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『返す予定のない文庫本』―秋ピリカ応募小説

立秋過ぎて通勤電車での読書がはかどる、はかどる。今はKindleで、川上弘美の『センセイの鞄』を読んでいる。

読み始めて気付いた。そういえばこの本は以前読んだことがある。元カレの慎二に教えてもらった本だ。彼とは、お互いの好きな本や音楽、テレビ番組についてたくさん語り合った。村上春樹や吉本ばななの本を読み始めたのは、彼の影響でもある。



「バイトお疲れ様です!何時にこれそう?」
「早く会いたい」と続きを打つも、素早くその6文字を消し彼にLINEした。

ヒップホップカルチャーの影響を色濃く受けたド派手な見た目とクールな性格。だけど裏の顔は文学青年の一面を持つ彼にギャップ萌え。私にだけ見せる子犬のような表情に惹かれて付き合った。明日は学校もバイトも休み。

夕飯を終えたら、一生くっついて過ごす!と決めていたのに、彼に会うやいなや借りた本の話題で心を折られた。

「『センセイの鞄』読んだよ、なんか大人の恋愛って感じだった。主人公と先生の恋模様は映像として浮かぶんだけど、感情移入はできなかったな。ねぇ、慎二はなんであの本貸してくれたの?」

「俺さぁ、あの主人公の女性の気持ち、わかるのよ。高校の時、憧れの先生がいてね……」

彼の息継ぎに合わせて、私はすかさず言葉を遮る。

「もういい、その先は言わないで。好きだったとかいう話なら聞きたくない!」

子供っぽい嫉妬心が爆発した。

なんとなく嫌な予感はあった。
彼と会う直前、共通の友人から「彼は年上の元カノが忘れられないって噂になってるよ」と聞いたから。彼の言葉を遮ったあの時、憧れの先生と年上の元カノが咄嗟に結びつき、一瞬でパニックに陥った。私は、これから彼の元カノへの思いを聞かされると勘違いしたのだ。

結局彼の話を最後まで聞くこともしないまま、気まずくなった私達は、疎遠になり別れた。

そういえばあの本は、彼から借りっぱなしで返していないはず。

家中探して、ようやく年賀状や手紙を保管している道具箱の中に本を見つけた。

久しぶりにページをめくると、懐かしい匂いがする。ホコリを払おうと表紙をめくると、ひらひらと一枚の紙が宙を舞う。足元に落ちた紙に目をやると、ぶっきらぼうに書かれた懐かしい彼の文字。

えりなへ

俺たちとは境遇も性格もまるで違うけど、この小説の二人みたいな日常を過ごしたいんだ。お互いの違いを認めつつ、違いを尊重し合える関係が素敵だなって。

次は、えりなの好きな本を読むのが楽しみな慎二より

当時、私は誰よりも彼の気持ちがわかるという自負があった。まるでエスパーのように彼の気持ちを先読み、先回りしていた。嫌われたくない、デキる女と思われたい、愛されたい。自分の思いばかりが強くなり、現実の彼と向き合えていなかったのかもしれない。

もう一度、本を手に取り鼻先に近づける。

すっかり匂いなど消えたはずなのに、まだ微かに彼のDIORの香水が香るような気がした。

*区切り…含む1,190文字


書き始めたら、やめられない止まらない。久しぶりに、夢中になって書きました。考えること、書くことって楽しいなと、改めて実感!
最近、書くことも読むこともしんどくなっていたので、気持ちを切り替える良い機会を頂きました。作中に登場する川上弘美先生の『センセイの鞄』は、個人的に大好きな小説です。

▼募集要項▼

#秋ピリカ応募