メグ 第三部

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

第六章 ハニートラップ

きむこが言った。
「まず北川をひっかける。週末になると北川は平和島のバーにひとりで入るのね?」
フレドーがうなずいた。
「あのバーはハッテン場だ。いろんなおとながお楽しみの相手を見つける場所だよ。北川はそこで小島と知り合ったのかもしれない」
きむこが首を横に振った。
「ならそこはダメね。小島と鉢合わせたらマズい。別の店に北川を連れていくのよ」
「わかった。でもどうやって?」
ストラがしゃべりだした。
「北川の前を歩いてわざとお財布を落とすのよ。100ドル札がぎっちり入ったお財布よ。それを北川に拾わせるの。北川がお財布を拾ったタイミングを見計らってお財布を落としたことに気づいたふりをする。そして振り返って『わーどうもありがとう!助かりました。その財布を失くしたら一大事でした。本当にありがとうございます』なんて言って北川の手を握るのよ。でもって『どうでしょう。お礼に一杯ごちそうさせてくださいよ。ぜひぜひ』なんていうのはどうかしら?」

琴玉の部屋のモニターにグラスを持った北川が映っていた。フレドーのスパイグラスが送ってきた映像だ。2040年のスパイグラスは普通の眼鏡とまったく見分けがつかない。フレドーが身につけている隠しマイクは拾った音声を琴玉サーバーに送り、フレドーの左耳の奥に入れられたイヤホンは琴玉からの指示をフレドーに伝えた。琴玉の部屋のスピーカーからフレドーの隠しマイクが拾った北川の声が聞こえてくる。
「まあここだけのハナシ。理事と言っても役員報酬を受け取るだけでしてね。仕事なんかなーんにもない。月に一回学校に行って、理事長の言ってることに賛成してりゃいいだけなんですよね」
そう言うと北川はゲラゲラ笑いだした。
琴玉がパソコンのマイクをオンにした。
「いいかんじで酔ってきたじゃねえか。だが正体をなくすほど飲ますなよ。そんでもって、そろそろきりだしていい頃合いだ」
フレドーがテーブルに自分のグラスを置いた。
「いいですねえ。私なんか貧乏ヒマナシ。毎日あくせくやってます。生意気な子どもを相手にね」
「そういえばあんたのお仕事は?まだ伺ってませんでしたね?」
「私ですか。私は子役専門の芸能プロダクションを経営してます」
北川がフレドーをまじまじと見た。
「子役専門の芸能プロダクションだって?」
そう言うと北川はグラスの酒を口に含んでごくりと飲みこんだ。
「あんたと同じ仕事をしている知り合いがいますよ。小島という男なんですがね」
琴玉の部屋のきむことメグとバッチョとストラが身を乗り出した。四人は琴玉の部屋のモニターを見つめる。フレドーは北川を見てにやりと笑った。
「小島さんならよく知ってます。同業者ですからね。品川を中心に仕事をしている人だ。なんだそうだったんですか。それならハナシが早い。小島さんは中学生が専門ですね。実は私も中学生が専門なんですよ」
北川が驚いた顔をする。フレドーは北川の耳に口を寄せて小声でささやいた。
「男の子がお好みですよね?」
北川は横目でフレドーを見ながら小さくうなずいた。フレドーは北川の手を指さして言った。
「そちらは何人ですか?」
北川は指を三本立てた。琴玉がきむこにたずねた。
「豊田は蒲田キリスト教学園の常任教師だよな。大丈夫か?」
「豊田は高校の先生だから大丈夫よ。わたし豊田の顔なんて見たことなかったもん」
メグがうなずく。モニターに映るフレドーは自分のグラスを見ながら北川にたずねた。
「小島さんにはいくらお支払いしましたか?」
北川がフレドーの右耳に口元に寄せた。フレドーがうなずいた。
「うちも同額でいいです。でも1割はあなたにキックバックします。ですから今後は小島さんではなくウチをごひいきにお願いしますよ」
北川がうすきみ悪い笑みを浮かべる。フレドーはそっぽを向いて言った。
「支払いはドル紙幣です。本来は先に半分頂くのですが、今は持ち合わせがないでしょう。あなたは小島さんと取引された方だ。信じますよ。当日に現場で全額お支払いください」
「日にちと場所は?」
フレドーがスマホを取り出してタップした。
「6月28日の木曜日です」
理事会は6月29日の金曜日だ。この日の理事会で山崎理事長の寄附行為変更議案が議決される。北川がスマホを取り出した。フレドーはその様子を見ながらハナシを始めた。
「京急品川19時3分発の特急羽田行き4号車の先頭。会話は禁止です。他のお二方にはそれだけ伝えてください。降りるのは第3ターミナル駅。2階の改札を出た横の外貨両替所前で待機してください。15分くらいしたら私がそこに迎えにいきます」
北川がうなずきながらスマホをフリックする。フレドーは自分の爪を見ながら言った。
「それから、キャンセルや変更は一切なしでお願いします」
「承知しています」
フレドーと北川はそれからしばらく雑談して席を立った。フレドーが料金を払って店を出ると外に北川が立っていた。北川はフレドーに軽く会釈して平和島駅の方に歩き去った。フレドーは北川に背を向けて歩いて行った。フレドーを追い抜いたコニーがフレドーの前を歩く。琴玉の部屋のモニターにコニーの後ろ姿が映った。二人はコインパーキングに停めてある軽トラに乗り込んだ。運転席のコニーがコインパーキングから軽トラを出す。助手席のフレドーはスパイグラスを外してため息をついた。琴玉の部屋のモニターが暗くなる。
「フレドーおつかれさん。上出来だったよ」
琴玉がそう言うときむこが琴玉の右横に来た。
「ちょっとフレドーあんた。北川を見ながらハナシをしてよ。肝心の会話で北川の表情がわかんなかったわよ」
軽トラの助手席でフレドーがかぶりを振った。
「わるかった。でもな。あいつの顔を見ながらハナシをしているとムナクソ悪くてよ。自分の顔にそれがでちまいそうで……」
そう言ってフレドーは押し黙る。きむこが訊いた。
「どうしたのフレドー?」
「きむこ。申し訳なかった。メグとストラとバッチョにも謝るよ。おれはなんだかおまえらに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。オトナを代表して謝罪します。申し訳ありません」
運転席のコニーは横目でフレドーを見ながらうなずいた。きむこが言った。
「なにいってんのよ。みんなで考えた作戦をフレドーが実行してくれただけじゃん」
メグが言った。
「フレドーはうまくやったわ。帰ったらみんなで歌舞伎揚げでも食べましょう」
ニコニコしながらきむこが言った。
「わたしがじいちゃんの竹鶴17年をかっぱらっておいてあげるわよ。お楽しみにね!」

