【エッセイ】”I have a drink”の難しさ——娘がオーストラリア留学で見つけたもの
カンガルーのロゴマークが印象的なカンタス航空に乗っているとしよう。
あなたの周りは体の大きな外国人ばかり。
まるで映画のワンシーンに入り込んだような世界。
そこにスタスタと金髪で青い目をしたCAさんがやってくる。
"Would you like something to drink?"
(飲み物はいかがですか?)
あなたならどう断る?
”No thank you” ?
それとも、無言で笑みを作って首を横に振る?
娘の場合、行きの飛行機の中、緊張で硬直した顔で「No」としかいえなかった。
そこからのスタートだった。
高校1年生なら、英語を勉強している現役生だしもうちょっと話せるでしょって思う人もいるかもしれない。娘は不安と緊張に蝕まれていた。そして2ヶ月の留学で結果を出すという目標を掲げた重圧と、責任を背負う親のいない初渡航に我を忘れていたかもしれない。しかし、「NO」しか出てこなかった原因はそうではなかった。
渡航当日、ドラゴンクエストのオープニングファンファーレが鳴り響き、これからどんな冒険が待っているか胸高鳴る、そんな勇者のような娘の姿を私は想像していた。
ところが、娘は北極の巨大氷河にポツンとひとり取り残されたような状態だった。
学校選抜での選ばれたのは娘含めて2名。
もう一人の子は寂しさか、不安からか涙を流していたが、私に言わせれば、「まだ泣ける余裕がある子」という感じだった。
娘の出発は、ドジャーズの”ヨシノブ・ヤマモォロ”の立ち上がりのように不安なものだった。
出発してから1週間ほど経って、VlogがLineで送られていた。
大きな鏡に映る自分を撮影する娘が画面に現れた。
部屋は綺麗で超豪華なダブルベッドをひとりで使わせてもらっている様子がわかる。
そして、娘のドス黒い声が聞こえてくる。
「私は元気です。今必死に生きてます」
おいおい大丈夫か。
なぜ小声で話しているのか?
状況がわからず、ただイタズラに不安を煽るだけの動画だった。
私も若い頃、留学を経験した。見知らぬ言語、文化、家族に囲まれて、自分の存在が小さく感じられる……まるでアリスが迷い込んだワンダーランドのように、娘も今その世界に足を踏み入れているのだろうと思うとイタズラ心で頬が緩む。
ホストファミリーのオーストラリア人とリビングにいると仮定しよう。
彼らは気さくに話しかけてくる。
—————何か話してくれている。
もしかして、何か聞かれている?
—————あれ? 返答を待たれている?
……わからない。
いきなりオーストラリア人家族の中に入る。
そして話したいことも話せないもどかしさにただ茫然と過ごすしかない。
そんな無力感に打ちひしがれているのだ。
そして日本の生活がどれほど良かったに気づかされる。
ネイティブ英語が怒涛のように押し寄せる。英語を勉強してきたはずなのに、いざ外国人を目の前にすると何も出てこない。
知ってる単語だらけなのに意味不明。
実生活英語がわからない。
なんとか英単語を口にするのが精一杯。
だいたい最初の1ヶ月は極度のホームシックになり、2ヶ月目で生活に慣れ始めてくる。
だんだん英会話になってくるようになるのは自身の経験から3ヶ月以降だろう。
それも人によると思う。
留学したから英語が話せるようになるというのはあまりに安易すぎる。
そのような夢物語はない。
ホームシックになり、外国人と話せない人は1年留学しても英語は話せないまま帰ってくる。部屋から全く出てこず、強制帰国となる留学ケースも珍しくない。
留学に一番重要なものは、「英語の知識ではなく勇気」という結論に至った私だが、娘はそこに気づいて踏みとどまれるか、不安が頭をよぎる。
間違ってもいい。
失敗しても当たり前。
相手に迷惑かもしれないけど下手くそな英語で話す。
その一歩を踏み込むことができる人が留学に成功する。
娘は一番苦しい最初の1週間を経験したところだったのだ。スマホに映る娘の姿に、かつての自分のセピア色の光景が蘇った。
娘の留学は2ヶ月。このまま潰れて帰国する可能性も大いにあり得る。でもそうなったとしても責めるつもりは全くなかった。
しかし、「娘は私とは違う」という愛情まみれの確信があった。
心配は尽きないがもう、本人に任せるしかなかった。
2ヶ月後、羽田空港の出口ゲートで待っていた。
飛行機が無事着陸して1時間経過した時、娘がゲートから顔を出した。
——————あ、変わった
これが私の第一印象だった。
まず目に止まったのは娘の立ち姿だった。
なんと猫背が治っていた。
なぜ?
