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【エッセイ】【音楽】【映画】人生の重き荷 ザ・バンド「ザ・ウェイト」とブニュエル「ナサリン」

 京都のルネサンスホールだったか、大阪の扇町ミュージアムスクエアだったか、なにせ昔のことなのでとんと思い出せない。メキシコ時代のルイス・ブニュエル(1900~83年)を特集した上映会に連日せっせと通っていた。この時代の作品で一番有名なのは、メキシコシティのスラムを舞台に少年の悲劇を描いたリアリズム色と社会性の強い「忘れられた人々」(1950年)だろう。スタジオから低予算、量産を強いられ、文芸物から娯楽物までジャンルを問わず、きわめて多作な時期だったにもかかわらず、一本として外れがないのに驚いた。全体として記憶はぼんやりとあいまいだが、中でもある作品に打ちのめされるような衝撃を受けたことだけははっきり覚えている。二人の女を従えた神父の放浪、逃避行とその受難を描いた「ナサリン」(1959年)である。抱腹絶倒のコメディのすぐ後に、何の予備知識もなく観たから余計に印象が強烈だったこともあるだろう。しばらく座席から立ち上がれなかったが、「これだったのか」とあることに思い至った。

ルイス・ブニュエル

 ザ・バンドはおろか、60年代のロックについてもよく知らないという人でも、一度はどこかで聴いたことがあり、「いいなあ」と思ったに違いないという意味で、「ザ・ウェイト」(The Weight,1968年)はこの偉大なグループの代表曲といえよう。多くのアーティストにカバーされているゴスペル調の真の名曲、真のスタンダードである。

I pulled in to Nazareth, was feelin′ about half past dead
I just need some place where I can lay my head
"Hey, mister, can you tell me where a man might find a bed?"
He just grinned and shook my hand, "No" was all he said

Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And (and, and) you put the load right on me (you put the load right on me)

I picked up my bag, I went lookin' for a place to hide
When I saw Carmen and the Devil walkin′ side by side
I said, "Hey, Carmen, come on, let's go downtown"
She said, "I gotta go, but my friend can stick around"

Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And (and, and) you put the load right on me (you put the load right on me)

Go down, Miss Moses, there's nothin′ you can say
It′s just ol' Luke and Luke′s waitin' on the Judgment Day
"Well, Luke, my friend, what about young Anna Lee?"
He said, "Do me a favor, son, won′t ya stay and keep Anna Lee company?"

Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And (and, and) you put the load right on me (you put the load right on me)

Crazy Chester followed me and he caught me in the fog
He said, "I will fix your rack if you'll take Jack, my dog"
I said, "Wait a minute, Chester, you know I′m a peaceful man"
He said, "That's okay, boy, won't you feed him when you can?"

Yeah, take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off, Fanny
And (and, and) you put the load right on me (you put the load right on me)

Catch a cannon ball now to take me down the line
My bag is sinkin′ low and I do believe it′s time
To get back to Miss Fanny, you know she's the only one
Who sent me here with her regards for everyone

Take a load off, Fanny
Take a load for free
Take a load off Fanny
And (and, and) you put the load right on me (you put the load right on me)