翌日の放課後。きむことメグとストラがチャペル正面入口の扉から出てきた。メグが言った。
「エグチのあの熱意はなんなの?どうかおれにやらせてくださいって土下座したわよ」
「エグチはふてぶてしいからこの役は不適格よ。もっとおどおどビクビクしている子がいいんだわ。あのクソ変態理事どもはそういう男の子がお好みでしょうから」
きむこがそう言うとストラは苦笑した。
「精一杯おどおどビクビクして必ず成功させます!って言ってたから大丈夫でしょ。マツモトは『自分は手先が器用だからバッチョと一緒に小道具係をやりたい』って言ってたし。ちなみに小道具ってなんなの?」
「他校の制服が三着。MDMAに似せた錠剤。それと」
メグが言いかけたところきむこはひじでメグの脇を軽く突いた。理事長の山崎がこちらに向かって歩いてくるのだ。山崎は下卑た笑みを浮かべながら、きむこたち三人に軽く手を上げて指をひらひらと動かした。作り笑顔で山崎に応えたきむこたちは山崎とすれ違った後もしばらく黙って歩いた。メグがちらっと振り返ると、後ろ手を組んだ山崎がチャペルを眺めていた。
「山崎のクソじじい。気持ち悪い。なによこれ」
そう言うとストラは山崎をまねをして指をひらひらと動かした。きむこが言った。
「余裕かましてるのも今のうちよ。ほえづらをかかせてやるわ」

