出せ」と言われて創作をしたらしい。

天皇誕生日は、県立図書館に行くつもりだったのだが、月曜日は休み。
予定が狂ったが地元で調べ物を続けた。

口絵の画像は、御影町摂津名所図会刊行会による摂津名所図会 ートリミングの関係で中央部のみー。画像に続いて、いくつかの村。さらに後に唐櫃村の名所・旧跡の記述がある。その数が多いことに驚かされる。その中に問題の

多門寺  同村にあり。六甲山吉祥院と称す。本尊は毘沙門天を安置す。

がある。しかし、これだけでは多聞寺が六甲山上に在ったことにはならない。現にいまも多聞寺は唐櫃地区内にある。
というわけで、この方向の調査はは中止しました。

ところが、前の投稿で引用したブログ

の中にここが多聞寺本堂跡ではないかとしている写真がある。場所は六甲山西端にある古寺山らしい。古寺山で資料検索したところ、見つかりました。

『神戸市北区古寺山遺跡調査と多聞廃寺址概要』

どうやら、神戸市などが1996年に調査したらしい。これで、すくなくとも多聞寺が六甲山上に在ったことは確認できた。
近所の大学が持っていることもわかったので、見に行きます。
堂宇の特定までされているかは、お楽しみ。

話は戻って、摂津名所図会からの感慨です。

口絵は、「生瀬・塩瀬」らしい。
崖沿いの道を歩く一行の背景に川。川をたどると深い渓谷が見える。
川は武庫川。谷は武田尾に向かう武庫川渓谷だろう。一行の左側の崖の上を、今はJR福知山線が走っていることになる。驚かされるのは、現在の生瀬大橋の上から塩瀬方面を見ると、ほぼこの画像の構図になること。
絵に描かれた一行は、このあと行者谷に入って船坂を経て有馬に向かうのだろう。現地でスケッチをしたうえで描かれた絵であることは間違いない。
摂津名所図会の制作に莫大な費用がかかったことが察せられる。

現在の唐櫃地区「地理院地図」

また、上の地図は、国土地理院地図で見た現在の唐櫃地区。
中央上やや左に「多聞寺」。その下に⛩️。このあたりが旧唐櫃村。
右下に「古寺山」。
唐櫃村の向かいの山の上に、廃仏毀釈以前の「多聞寺」が在ったことがわかる。

そして、現在、昔の唐櫃村周辺は開発されてしまったことが見てとれる。
周りの山はほぼすべて削られてニュータウンになった。実は、うちの従兄弟がこのニュータウンに住んでいたことがある。
「摂津名所図会」に記されていた、奇岩や山。おそらく滝も含めて、すべて失われてしまっただろう。

いいなと思ったら応援しよう!