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あんなにしあわせな両想いなど|エッセイ


紙に小さな丸を書く。
その中にもうひとつ、丸を書き入れてみる。

わたしという人間の中にもうひとりの人間がいるなんて、もはや何の手出しもできない宇宙を感じるほかなかった。




前略

ベビーと一緒にいたときの、ママだったわたしへ。
子どもの頃に母親からママ丶丶ではなくお母さん丶丶丶丶丶と呼ぶように言われていたせいか、自分の子どもにはママと呼んでもらおうとぼんやり考えていましたね。

自分の身体を通り抜けて現れた、片腕におさまるほどのベビーを全身全霊で守ろうとし、小さな彼に誰よりも必要とされる日々に、完全無欠なる両想いを知ったことでしょう。
これからはもう決して独りにはならないと確信したのは、ベビーのそばには間違いなくいつも自分がいるはずと考えたからでした。

1日に何度も目覚めるたびに、彼は生えている髪の毛の全部をまっすぐ上に立てたまま、この世界でいちばん大切なものを発見したような顔をしてそれはうれしそうに見つめてきたものでした。
曇りひとつない目で。
来る日も来る日も。

✳︎

収穫できたのは丈夫なバジルだけで、プランターに植えた野菜のみならず観葉植物さえ枯らしたことがありました。
学校で飼育委員だったことはあっても、家では金魚とサワガニとドジョウしか飼ったことがありませんでした。
そんな自分が初の哺乳類として人間の子どもを守り抜けるのか不安で不安で、まるで無人島にベビーとふたり取り残されたような気持ちで過ごしていましたね。

毎日毎日、1日に何回も体温と同じくらいに温めたミルクをひたすら準備して、とにかく生きてもらわなくちゃと必死だったのを覚えています。

おっぱいオムツミルク消毒、おっぱいオムツミルクお風呂、おっぱいオムツ嘔吐洗濯、おっぱいオムツ発熱病院、おっぱいオムツおっぱいオムツ。
ベビーを視野に入れておかなければと、トイレもお風呂もドアを閉められませんでした。

眠らせない拷問があるとどこかで読みましたが、夜中に数時間でも寝られることがミラクルだなんて、あれほど誰かのために尽くすことはもうこの先にはありません。

もしあの頃のあなたに会えるなら、本当によくやっているから、大丈夫だからと強く抱いてあげたいけれど、もちろんそんなことはできません。
ベビーが泣く隣でママも泣いているなんて、よくあることだし不思議ではないと今ならわかります。
なぜってふたりは同い年だから。
ベビーが0歳なら、ママも0歳なのだということも、伝えてあげられたらどんなによかったかと思います。

✳︎

ママという音は、食べものを意味する「まんま」とよく似ていますね。
飲んで、食べてくれたら少し安心して、ママでいることができたような気がします。
はじめてヨーグルトを口に含んで、そのやわらかなはずの酸味に身震いしてぎゅっと目を閉じたときの彼の表情を今でもはっきりと思い出せます。

テーブルの端で向かい合うベビーとわたし。
ドロドロからトロリと形状を変化させたお粥にミルク、ヨーグルトにつぶしたバナナ、茹でてほぐしたじゃがいもをのせた平たい小皿が並び、窓から昼間の陽があたっていました。
なんだか全部が白くてあかるい部屋で、近くに頼れるほかの大人が少なかったわたしたちは、ほとんどふたりきりでした。

1歳の誕生日を迎えた日にはシンプルなケーキにろうそくを1本立てて、よく無事でと胸をなでおろしたものでしたね。
近所に1軒だけあったパティスリーにいちごのバースデーケーキを頼んだものの、やっぱりと思い直して自分でも小さなケーキを焼いたのでした。
願いをかけるろうそくは素朴なケーキの方に。
たしかあれが彼にとってはじめての生クリームでしたね。
スポンジの側面をホイップで覆いきれなかったけれど、そんなことはなんでもありません。
われながら信じられないほど力を尽くして、小さな命をよく守りました。
もっと誰かに褒めてもらうべき365日でした。
心から拍手を贈ります。



食べものは体と心を作るから、自然なものをと気を配ったのはちゃんと意味があったと思います。
大きくなったらジャンクなものをきっとたくさん食べるだろうからと予想したのは、まあその通りになりました。
でも彼は「だし」の味をわかる大人になったようですから、それで十分ですよね。

そう、今のわたしのそばに彼はいません。
片時も離れずにいたベビーは、ずっと素直でまっすぐで、ママ以外の誰にも人懐こい子になりました。

桜や菜の花やひまわり、ありんこに蝶やカブトムシ、雀や鳩やつばめも、彼に名前を教えながらあたかも新しい生き物を見つけたような気持ちになったものでした。
公園で何時間もひたすらどんぐりを拾い集めて、まるで子どもに戻ったように過ごした秋の日もありました。
東京で久しぶりに大雪が降ったのはもう中学生になる年でしたが、弟や妹と一緒にはしゃいで頬を真っ赤にして、ちょっぴり土のついた雪でかまくらを作りました。

実はまだずいぶん幼い歳で彼はお兄ちゃんになります。
「あの頃は人相が違ってたよね」と友人に言わしめた、3人きょうだいのママとしての怒涛の日々が待っていることは秘密にしておいた方がよかったでしょうか。
この話はまた今度。