6月28日。19時30分。羽田空港第3ターミナル駅。2階改札横の外貨両替所前に蒲田キリスト教学園理事の北川と豊田と鈴木が立っていた。フレドーはれいによってスパイグラスをかけ、着衣の内側に隠しマイクを仕込んでいた。デイパックを背負ったフレドーは外貨両替所の反対側にあるバス・チケット売り場の横に立って理事たちの様子を伺っている。フレドーがスマホをフリックした。
フレドー:理事たち3人が待ち合わせ場所に着いた
コニー:了解
コニーはカーネルホテルの駐車場に停めたワンボックスの中で待機していた。カーネルホテルは羽田空港の向かいにある川崎のホテルだ。多摩川を挟んだ真正面に羽田のB滑走路があるので、全客室で離陸し迫りくる旅客機を眺めることができた。第3ターミナルとホテルを行き来するシャトルバスも出ており、3人の理事はこのシャトルバスでホテルに来る予定だ。きむこたちが計画した作戦はこのホテルで実行される。ワンボックスの助手席にはマツモトがすわり、後部座席にエグチとカモガワとヤマガミがすわっていた。運転席のコニーが振りかえってエグチらに言った。
「おいおまえら。絶対にしくじるんじゃねえぞ。理事どもに芝居だと気づかれたらおまえらの責任だからな。バレたらおまえらの人生も終わりだ。わかってるだろうな」
ずいぶんキツイ言い方だがコニーは『エグチたちにプレッシャーをかけて不安を煽れ』ときむこに指示されているのだ。実のところエグチら三人もそれに気づいており、不安に恐れおののく演技をしてコニーを安心させていた。コニーがスマホをフリックした。
コニー:こちらも問題なし。本部のモニターはちゃんと映ってますか?
本部はれいのごとく田虫屋敷の琴玉の部屋だ。琴玉の前にはモニターが二つあった。左のモニターはホテルのプライベートルームに仕込んだ隠しカメラからの画像を映しており、右のモニターはフレドーのスパイグラスからの画像を映していた。左のモニターに食事の準備を終えて部屋を出ていくホテルのスタッフが映っていた。この隠しカメラはホテルのWi-Fi経由で通信しているのだが、レイテンシーに問題はなかった。琴玉の背後にはきむことメグとストラが立っていた。バッチョはカーネルホテルで待機中だ。琴玉がスマホをフリックした。
琴玉:プライベートルームの画像もスパイグラスの画像もきれいに映っている。作戦開始だ
ワンボックスの運転席側のドアが開いてコニーが降りてきた。コニーが後部ドアを引き開けるとエグチとカモガワとヤマガミが降りてくる。四人はカーネルホテルのエントランスに向かって歩き出した。バス・チケット売り場のフレドーはスマホを上着のポケットに入れると外貨両替所に向かって歩き出した。フレドーは北川に声をかけ、四人はエスカレーターに向かった。エスカレーターで1階に降りると出入口の真正面にカーネルホテル行きのマイクロバスが停まっていた。四人はマイクロバスに乗り込んだ。作戦本部の左のモニターにコニーとエグチら三名がプライベートルームに入ってくる様子が映った。プライベートルームの隠しカメラには隠しマイクも付いており、作戦現場の音声を拾って作戦本部のスピーカーに出していた。琴玉がスマホをフリックした。
琴玉:男の子たちがプライベートルームに入った
きむこたちはスパイグラス用の右モニターを見ていた。海の彼方に海ほたるの風の塔が映っている。
フレドー:理事たちを乗せたバスは多摩川スカイツリーを渡っている
左モニターに映っているコニーがスマホを見てうなずき、プライベートルームから出て行った。エグチら中二男子3名はテーブルを前に横並びですわっていた。彼らは蒲田キリスト教学園より偏差値が10以上高い私立中学の制服を着ている。愚劣な理事どもはそういうのがお好みだというきむこの発案だ。エグチらの正面の壁際に料理を並べたテーブルが置かれている。作戦遂行中にホテルのスタッフを部屋に出入りさせるわけにはいかないのでビュッフェ形式にしたのだ。作戦遂行中はフレドーとコニーとバッチョがホテルのスタッフが作戦現場に入ってくるのを防ぐ手筈だ。ホテルの外は駐車場のワンボックスで待機しているマツモトが監視していた。プライベートルーム用の左モニターに料理の前に立つカモガワの姿が映る。カモガワは皿に料理をてんこ盛りにして立ったままかきこんだ。ヤマガミはあたりをきょろきょろと見回している。エグチはグラスの水をやたらに飲んでいた。スパイグラス用の右モニターにカーネルホテルのエントランスが映った。シャトルバスがホテルに到着したのだ。バスを降りたフレドーと理事たち三人はホテル入口のすぐ横のロビーのソファに腰掛けた。フレドーは理事たち三人の対面にすわった。