『The Weight』

 特段、語学的に難解ということはないだろう。ただ一つ一つのエピソードの意味を考え、この歌詞が全体として何を言わんとしているのかとなると、とたんに何のことやら、シュールな夢のようにとらえ所のない、謎めいた歌となる。旅人ないし放浪者である主人公は半分死んだような気分でナザレスという街にたどり着いた。休息できる場所を男に尋ねるも、返ってきたのは「No」というつれない一言。カルメンが悪魔と連れ立って歩いているのを見かける。「ダウンタウンに繰り出そうぜ」と誘うも、「私行かなくちゃ。でも友達の悪魔ならお伴できるわ」と押しつけられる。最後の審判を待つ老いぼれルーク。「若いアンナ・リーはどうする?」と聞くと、「側にいてやってくれよ」と逆に頼まれてしまう。クレージー・チェスターとは彼の飼い犬を巡りちょっとした言い合いになり、結局犬の世話を頼まれる破目に——ここらが潮時と考えた主人公は街を離れ、愛するミス・ファニーのもとに帰ることとする。
 ロビー・ロバートソンの作る歌の多くがそうであるように、ストーリー性があり、映画的であるが、巧みに韻を踏んだ意味深な詩句は聖書的な暗示に満ち、不思議な登場人物たちが織りなす緩やかな因果の物語は一義的な解釈を拒む。ザ・バンドのメンバーたちの実在の知己をモデルにしているというこの人物たちは、主人公及びミス・ファニーとは旧知の間柄なのだろう。ミス・ファニーから何らかの頼みもあってか主人公がこの街にやって来てから、善意で行動しているであろうにもかかわらず、人と会うごとに頼まれごと、厄介ごとを抱え込み、いよいよ抜き差しならなくなって街を後にするまでの物語ということくらいまではいえそうだ。そう、この無益感と徒労感——。
 「ナサリン」を観た時、ロビー・ロバートソンがブニュエルの映画にインスパイアされて「ザ・ウェイト」を作ったという、ライナーノーツか何かで読んだ話を薄っすらと思い出し、それはこの「ナサリン」に違いないとはっきりと確信した。ずっと何となく気になっていたが、答え合わせ的な感じで、ロビー・ロバートソンが具体的に「ビリディアナ」(1961年)と「ナサリン」に言及していることを知ったのは、結構後のことだったように思う。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、「ナサリン」よりはるかに有名な「ビリディアナ」だが、この映画の「ザ・ウェイト」への影響というと、私には正直ピンとこない。ブニュエルのフィルモグラフィの中でもさほど知名度は高くない「ナサリン」だが、アンドレイ・タルコフスキー(1932~86年)はオールタイム・ベスト10の1本に挙げている。
 そもそも「ザ・ウェイト」の舞台となるナザレスという街、聖書でイエスが育った地とされるイスラエルのナザレと、ロビー・ロバートソンが弾いていたマーティンのギターの製造地であるペンシルベニア州のナザレスをかけたものだそうだが、映画のタイトル、ナザレ びとを意味するナサリンと、主人公の名ナサリオも反映されているのだろう。

 ナサリオはマドリードで神学を学び、メキシコに渡って来た若い神父。メキシコシティの貧民窟の置屋の二階に下宿している。彼は持ち物を盗まれ、残った物はことごとく貧しい人に施していたため、無一文に近い。殺人を犯した娼婦アンダラを匿うが、司直の手が伸びるのを知ったアンダラはナサリオの部屋に火を放ち、ナサリオは流浪の旅に出る。つき従うのはアンダラと恋人に捨てられ自殺を企てたベアトリス。この二人の女だけがナサリオを聖者と崇める。善意の人ナサリオは行く先々で面倒ごと、あらぬ誤解、災難に巻き込まれ、苦難が苦難を呼ぶ。だが彼はただ祈るだけで決して状況に抗わない。とうとう官憲に捕らえられる——ナサリオの人物像には、ブニュエルが強い影響を受けたというドストエフスキーの造形による「ドン・キホーテの再来」ムイシュキン公爵やアリョーシャ・カラマーゾフの面影が宿っているといえよう。あるいは日本人なら遠藤周作の無力なイエス像、「おバカさん」としての聖人像を連想するかもしれない——映画のラストシーン、連行されるナサリオ、メキシコの荒野をとぼとぼと歩むバストショット、肩を落とし泣きべそをかく、受難への決意とも諦念ともとれるその何ともいえない表情が、何十年経っても忘れられない——。
 ロビー・ロバートソンがそう喝破しているように、「聖人であることの不可能性」を描いた映画ということができよう。ブニュエルが終生のテーマとした反カトリシズム。「スペインのバルザック」ベニート・ペレス・ガルドスの原作では救いが用意されていたようだが、ブニュエルの映画では救いも希望も一切ない。善因悪果の世界苦。ただ記憶の底、ナサリオの哀れなべそ顔を思い浮かべてみると、悲惨の極から反転した〈聖性〉が、逆光に浮かび上がってくるように思えてならない。それはブニュエルの有名な言葉、Soy ateo, gracias a Dios(私は無神論者であることを神に感謝する)という存在論的な逆説と反響していないか。

『ナサリン』

 「重荷を降ろして楽になりなよ。俺が背負ってやるから」——「ザ・ウェイト」で繰り返される「重荷を担う」というテーマは聖書にも多く登場し、管見ではここはマタイ福音書11章28節の次の言葉と響き合っているように思われる。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」——歌詞のストーリー展開とはストレートには結びつかないようにも感じるが、その飛躍も含めて、ゴスペル(=福音)にふさわしいメッセージだろう。生きることそのものの報いのなさを歌ったようなこの曲で、リフレインされる力強く美しい、それでいて決して簡単ではない技巧を要するハーモニーはザ・バンドの真骨頂であり、すべての肩を落とした旅人に、心を軽くしてやるよと呼びかけるような、彼らの祈りにも似た心意気を感じる。


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橋本 健史 公開中の「林檎の味」を含む「カオルとカオリ」という連作小説をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。心に適うようでしたら、購入をご検討いただけますと幸いです。

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