仮面の男
見世物小屋で、仮面の男を見た。
「さあお次にご覧に入れますのはこちらの仮面男!この男、仮面を被っただけのただの人間だと思うでしょう?違うのです。なんとこの男、不死身なのでございます。切っても刺しても、煮ても焼いても死にません。またこの男、あまり長い間生きながらえてしまったため、完全に心が無くなってしまっております。喜怒哀楽皆無。何も考えておりません。痛みも、恐怖も、何も感じません。果たしてそんな空っぽな生き人形が人間だと言えるのか。この男の生い立ちはどんなものなのか。それは誰にも分かりません。それではご覧いただきましょう」
法被を着た人の口上の後、横から仮面男に向かって大量の矢が飛んだ。仮面男の体には無数の矢が突き刺ささり、吹き出すように真っ赤な血が流れた。それでも仮面男は平気そうに姿勢を崩すことなく佇んでいた。
私が観たのは殺人ショーではない。見世物小屋だ。あれはきっと血糊を使ったパフォーマンスなのだろうが、いやそうでない訳がないのだが、それでもあの景色は衝撃的で、いつまでも脳裏に灼きついていた。
私は仮面男に思いを馳せた。彼にはどのような経緯があって、見世物小屋であのような芸をするようになったのだろうか。見世物小屋で働く前は何をしていたのだろうか。不死身で心が無いという設定を演じているが、その演目の間、仮面の下では実のところ、何を考えているのだろうか。普段はどんな生活をしているのだろうか。マクドナルドとかに行ったり、テレビを見て笑ったりと、案外普通の人物なのだろうか……。
私は仮面男の素顔が気になってしまい、その場所での開演最終日に見世物小屋に再び訪れた。その日も男の演目は……あった。今度は男は刀で滅多刺しになっていた。
わくわくとした悪い好奇心。私は男の素顔が知りたかった。深夜、見世物小屋が閉演したのちに、小屋の近くでこっそり見張った。仮面男を演じた人物が出てくるのでは無いかと信じて。しばらく経つと、男は出てきた。素顔は?と思ったが、なんと男はあの仮面をつけたままどうどうと外に出てきたのだった。
男は歩き出した。私はあわてて後をつけた。男は人気の少ない夜道を淡々と歩いていく。どこへ行こうとしているのかも一切不明だ。いつのまにか少し離れた所にある橋まで来てしまった。すると突然、橋の中央あたりで男が立ち止まったかとおもうと、こちらの方に振り向いてきて、そのままフリーズした。私が後をつけていることを察したのだろうか?ものすごい刺激と緊張感。
男は一切喋らないままこちらを見ていた。まだキャラを保っているとは。すばらしいプロ意識である。
「私がついてきてるの、気づいちゃいましたか?すみません。すごくファンなんです!ファンすぎて、ついてきちゃいました!」
どうしようも無くなって、我ながらとても気持ちの悪いことを言ってしまった。男は、無反応で、そのままぴくりとも動かなかった。
……もしかしてこれはファンサービスなのだろうか。ファン(私)の前で素を出したら夢を壊すから、私が帰るまで今の状態を崩さないでいようとしているのだろうか。だとしたら申し訳ない。
仕方なく帰ろうとしたその時、強い風が吹いた。カラン、と音がした。音の方を見ていると、あの仮面が落ちていた。ということは……!男のほうを恐る恐る見てみると、そこには普通の人間の素顔が……無かった。頭があるはずの部分には何か突っ張り棒みたいなのがあるだけだった。男は、落ちた仮面を慌てる様子もなく拾って付けると、再び橋の上の定位置に佇んだ。
あれは夢だったのだろうか。いや、夢では無い。現実だった。男は本当に空っぽだった。普通の生活も、考えも、何も持っていなかった。社会の中にあの男は存在しなかった。ただあの小屋の中であの演目をしている時だけ確実に存在していたのだ。
私はそれが分かって、仮面男ほど理想的な演者は存在しないと思った。見世物小屋に限らず、世の中の普通の演者には演者の人格そのものと役柄の人格とがある。役柄の人格にノイズを入れないために、演者の人格を一切表に出さないプロ意識の高い演者は今となっては少数派だろう。多くの演者は、テレビやらSNSやらで自己開示をしている。自分からでなくても、勝手に晒される場合もある。とにかく私生活がなんとなく想像できてしまうほどには情報が開示されていることが多い。その結果、演じる役柄に演者の人格がノイズとして乗ってしまうのだ。しかし仮面男はどうだ。彼はそもそも素の人格を持っていないのだ。役柄の人格しか持っていない、というか役柄の人格がなければ存在自体できないのだ。彼は本物だ。なんと美しい存在なのだろうか。
仮面男が人間でないのとかはどうでも良い。私は一生、彼のファンであり続けることを決めた。