「みなさんの部屋のチェックインは済ませてあります」
フレドーはそう言ったがそんなの嘘だ。
「当然ですが撮影は厳禁です。持っているスマホをすべて出してください。私が預かります」
理事たちがスマホを出してテーブルに置いた。北川と鈴木は二つ持っていたので計五つあった。きむこはスパイグラス用の右モニターに映る理事たちのスマホを見て言った。
「五つね。よし」
フレドーは少し身を乗り出して言った。
「みなさんに説明しておきたいことがあります」
理事たちも身を乗り出す。フレドーは小声でささやいた。
「男の子たちは、実は今日が初めての体験です。とても緊張しています」
理事たちは顔を見かわして気色の悪い笑みを浮かべた。スパイグラス用の右モニターを見ていたメグとストラが目をそむける。フレドーは上着の内ポケットからハンカチで包んだなにかを出してテーブルの上に置いた。
「ですので、会食が始まったら男の子たちにこれを飲ませてあげてください。緊張がほぐれます」
北川が小声でたずねた。
「これはなんですか?」
フレドーがささやいた。
「MDMAです」
理事たちがフレドーに頭を寄せた。北川もささやくようにたずねた。
「何錠飲ませれば?」
フレドーは理事たち全員に見えるように人差し指を立てた。
「これを飲むと緊張が和らぐだけでなく、とてもフレンドリーになります。また積極的にもなります。10分で効きますので、なるべく早く飲ませてあげてください」
理事たちはまた顔をみかわした。北川がテーブルに置かれたハンカチの包みを上着の内ポケットに入れた。プライベートルーム用の左モニターにはしこたま料理を食べたカモガワがなに食わぬ顔で自分の席にすわり、エグチとヤマガミは身を固くしてすわっている様子が映っている。琴玉はパソコンのマイクをオンにした。
「フレドー。男の子たちは準備OKだ。北川にスマホを返してプライベートルームにご案内しろ」
フレドーが立ち上がる。
「では行きましょうか。エレベータはあちらです。北川さんはちょっと」
フレドーは鈴木と豊田を先に歩かせ、二人から少し距離を置いて北川と並んで歩いた。北川はふところから封筒を出してフレドーに渡した。フレドーは歩きながら封筒の中をあらためる。フレドーが北川に耳うちした。
「キックバックはのちほどお渡しいたします。ああそれから……」
フレドーは持っていた理事たちのスマホを広げ、自分のスマホをひとつ取るようにと北川を促した。
「プライベートルームで何かあったらもう一つの自分のスマホに電話してください。会食中の撮影は厳禁ですよ。食事が終わって個室に移るときにいまお返したスマホも預かります。いいですね」
フレドーと理事たちはエレベーターに乗った。扉が閉まるとフレドーが早口でしゃべりだした。
「みなさんがプライベートルームに入ると男の子たちは自己紹介をしてくれます。名前ではなく各々の部屋番号を言いますのでよく覚えておいてください」
理事たちはうなずいた。フレドーがハナシを続ける。
「1時間ほど経ったら男の子たちを先に部屋に戻します。みなさんは自分の相手を決めて私に部屋番号を言ってください。カードキーを渡します」
嘘を並べ立てたフレドーがエレベーターの階数ボタンを押した。
「さていよいよだ」
作戦本部の琴玉が言った。エグチら中二男子三名はイヤホンなど着けておらずスマホも持っていない。作戦の邪魔になるからだ。何度もリハーサルを重ねたとはいえ、琴玉やきむこたちはプライベートルームの作戦を左モニターで見守るしかなかった。フレドーがプライベートルームの扉の前で立ち止まった。
「私はここで待機しています。みなさんは男の子たちをリラックスさせてあげてください。とても緊張しております」
そう言ってフレドーはプライベートルームの扉を開けた。琴玉の部屋の左モニターにプライベートルームに入って来る理事たち三人の姿が映る。エグチら中二男子三名が同時に立ちあがった。
「403番です」とエグチ。
「404番です」とカモガワ。
「405番です」とヤマガミ。
三人とも直立不動、緊張の態だ。理事たち三人は中二男子三名と向かい合ってすわった。北川は苦笑をもらして猫なで声で言った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
鈴木と豊田が北川を見る。北川は二人を見返してふところからハンカチに包んだMDMAを取り出した。ハンカチをテーブルに置いて包みを解く。赤、青、黄の錠剤がそれぞれ2錠ずつ現れる。北川は錠剤の乗ったハンカチを中二男子三名の前に差し出した。