✳︎

車で高速道路にのるか下道を行くかのように、子どもを持つかどうかはどちらか一方しか体験できません。
時おり、自分の知らない方の道を想像してみたりもしていますね。

「母性という神話」(エリザベート・バダンテール著)という本をを覚えていますか。
実家の本棚からそっと持ち帰って来たその本には、子どもがうまれたからといって誰でも自動的に母になれるわけではない(わたしの解釈では)と書かれており、大いに勇気づけられたものでした。

あなたも知っている通り全力でやったつもりだったけれど、子どものかわいさに驚かされ、大切に思えば思うほど守れなかったらとこわくなるばかりでした。

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不安で迷うことの多い毎日だと思うので、現実におこることもいくつか伝えておきます。
これまでの年月には、自分の所にうまれて来てくれてよかったのだと到底思えない日も多く訪れました。

わたしはどうやら結婚相手を見る目が曇っていたようで、消えないマイナスの記憶を背負ったし、子どもにもそれを背負わせました。
親と同じ過ちをする大人にはならないよう、父親である人の行いのどこが暴力でどのように間違っていたのかを、子どもたちには説明してきたつもりです。

ある晩ベビーが高い熱を出したとき、酔って帰宅した父親は、やっと寝かしつけたからと言ってもなぜ抱っこもさせないのかとあなたの胸ぐらを掴みましたね。
それでもベビーの眠りを守ったあなたは勇者でした。

小学4年生の頃だったか、口答えをするまでに成長した彼は、父親を怒らせて家を出ていけと怒鳴られます。
もう暗い時間にサッカーボールだけを持って本当に家を飛び出して行った彼を追いかけ、夜の公園の暗がりにうつむく姿を見つけました。
それからふたりでドーナツ屋さんに行きました。
チョコレートのかかったドーナツをひとつずつゆっくり食べて、すぐには帰らずに父親に心配させてやろうともくろんだのです。
ちっともうまくいきませんでしたが。

「こんな風にやさしくて大好きな彼氏でした、それが今の夫です」と語る人のことをずっと羨望していたわたしが、頬を打たれて耳鳴りがするほどだったのは夫より子どもの味方をしたときでした。
彼が高校生になった年には壁に穴があいたし、メガネも壊れました。
子どもにしてみればうんでほしいと頼んでなどいないのだと途方に暮れる日もありました。

父親である人とは結局、物理的な距離をとって暮らすことになります。
それからはようやく、本当におだやかな暮らしをわずかずつでも作ってゆけるので、どうか自分の感覚を信じていてください。

いったいどれほどの月日が必要だったのでしょう。
ベビーとママだったあの日から、ずっと一緒に泣いたり笑ったりしながら、悩みも嘘も辛いことも掃いて捨てたいくらいたくさん経験して、長い時間をかけて彼は大人に、わたしは母になったのです。

✳︎

「子育て」という言葉はわたしたちには似合わないように思います。
植物も枯らしてしまうのですから、必死でごはんをあげていたら勝手に大きくなっていた、というのがしっくりくるような気がします。
子どもには育つ力があるのです。

ママ、ママと呼ばれてうれしかったわたしは、まだ身体の中にいくらか残っているかもしれません。
でも本当はずいぶん前にママではなくなりました。
あんなに小さくて弱くて守るべき存在だったベビーは、もう記憶とアルバムの中にしかいないのです。
わたしはまた、ひとりのわたしになりました。

✳︎

ママだったわたしへ。
言っておきたいのは、この人生を過ごしたからには、子どもからもらったしあわせな時間と、後悔でぐしゃぐしゃになった涙も全部、これから先へも抱えてゆくつもりだということです。

絵の仕事は続けられるだけがんばってみてください。
そうすればいつか描けなくなったとしても、また描けるときがやって来ます。
のちに絵本のぐりとぐらが歌う「お料理すること、食べること」に関係する仕事につくことになるのですが、これは子どもによくないものは食べて欲しくないという、とてもママらしい気持ちからつながった道だと言えます。

そしてできることならほんの少しでも、自分のことをいたわってあげてほしいです。   
わずかな時間でも、寝られるときには寝てください。
あなたがしたようには、もうあんな風には誰のことも愛せないと思えるから、わたしは今、わたし自身を大切にしているところ。
しばらく待つことにはなるけれど、またひとりで映画館や美術館にも行けるようになるから大丈夫です。

そうそう、あまいおやつはどんなときも変わらずわたしたちの味方でしたね。
大人になった彼とは待ち合わせてパンケーキを一緒に食べるくらいには仲よしなので、どうか楽しみにしていてください。          
                   かしこ
 
                           



紙に書いた小さな丸が自分で、その中にもうひとつ書き入れた丸をベビーだとする。
その二重丸は、うまれた瞬間に別れてふたつの丸と丸になる。
小さなベビーと一緒にいたから、わたしはママだった。
過去に戻りたくはないけれど、あんなにしあわせな両想いは、ついぞ味わっていない。







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くまのマフィン ここまでお読みいただきありがとうございました。 思いのカケラが届きますように。