ソーシャルワーカーは、現場で培った「勘」がめちゃくちゃ資産になるよね
みなさんこんにちはKeiです。
救命救急センターが設置されている病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている社会福祉士8年目です。
社会福祉士取得後、最速で認定医療ソーシャルワーカーと救急認定ソーシャルワーカーを取得しました。
毎月5,000PV以上のソーシャルワーク関連のブログやX (フォロワー1,900人以上)などを発信しています。
退院支援計画は、後からいくらでも修正できる
私自身の経験から言うと、退院支援計画は、後からいくらでも修正が効くプロセスであると考えています。
制度の選択をひとつ活用できなかったところで、修正はできますし、面接の内容がイマイチであれば、次の面接で軌道修正を試みることもできます。
退院支援計画は、本来状況に応じて変更すれば良いはずなのですが、組織の仕組みやソーシャルワーカー・他職種との力関係に屈することもあったりなかったり……
この辺は、「ブレーキを踏む技術」の能力差によって大きく変わってきます。詳細は以下の記事で解説しています。
一方で、「自宅の風呂に入りたい」「畑仕事を再開したい」など、退院支援の大枠の方向性は修正がききません。
「このケースは、いま何が一番の問題なのか」
「このクライエントの困りごとは、何なのか」
「この支援は、最終的に何を目指しているのか」
「自宅に帰りたい」という意向があるクライエントに対して、介護施設入所に向けたロードマップをいくら説明しても噛み合うことはありません。
この“最初の捉え方”を誤ると、その後どれだけ丁寧に関わっても、どれだけ時間と労力をかけても、支援全体がズレてしまいます。
私はこれを、「支援が空回りしている状態」と呼んでいます。
現場ではよく「一生懸命やっているのに、なぜかうまくいかないケース」
がありますが、その多くは技法や制度の問題ではありません。
最初に定めた“退院支援計画の方向性”そのものが、クライエントの生活と噛み合っていなかったりします。
エビデンスは、判断を支えるとは限らない
この「退院支援の大枠」を定める際、よく拠り所として持ち出されるのが、エビデンスです。
エビデンスに基づく支援は、否定しづらいですし、反論もしにくいです。
一方で、私は現場での経験が深まるたびに、「エビデンスが本当に判断を助けている場面は、実はそれほど多くないのでは?」と感じるようになりました。
人は往々にして、「自分にとって都合の良いデータ」だけを集めてしまうからです。
先に仮説があって、「このケースはこうなるだろう」と頭の中で決めてから、それを裏付ける情報だけを収集します。
そして、「ほら、エビデンス的にも合っていますよね」と“いかにも”な感じで説明します。
いわゆる、確証バイアスです。
偏見や先入観、固執データや歪んだデータをみて、自分の都合の良いように解釈し、自分にとって都合の悪い情報は無視する傾向。
これは悪意とかではなく、むしろとても人間らしい反応です。
ですが、その時点でエビデンスは、判断を支えるためのものではなく、すでに下した結論を正当化するための手段に置き換わっています。
私自身が「理論的に説明できる支援」をしているつもりでも、実際には「“説明しやすい手段”を選択しているだけだった」という経験を何度もしてきました。
エビデンスを重視するあまり、目の前のクライエントの生活感覚や違和感を「理論上は問題ない」という判断で押し切ってしまい、「一見成立しているようにみえる退院支援も、実はクライエントの生活は何も変わっていない」なんてことが往々にしてあります。
これは、ソーシャルワークの現場において、決して珍しい話ではありません。
退院支援の方向性を決めるのは、「勘」だと思っている
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