「これを飲むとリラックスするからね。ひとり1錠ずつ飲みなさい」
カモガワがエグチを見た。エグチはうつむいたままじっとしている。ヤマガミを見るとヤマガミもカモガワを見ていた。二人は錠剤に手を伸ばした。ヤマガミが青い錠剤をつまむ。カモガワは赤い錠剤をつまんだ。錠剤を手にした二人はエグチが錠剤を取るのを待つ。エグチもゆっくりと手を伸ばして黄色い錠剤をつまむ。北川が言った。
「さあ飲みなさい。10分くらいで気分がよくなるからね」
中二男子三名は錠剤を口に入れてグラスの水でごくりと飲みこんだ。
作戦本部の面々は左のモニターを黙って見つめていた。作戦現場の中二男子三名も黙ってすわったままだ。理事たち三人も黙ってすわっている。10分経過した。蒲田キリスト教学園の理事であり教師でもある豊田がニヤニヤしながら言った。
「その制服は白楽学院だね。みんな賢いんだ。蒲田キリスト教学園あたりの生徒とは大違いだね」
中二男子三名はうつむいて黙ったままだ。豊田はバツの悪そうな顔をしてなにも言わなくなった。他の理事たちも黙ったままだ。更に10分経過する。北川と豊田が腕時計を見た。鈴木が眉を曇らせて露骨にため息をつく。左のモニターを見ているきむこが言った。
「よし今だ。いけヤマガミ。泣け!」
きむこの声が聞こえたかのようにヤマガミは突然顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。
「うう。あの……あの、すいません。ぼくもう帰っていいですか。無理。もう無理」
エグチとカモガワは小さくなってうつむいていた。焦った北川の目が泳ぎだした。
「な、なあきみたち。クスリをもう1錠飲んでみたらどうだろう?」
エグチは黄色い錠剤をさっと取って口に放り込んだ。競うようにカモガワも赤い錠剤を取って口に入れた。涙と鼻水を垂れ流しているヤマガミも残った錠剤をつまんで口に入れた。それからまたしばらくヤマガミはしくしくグスグスと泣き続けたが、ヤマガミの泣き声の調子がだんだん変わってきた。
「うえ、うお、うは、うひ、うひひひひ。うひゃひゃひゃひゃ。きゃはははは」
ヤマガミが哄笑し始める。エグチが顔を上げた。顔面があぶら汗まみれだった。カモガワは顔を伏せたままガクガクと震えている。ヤマガミが突然で歌いだした。
「ひっとりのぞうさんっくものすにぃ、かかあってあそんでおりましたあ。あんまりゆかいになったのでぇ、もひとりおいでとよびましたあ」
顔面あぶら汗まみれのエグチの下腹部から大量の水気を含んだ破裂音が長々と鳴り響く。同時に凄まじい悪臭がプライベートルームに充満した。カモガワは顔をあげて凄まじい勢いで嘔吐した。カモガワの正面に座っていた理事兼教師の豊田が大量の吐瀉物を顔面に浴びる。口と鼻を両手で覆った北川と鈴木は椅子を蹴って豊田から遠退いた。ヤマガミは立ち上がって歌い続けた。
「ふったりのぞうさんっくものすにぃ、かかあってあそんでおりましたあ。あんまりゆかいになったのでぇ、もひとりおいでとよびましたあ」
ヤマガミは絶唱し白目をむいて爆破解体された建物のように崩れ落ちた。北川が立ちあがって倒れたヤマガミをのぞき込む。ヤマガミは死んだように横たわっていた。唖然というか呆然というか恍惚ともいえそうな表情を浮かべたエグチは下腹部から異様な爆裂音と強烈な悪臭を放ち続けていた。カモガワが再び激しく嘔吐する。北川が震える手でスマホをタップした。スマホの画面に【北川仕事用携帯 発信中…】の文字が表示される。
15秒後、デイパックを背負ったフレドーがプライベートルームに入ってきた。異常な光景と凄まじい悪臭にフレドーは尻込みした。だが床に倒れたヤマガミをみつけると慌ててその傍に駆け寄った。フレドーがヤマガミの脈をとろうと手首を持った瞬間、ヤマガミが激しく痙攣する。フレドーが叫んだ。
「いかん!舌を噛むぞ!おしぼりをよこせ!」
鈴木がテーブルのおしぼりをフレドーに渡した。フレドーはヤマガミの口におしぼりを突っ込む。ヤマガミの痙攣が突然止まった。フレドーはヤマガミの胸に耳をあてた。
「やばい」
スマホをタップして叫んだ。
「非常事態だ。大至急AEDを持ってこい。すぐにだ!」
ヤマガミのほほを叩いて耳元で怒鳴った。
「おいわかるか。聞こえるか。返事をしろ!」
返事はなかった。ヤマガミの胸を見ながら10秒数える。呼吸もない。フレドーはヤマガミに胸骨圧迫と人工呼吸を施し始めた。怖気づいた理事たちは部屋の隅に固まって呆然と修羅場を見ていた。悪臭を放つエグチはぐったりと椅子にすわり込んだまま動かなかい。カモガワも自分の吐しゃ物の中に突っ伏したままピクリともしなかった。AEDを持ったコニーが駆け込んでくる。コニーはヤマガミの横に膝まづいてAEDのカバーを開けた。AEDの音声ガイダンスがしゃべり始める。
