性と愛について
はじめてnoteを書きます。今回は私のセクシュアリティについて。ただの当事者なので専門家ではないです。
自認
私はシスジェンダーのバイセクシャルのアロマンティック、要するに男とも女ともセックスができる女だ。あえてすごく俗っぽく書いたが、単語だけで理解できる方はこのnoteを読む必要はほぼないと思う。
どうでもいいバイセクシャル
はじめて付き合ったのは女の子だった。小学校5年の終わりだった気がする。同性愛の概念すら知らない頃、周りの子供たちが男女間の恋愛トークに明け暮れているなかで、彼女は「ひみつね、」と念押ししながら私に告白した。わけもわからず、でも嫌ではなかったから、私はそれを受け入れて小学生らしい「お付き合い」をした。彼女の抱いていた感情が友愛だったのか恋愛感情だったのか、今となってはわからないが、とにかくその頃から私は男女の区別をあまりせず人と付き合う人間だった。
その後も数人の男女との交際があった。何故か毎回思いも寄らない人から告白され、嫌ではないという理由で承諾し、人間性の違いを理由に関係を解消していた。好きだったかと言われればよくわからない。私は育った環境の影響で性的な接触への認識が多少歪んでいた(これについては後日書くかもしれない)のもあって、セックスに抵抗はなかった。男でも女でも、求められれば幸せだった。
そんなこんなで、学校やSNS上でも私は自分がバイセクシャルであることを公表していたし、だからなにか特別だったわけでもない。世論の風潮もあってか、幸いそれについてどうこう言う人もあまりいなかった。ただ、自分は男女両方を愛せる人間なんだと思っていた。
「愛せない」セクシュアリティ
高1からつい先日(大学1年の終わり)まで付き合った相手は、唯一私が好きかもしれないと思った人だった(彼は恐らくこれを読んで、この後の記述で少なからず傷つくだろうなと思う。本当にごめんなさい)。優しくて誠実で面白くて、真っ直ぐで素敵な人だった。付き合って2年経つ頃には人としての親愛は確実にあったし、将来この人と家庭を築くことも不可能ではないと思った。
違和感が膨らみだしたのは去年の年末頃、付き合って3年と数ヶ月が経った頃だった。と言うより、薄々気づいてはいたが見て見ぬふりをしていた、という方が正しい。周りの言う世間一般の「好き」と自分の持っている感情の相違が、見過ごせないほどの違和感になっていた。
たくさんの友達に「好きってなに?」と聞いて回った。答えてくれた人、相談に乗ってくれた人、ほんとにありがとう。変な質問をしてごめん。皆の答えはほぼ共通していた。
「気づいたらその人のことが気になっていた」「もっと知りたい、知って欲しいと思うようになった」「その人のことを考えるとドキドキする」「時間や記憶を共有したい」「相手を誰かにとられたくない、独占したい」
びっくりした。自分には全くない感情だった。正直、私は人として嫌いでなければ誰でもいい。相手の全てを知りたいとは思わないし、自分でない誰かの元へ行ってもいい。それ以前に、言葉では説明できない感覚の次元で自分が「恋愛感情としての好き」を持ち合わせていない(=アロマンティック)ことにその時はじめて気づいた。
さすがに焦った。3年半も付き合っておいて、今更好きじゃありませんでしただなんて。それに加えて、今まで自分が幾度となく言った「好き」が嘘だったことへの罪悪感。今どき幼稚園児でもわかるようなことが私には理解できない劣等感。今後誰とも付き合わず1人で生きていかなければならないかもしれないことへの孤独感。社会的立場への煩わしさ、不安。
本当に好きであるべき人にすら、本当の好きを言えない。彼にだけはせめて誠実でいようと思っていた私にとって、これはかなり堪えることだった。こんな状態で付き合い続けることはできない。そう思って、先日関係を終わらせた。彼からしたら本当に突然のことだっただろうし、どれだけ辛かったか想像に難くない。それでも受け入れようとしてくれた彼には本当に感謝している。ありがとう。
(いい話のように書いているが、この間に私は複数の人間と関係を持ったり好きだと思っていた女の子に目の前で男とセックスされたりしている)(あまり詳しくは書かないけど)
こうして私はアロマンティックを自認した。
アセクシャル≠アロマンティック
私のようなLGBTQに入らないセクシュアリティは、近年においてもまだほとんど認知されていない。一応ざっくり解説しておくと、「○○セクシャル」と「○○ロマンティック」は「性的欲求」と「恋愛感情」を完全に別とする考えをベースにしたカテゴライズだ。バイセクシャルでアロマンティックの私なら、男女両方に性的欲求を抱くが恋愛感情は持たない。他者に性的接触欲求をもたない「アセクシャル」の人もいる(詳しくはググってください)。
とにかく、皆が皆「好きだからセックスしたい」わけでも「セックスしたくないから好きじゃない」わけでもない、ということだ。
恋愛産業社会
アロマンティックを自認してから、身の回りの恋愛を題材にしたコンテンツがいかに多いかを知った。広告、映画、CM、音楽、漫画… それらが自分にないものだと分かった途端、全てがノイズに見えた。恋愛がいかに人々の共感を得られるものかを示している気がして、更に劣等感が膨らんだ(これは同じAの人達に失礼な感覚だと思うが)。
私が相談した人々の反応も様々だった。全く意味が分からない、という人(素直で良いと思います)。しょうがないねと慰めてくれる人。でもやっぱり1番多いのは「まだ本当に好きな人と出会ってないだけじゃない?いつかわかるよ。」の親身な言葉。
うるせえ。
親身になって、慰めようとしてくれてありがとう。でも、そうじゃない。きっと私が恋愛感情を理解できないのと同じように、あなたにも理解できないんだろうけど。
共感できなくても頭では理解できるかもしれないと思って、友達から少女漫画を借りて読んだりもした。でも、駄目だった。当然のように始まる恋とラブストーリーがあまりに気持ち悪くて、1巻で嘔吐した(ごめんなさい汚してないです)。トゥンク♡ってなんだよ。何がどうして好きになったのか説明してくれ。俺も好きだ、とか愛してる、とか簡単に言うな。
ただのバイセクシャルだと思っていたときとは全く違う感覚だった。誰を好きになるかなんて右利きか左利きかくらいの違いだけれど、好きになるかならないかは次元が1つ違う。自分がマイノリティであることを突きつけられる感覚。社会からの疎外。どうしようもない違い。
どうでもよくないアロマンティック
LGBTQ'sの中でもAのような欲求や感覚が「ない」セクシャルはあまり理解されない。社会は自由な「好き」には寛容なのに、好き が「ない」ことには不寛容だ。やっと同性愛やトランスが受け入れられてきた今、まだAへの理解を求めるのは正直無理だと思っている。これから数十年はこの疎外感を抱えて生きていかなければならないんだろう。
だからせめて、そっとしておいてほしい。恋愛をして、結婚して、家庭をもつことを強要しないでほしい。皆が皆、恋愛をしたいわけでもセックスをしたいわけでもない。そういう前提で人と関わっていると、思わぬところで誰かを傷つけているかもしれない。自分の常識は誰かの非常識。セクシュアリティに限らずかもしれないけれど。
そういう話でした。
