見出し画像

検索避けについての私の考え

注意書きとミュートワード

私は 注意書きは必要 だと思っています。
でもそれは「作品を全部隠すため」ではなく、読者やファンが 自分の見たくないものを避けられるようにするため です。

TwitterやPixivのミュートワード機能を使えば、注意書きの言葉を入れておくだけで、検索やホームに出てこなくすることができます。
だから注意書きは「こちらから作品を消すため」ではなく、「見る人が避けられるようにするため」の配慮だと考えています。


検索避けの疑問

一方で、検索避け については私は懐疑的です。

検索避けをしてしまうと、そもそもミュートワードにも引っかからず、完全に「見つからない」状態になってしまいます。
作品が「存在していない」ように扱われるのは、表現者として不自然ですし、SNSの仕組み的にも無理がある。

それに、検索避けを徹底してしまうと、公式のファン層の把握や分析が難しくなる というデメリットもあります。
ファンがどう動いているのか、どの層がどんな表現に反応しているのか──そういう情報は本来、公式にとっても重要です。
検索避けは、オタク界隈では「高尚な行い」とされがちですが、私は必ずしもそうではないと思っています。


利点もあることは理解している

もちろん、オタクたちが言う通りの利点もあります。
純粋なファンや一般層の目に晒されにくくなることで、不快な思いをさせるリスクは減ります。

ただ、それって「ミュートワードを設定していない人」の側の問題でもあるはずです。
表現者が過剰に隠れることで、作品の存在そのものが消えてしまうのは、本当に必要なのか疑問です。


村社会的ルールへの違和感

SNSにおいて「検索避け」や「界隈独自のルール」には、法律的な根拠はありません。
ただの 村社会的なルール に過ぎないのです。

そして私は、オタクであるならむしろ「検索で作品が引っかかる喜び」を理解してくれるはずだと思っています。
見たい人が見つけられることこそ、作品の生命線ではないでしょうか。


まとめ
• 注意書きやミュートワードは「見る人が避けられる自由」を守るために必要。
• でも検索避けは「作品が存在しないことにしてしまう」ので懐疑的。
• ファン層や公式への影響を考えても、そこまで高尚な行為とは言えない。
• 結局は「見たい人が見つけられる喜び」を守りたいし、表現者が過剰に隠れる必要はないと思う。


なので、私は検索避けはしません。
これに納得できない方は、どうかフォローをお控えください。

いいなと思ったら応援しよう!