「胸を裸にしてください」
コニーはヤマガミのシャツのボタンをはじき飛ばして胸を裸にした。
「胸が露出したらフィルムをはがし、パッドを取り出してください」
AEDの言う通りにする。
「緑のパッドを胸に、黄色いパッドをわき腹に、しっかりと貼ってください」
胸とわき腹にパッドを貼った。
この間もフレドーはヤマガミの胸骨圧迫を中断することなく続けている。AEDが言った。
「身体に触れないでください!」
フレドーは胸骨圧迫を止めて両手をあげた。
「心電図を調べています。………電気ショックが必要です。身体から離れてください!」
フレドーとコニーがヤマガミの身体から離れた。AEDから警告音が鳴り響く。
「充電中です」
警告音が止まる。
「点滅しているボタンを押してください」
コニーがフレドーを見た。フレドーがうなずく。コニーはボタンを押した。
ヤマガミの身体がギュっと緊縮する。
「電気ショックが完了しました。ただちに胸骨圧迫を始めてください」
AEDは機械的に言った。ヤマガミの様子に変化はない。フレドーは途方に暮れてコニーを見た。
「たのむ。代わってくれ」
フレドーが頭を下げた。コニーがヤマガミの胸骨圧迫を再開する。作戦本部では琴玉がスマホをフリックしていた。
琴玉:バッチョへ。そろそろ掃除道具を持ってロビーで待機してください
バッチョ:はい
スマホを尻のポケットに突っ込んだバッチョが駐車場のワンボックスに向かって歩きだした。ワンボックスの助手席のドアをノックする。ドアが開いてマツモトが降りてきた。バッチョはワンボックスのリアゲートを開ける。二人は車の後部に積まれたキャリーケースを次々に降ろした。キャリーケースは全部で四つあった。バッチョがリアゲートを閉め、マツモトはドアをロックしてスマートキーを運転席の下の地面に置いた。バッチョとマツモトは各々2個づつキャリーケースを転がしてカーネルホテルのエントランスに向かった。プライベートルームではマツモトの蘇生処置が続行中だ。フレドーはコニーの施す胸骨圧迫を見つめていた。フレドーの背後でどさりと音がした。フレドーが振り返る。エグチが椅子から転げ落ちていた。フレドーは口と鼻を手で覆いながらエグチの様子を見た。
「おい。こいつもやばいぞ」
立ちあがったフレドーはテーブルに突っ伏しているカモガワの背中に手を当てた。
「こいつもだ」
蒲田キリスト教学園の理事たちは部屋の隅で立ちすくんでいる。フレドーが理事たちを指した。
「おい。おれはこのお客さんたちを外に連れ出す。お客さんたちがここにいちゃマズい」
額に汗の粒を浮かせてヤマガミの胸骨を押しているコニーが慌てて顔をあげた。額の汗が飛ぶ。
「おれをここに置き去りにしないでくれ。ひとりでこの状況に対応するのは無理だ!」
「わかってる!もっと人を来させる。AEDもだ。AEDがなきゃどうにもならん」
そう言うとフレドーは自分のスマホをタップして作戦本部の琴玉に電話をかけた。
「カーネルホテルで緊急事態。子ども三名が心肺停止です。AEDと人をよこしてください」
左のモニターを見ていた琴玉はパソコンのマイクをオフにしてスマホでフレドーに答えた。
「理事のひとりがゲロまみれだぞ」
フレドーは理事たちを見渡して豊田を指さした。
「その理事さんの汚物をきれいに拭ってください。そんななりではホテルの中を歩けません」
北川と鈴木が慌ててテーブルのおしぼりを掴んで豊田に付いた吐しゃ物を乱暴に拭い始めた。作戦本部の琴玉は琴玉チャットを見ている。
バッチョ:ロビーで待機中
琴玉は電話でフレドーに指示した。
「バッチョはロビーで待機中だ。理事たちを連れてホテルを出ろ」
フレドーが理事たちを見た。北川と鈴木がおしぼりで豊田を顔や衣服をゴシゴシと拭っていた。フレドーが言った。
「そんなもんで大丈夫です。早くここから出ましょう」
コニーがヤマガミに胸骨圧迫を施しながらフレドーを見上げた。フレドーがうなずく。
「大丈夫だ。すぐに応援とAEDがくる。すぐにくるからな。それまで持ちこたえろ」
そう言うとフレドーはプライベートルームの扉を開けて理事たちを先に出した。最後にフレドーがコニーを見て室外に出た。プライベートルームの扉が静かに閉じる。コニーが低い声で言った。
「本部のOKが出るまでもう少しそのままでいてくれ。理事たちが戻ってくるかもしれない」
中二男子三名はじっとしていた。