そして弾けるような笑顔が印象的だった。
その笑顔こそ、濃い時間を過ごしてきた証拠だった。
娘のホストファミリーは素晴らしい方達で、娘に1室を用意してくれて、プライバシーを尊重してくれた。日本とは少し違った考え方がそこにあった。
海外では個人のプライバシーを尊重してくれる。
良くも悪くも。
家族で食事をしたとしよう。
それから自室に籠る。
食事以外は自室に篭ってしまう。
そういう英会話から逃れて生活すること、”プライバシー”の殻にこもってしまうことができてしまう。それでもその人の選択だから問題ない。それに街に行けば、大抵、日本食レストランもある。味噌汁がソールフードと感動することも可能だ。ただし、本来の目的からは大きくズレることにはなってしまう。それが通常は自信喪失、自己嫌悪に陥ってしまう。
私は2ヶ月だけの留学で、「怖いだけで終わってしまった」としても不思議はないと思っていた。しかし、娘の表情はそんな逃げ帰った表情ではなかった。
娘はホストファミリーの生活スタイルの邪魔をしないように、しかし自室に籠ることなく、常にリビングやダイニングでホストファミリーが集まっている空間に身を置く事を心がけたという。
わからなくてもいい。少しだけしか話せなくてもいい。一緒に過ごす事を最優先したらしい。そのため、勉強も自室ではなく、ダイニングテーブルで家族としていたとか。同年代の女の子が家族にて一緒に宿題をした時、ぶつぶつと何か独り言を言いながら勉強していて、娘は話しかけられていると勘違いして、でもわからないから相槌だけ打ってたら笑われたとか、今では早くも極上の思い出話になっている。
想像してみて。
五人のオーストラリア人の英会話が飛び交って笑っている。そんな中に他人の自分がいる。つたない英語しか話せないし、わからないのに。
—————聞き取れないかもしれない。
もう一回聞き返していいだろうか……。
——————でも同じことを言わせて結局聞き取れなかったらどうしよう。
怖いよ。
自室に篭りたくなる。
逃げたくなる。
でも娘は、それでもその時間を大切にその場に居続けたと話していた。
そしてネイティブだらけの姉妹校へいく。
つたない英語で、英語が当たり前にできる人たちのための英語での他教科授業を受ける。
娘はできることをやったと話していた。
それはノートに記録すること。最初は黒板に書かれた内容を書き写す。そのため、留学前より英語を書く速度が速くなったらしい。
そして、たくさんのクラスメートに自分から話しかけにいったらしい。
もちろん、みんな優しいから留学生と知られていたこともあって、いろいろ助けてもらえたりした。
歌が得意な娘は音楽の授業で、クラスメートとデュエットして大反響だったとか。それからいろいろ話しかけられるようになったとか。でもただ歌が上手かったからってわけでもない。そこにもちょっとした娘の奇策が隠れていた。
娘はクラスメートやホストファミリーに誕生日を祝ってもらっていた。感謝の気持ちを伝えたい。どれほど感動しているか、どれほど嬉しいかを。
「thank you so much」
これだけでは感情がのらない気がしてならなかったらしい。
それから娘は自室の鏡の前で、笑顔の練習をしたのだとか。ホストファミリー一人一人にプレゼントをもらうたびに別々の表現ができるように様々なパターンの表情を鏡の前で練習したとか。流暢な英語で気の利いたセリフが言えない娘は、表情で感情を補うという奇策にでた。
それに”気軽に声をかけられる人”と思ってもらうため、猫背だった姿勢を直したらしい。確かに娘は首がやや前のめりになる猫背だった。
それがスーッと気持ちの良い姿勢に変わっていた。
なんでも猫背のために根暗な人とか、自信なさげな人とかに思われて、声をかけてもらえないのは避けたかったらしい。それは少しでも英会話ができるように。
それは帰国して1週間経ったが思わぬ結果をもたらした。なんとバスの待ち時間とかに知らない老人に声をかけられ、ちょっとした会話をすることが多くなったとか。
また英語向上のため毎日、自分で決めたトピックについて意見を英語で書くという勉強を始めていたらしい。
娘は自分で決めたことはやり抜く大切さを実感してのことだと思う。そのおかげか、1ヶ月過ぎたあたりから、少しづつ色々な会話が出来始めたとか。
それまではホストマザーから食事のことを色々と質問されても「YES」しか答えなかったが、嫌なものは「NO」と意思を伝えることを覚えたとか。そして単語ではなく、短くても文章で言えるように心がけたとか。
そのおかげでたくさんのクラメートと仲良くなり、笑顔でいっぱいの写真がたくさんある。その笑顔は自信に溢れていたのはいうまでもない。
帰りの飛行機で、娘はCAの方に声をかけられた。
CA:”Would you like something to drink?"
娘:(笑顔を添えて)”It`s OK. I have a drink.”
CA:OK.
日本人で高校生なら誰でも知っている英語。
でも”NO” だけでも、”NO thank you” だけでももちろん100%通じるし、意思を示すことができる。
でも娘が目指したのは、それに”I have a drink.”を添える会話。
怖くて不安で蒼白になる娘はもうそこにいなかった。
留学に行く前、「たくさん笑って、たくさん泣いて帰ってくる」と言って旅立った娘。
娘は日本人の、自国での生活の恩恵を全て失って、つたない英語でオーストラリア人に頼る生活を強いられた。一歩踏み出す勇気で自身を奮い立たせた生活は、オーストラリアのホストファミリーやクラスメート達の親切やちょっとした一言で支えられていたことを娘は実感していたのだと思う。英語が徐々に上達していくにつれて、その感謝の気持ちをどうにかして伝えたいという気持ちが、娘の中で溢れてきたのだろう。
それがたった2ヶ月間でも娘をここまで激変させた理由だろうと思えてならない。
笑顔の練習はホストファミリーに気落ちした自分を見せて心配かけたくないというと想いからもあったと聞いた時、胸が詰まり涙目で視界が歪む。
ねぼすけだった娘は帰国以来、朝6時に一人で起きて、ダイニングテーブルにノートを広げて黙々と英語トピック書き出しを続けている。ホストファミリーとの生活の光景を眺めているようで心が和む。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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