愛される理由を必死に探すのをやめたら、ようやく「私」を生きられるようになった
「私のどこが好きなの?」
学生の頃から、私はこの問いに具体的な理由を求めては、自爆を繰り返していました。
私なんかを好きになるなんて…。
それは、愛を確かめるためというよりは、自分が愛されてもいい、正当な理由を探して、安心したかったからだと思います。
今思えば、相当重い女だっただろうなぁ・・・。
これまでの恋人たちは、そんな私の不安を埋めるように、「優しいところ」とか、「物知りなところ」とか、具体的な理由を並べてくれました。
その言葉を聞くたびに一瞬は安心するけれど、同時に、「もし優しくなくなったら?」と、不安にもなる。
でも、15歳年上の今の夫は違いました。
「なんで私のことが好きなの?」
いつもの癖で聞いた私に、彼はこう言いました。
「うーん、理屈じゃないかな」
「いいところはたくさんあるし、素敵だと思うところもたくさんある。でも、だから好きというわけでもない」
その言葉に触れたとき、私は生まれて初めて、愛されるための条件から解放されたような気がしました。
これって恋愛の本質なんじゃないか。
そして、自分を愛することの本質。
「理屈じゃない」という一言が教えてくれた、深読みの迷路を抜け出すための、お話です。
理由がある愛は脆い
今までの私は、自分に自信がないからこそ、愛に条件をつけていたんだと思います。
「〇〇なところが好き」と言われると、その〇〇を死守しなければならない。
優しさが好きと言われれば、怒りや悲しみを押し殺してでも優しくいようとするし、外見を褒められれば、相手の好みに合わせる。
愛されている理由が明確であればあるほど、その理由を失うことが怖くなる。
HSPの鋭いアンテナは、いつしか、彼が好きな私を演じ続けるためのセンサーになってた。
でも、夫がくれた「理屈じゃない」には、私のスペックを評価する視点が含まれていませんでした。
私の良いところも、面倒なところも、弱さも、全部ひっくるめた存在そのものを肯定されている。
重い女の卒業式
私なんかを好きになる理由を外側に探していた頃の私は、結局、自分の心のコップを自分で満たすことを放棄していました。
誰かに「〇〇だから価値があるよ」と言ってもらうことで、ようやく自分に存在許可を出していた。
でも、夫は理屈を放棄することで、私にこう突きつけたんです。
「君がどうであれ、僕が君を好きな事実は変わらないよ」と。
この言葉を受け取ったとき、私はようやく重い女を卒業できた気がしました。
私が私をどう思っていようが、彼が私を好きだと言っている。 その事実に、もう理屈という「許可証」はいらない。
恋愛の本質は「しっくりくる」という直感
恋愛の本質は、きっと条件の足し算ではないんだと思います。
パズルのピースがパチリとはまるような、あるいは、隣にいるのがあまりにも自然で、「なぜ」と問うこと自体が野暮に思えるような、そんな「しっくり感」なのだと思います。
「理屈じゃない」から、頑張らなくていい。
「理屈じゃない」から、ありのままでいい。
夫が教えてくれたこの境地は、私にとって最高のセルフケアになりました。
愛される理由を探して、勝手に誰かと戦ったり、自分を卑下したりする必要はもうありません。
今は、不安になって「私のどこが好き?」と聞く代わりに、心の中で自分にこう声をかけています。
「理由はなくても、私はここにいていいんだよ」と。
今夜、スマホを握りしめているあなたへ
もしあなたが、かつての私のように、パートナーからの愛に根拠を求めて苦しくなっていたら、自分にこう言ってあげてください。
愛に理由はなくていい。
あなたが、あなたとしてそこにいる。 ただそれだけで、誰かにとっての「理屈じゃない愛」の対象になるには、十分すぎるほど十分です。