バッチョとマツモトは1階ロビーのソファにすわっていた。二人は4つのキャリーケースに囲まれているが、ロビーにはキャリーケースをいくつも抱えた宿泊客が他にもいるので目立つことはなかった。バッチョはエレベータを見ていた。エレベーターの扉が開いてフレドーと理事たちが出てくる。フレドーを先頭に理事たち三人がロビーを横切って外に出て行った。バッチョがスマホの琴玉チャットに目を向けると新たなメッセージが現れた。
琴玉:バッチョへ。プライベートルームの前で待機してくれ
バッチョが立ちあがってマツモトに言った。
「よーし。行こうか」
マツモトも立ちあがる。二人はキャリーケースを転がしてエレベーターへと向かった。

三人の理事を連れたフレドーは中二男子たちを乗せてきたワンボックスへと向かった。フレドーのスパイグラスの画を映す作戦本部の右モニターにワンボックスの黒い影が現れた。

プライベートルームの扉の前にキャリーケースを転がしたバッチョとマツモトがやってきた。

フレドーはワンボックスの下からスマートキーを拾い上げてドアのロックを解除した。引きドアを開けて理事たち三人を後部座席に押しこむと自分は運転席に乗りこんだ。エンジンが始動し、ワンボックスが走り始めた。

スパイグラス用の右モニターを見ていた琴玉がスマホをフリックした。
琴玉:バッチョへ。理事たちを乗せた車が動き出した。撤収開始

バッチョがプライベートルームの扉を勢いよく開けた。
「はーい!みなさんおつかれさまでうおっぷっ。くっさっ。凄まじい…」
バッチョは鼻をつまんだ。エグチがむくりと起き上がる。
「うーわっ。これは我ながら臭いですな」
そう言うと自分の下半身を見た。カモガワも顔を上げた。
「臭いよエグチくん。きみは昨日いったい何を食べたんだ。うんこか?」
コニーはヤマガミに問いかけた。
「胸は大丈夫かい?痛くないか?心臓は動いている?」
ヤマガミがガバっと起きあがった。
「大丈夫です。にしても臭い。ホントなに食べたんだエグチは」
水泳用ゴーグルとN95医療用マスクを装着したマツモトが部屋の窓を開ける。外の風が入ってきた。作戦場所を決める際に窓の開閉が可能なことを条件にしたのは大正解だった。臭気が和らいできた。マツモトはキャリーケースを開け中からビニールシートを取り出して床に広げた。エグチがビニールシートの上でズボンを脱ぎだす。
「昨日は焼肉とニンニク餃子をしこたま食べますたよ」
当人を含む全員がエグチの下半身から目を逸らした。エチケットなどではなく単に見たくないからだ。コニーがスマホを見た。
「いま8時50分ですよみなさん。9時半までにこの部屋を完璧に原状回復しなけりゃいけません。なにとぞよろしくお願いいたします。おれは部屋の外で見張りに立ちます」
そう言うとコニーは部屋の外に出た。閉めた扉に背中をあずけて一息つくとスマホをフリックする。
コニー:男の子たちは全員問題ありません。元気です

作戦本部の面々が安堵の笑みを浮かべた。琴玉は左側に立っているきむこを見上げて言った。
「排せつや嘔吐を秒刻みのタイミングでやるのは容易じゃねえ。こりゃあ立派な仕事だぜきむこ」
きむこがうなずいた。
「エグチとカモガワは多摩川の土手のトイレにこもって時計を見ながら下剤や催吐剤を何種類も試したのよ。ヤマガミのラリった演技も良かった。わたしはあいつらを大いに見直したわ」
琴玉の右側に立っているメグも深くうなずいた。
「あたしもよ。あいつら見上げた根性だわ。あっぱれ」
中二男子三名はゲロと脱糞とラリラリの演技で中二女子二名に大いに見直された。作戦本部の琴玉がスマホをフリックする。

