「手話できますか?」その一言がまだ残ってる
Apple Storeに行ったとき、スタッフにこう聞かれた。
「手話、できますか?」
それだけだった。
聞かれた瞬間、少し身構えた。
「あ、次に何か来るな」と思ったから。
「ご不便おかけします」とか、
「よろしければ筆談で……」とか、
「もし必要でしたらスタッフを呼びますので……」とか。
これまで、何度も聞いてきた言葉。
でもそのスタッフは、何も言ってこなかった。
確認して、iPadを使って自然に電話リレーサービスを手配してくれた。
大げさな配慮もなく、特別な空気もなく、ただごく普通に。
じわっと、胸が熱くなった。
なんでだろうと思った。
こんなシンプルな一言が、なぜこんなに響くんだろう。
たぶん、「配慮してあげよう」という雰囲気がなかったからだと思う。
配慮そのものが悪いわけじゃない。
でも、「配慮してあげてる」という意識が少し見えてしまうとき、受け取る側は、自分が特別な存在として扱われてるように感じる。
ありがたい。
でも、ちょっとだけ疲れる。
そのスタッフの動きには、その疲れがなかった。
「手話できる人には、こうする」という、ただそれだけ。
まるで、
「カードで払いますか、現金ですか」
と聞くのと同じような雰囲気。
本来その日は、iPhoneを受け取るだけの予定だった。
たまたまApple Vision Proの体験イベントをやってて、
見てたら、スタッフが「体験しますか?」と声をかけてくれた。
せっかく電話リレーサービスも用意してくれてるし、
迷うことなく「お願いします」と言った。
やっぱり、何のストレスもなくスムーズに進んで、最高の体験だった。
電話リレーがあることで、会話が途切れない。
途切れないから、流れに乗れる。
流れに乗れるから、体験がちゃんと体験になる。
あの最初の一言がなかったら、たぶん僕はそのまま帰ってた。
「当たり前として接してくれる」こと。
言葉にすると簡単に見える。
でも実際には、それができてる場所がどれだけあるだろうか。
うまく言葉にするのは難しいけど、
「僕が当たり前にいていい場所だと思えた」
そんな感覚に近い。
排除されてないとか、
受け入れてもらったとか、
そういう大きな話じゃない。
もっと小さな、でも確かな何か。
インクルーシブという言葉は、最近よく聞く。
でも、言葉と実感は別の話だと思っている。
「手話、できますか?」
こんな一言が、こんなに残るのは、
まだそれが「当たり前」じゃないからだと思う。
当たり前が、当たり前になる日は来るだろうか。