作戦現場のバッチョが琴玉チャットを見た。
「きむことメグがきみたちのことをほめちぎっているってよ」
バッチョがそう言うとエグチは隠しカメラに向かって言った。
「ストラさんはなんていってるんですか?ストラさんは」
琴玉チャットにストラからのメッセージが現れた。バッチョが読み上げる。
「みんな素晴らしかったわ。特にエグチくんのあのお尻の大音響は私の心の琴線に触れました」
カモガワとヤマガミが、モニターからは画と音しか出ないからそんなことが言えるんです。この悪臭を嗅いだら琴線も何もかもぶっ飛びますよ。といった趣旨の不満というかやっかみの声を上げた。マツモトが次々とキャリーケースからお掃除グッズをとり出した。キャニスター型掃除機、掃除機用水洗いクリーナーヘッドその名もスイトル、ドライヤー、重曹、セスキ炭酸ソーダ、クエン酸、酸素系漂白剤、使い捨て手袋、大量のペーパータオル、大型ビニール袋、ペットボトルの水。バッチョが開けたキャリーケースの中には中二男子三名の着替えが入っていた。マツモトが掃除機のホースの先端にスイトルを装着しカモガワが派手にぶちまけたゲロを吸い取る。ヤマガミが言った。
「ぼくは真剣に怖かった。だってあのAEDはマツモトとバッチョさんが改造したもんだろ。万が一本当に作動したらたらぼくはどうなるんだ?」
バッチョとマツモトは苦笑いした。AEDは患者の心臓の状態を調べて作動の可否を判断する。患者の心臓が正常であれば作動しないので、異常と判断させるのに苦労したのだ。やっとこさ誤判断させたものの電極パッドへの通電遮断を忘れており、それに気づいたのはなんと今朝だった。結局、電気ショック作動時の音声を最初から最後まで録音して鳴らすという単純な方法に変更したのだが、最初からそうしていればなんの苦労もなかった。という心胆寒からしめる真実を隠そうと「いやあ。黄色は下剤で赤は催吐剤を仕込んだ錠剤だけど、エグチやカモガワがそれを取り違えやしないかとひやひやしたよ」とマツモトはごまかした。和気あいあいと掃除に励む中二男子たちを映す作戦本部のモニターの隣のモニターに、前方車両の赤いテールライトを追うように暗い夜道を疾走するワンボックスの主観ショットが映っていた。フレドーのスパイグラスの映像だ。作戦本部のスピーカーから北川の声が聞こえてきた。
「この車はいったいどこに向かっているんですか?」
「コンビニの駐車場です。そこであなた方にこれからのことを説明します」
鈴木がおろおろ声でたずねた。
「我々はこれからどうなるんですか?大丈夫なんでしょうね?」
右のモニターにワンボックスのルームミラーが映る。理事たち三人は怯えていた。きむこが腰をかがめて琴玉に言った。
「フレドーとハナシをさせて」
琴玉がマイクをオンにする。
「フレドー。きむこよ。駐車場に着くまではなにも答えなくていいからね。あんたは緊張しっぱなしなんだからこれ以上は無理しないで。今日はそいつらをなるたけ早く家に帰そう。勝負は明日よ」
右のモニターの映像が上下にティルトした。了解の意味だ。きむこがハナシを続けた。
「大切なことは二つ。そいつらにどんだけムカついても平静を保って。それと会話の最中はそいつらの顔をよーく見て。そいつらの表情は重要な情報だわ」
琴玉の顔が上下にティルトした。

9時過ぎ。理事たちを乗せたワンボックスは大鳥居駅に近いコンビニの駐車場に停まった。フレドーが振り返って理事たちの顔を見た。作戦本部の右のモニターに理事たちの顔が映る。鈴木がフレドーに再びたずねた。
「我々はこれからどうなるんだ。大丈夫なんだろうね」
きむこが言った。
「こう答えてフレドー。みなさんがこれからどうなるかはホテルの状況次第です…」
「みなさんがこれからどうなるかはホテルの状況次第です。あのプライベートルームは酷いありさまでした。男の子たちを外に出し、汚物をすべて除去し、元の状態に戻さなければいけない。それをホテル側に見つからないようにやらなければならないんだ。発覚したら通報されます」
フレドーがそう答える。北川がたずねた。
「意識のない子どもを三人もどうやってホテルから出すんだ?」
「意識があろうとなかろうと歩けなければ大型トランクに入れて外に運び出します」
フレドーがそう答える。北川がにやにやしながら言った。
「汚物も子どももトランクで外に運び出してなにもなかったことにするわけだ」
フレドーがうなずく。北川はほくそ笑む。作戦本部のきむこと琴玉は右のモニターを見つめている。
(男の子たちの身を案ずるどころか汚物と同じ扱いにして笑っていやがる。汚物はおまえらだ。おまえら車ごと東京湾に沈めてやろうか)
フレドーが憤る。それを察したかのようにきむこが言った。
「抑えてフレドー。こう言うのよ。汚物の処理は非常に困難です」
「汚物の処理は非常に困難です。今日中には終わらないでしょう。でも全力で対応します。あれが発覚したら我々は一巻の終わりだ。もちろんあなた方も終わりです」
フレドーがそう言うと理事たち三人はうつむいた。フレドーがハナシを続ける。
「あんなことになった原因が知りたいです。あの部屋にMDMAは一錠も残っていませんでした。もしかするとあなた方はあの男の子たちにMDMAを2錠ずつ飲ませたのではないですか?」
「北川さんが飲ませたんだ。ですよね鈴木さん」
豊田がそう言うと鈴木がうなずいた。北川が弁解した。
「6錠あったからだ。ひとり2錠までは許容量だと思ったんだ」
フレドーは理事たち全員が見えるようにこれ見よがしに人差し指を立てた。
「あなた方の分もいれて全部で6錠だ。私はひとり1錠だとあなた方にはっきりと伝えましたよね」
北川が口をわなわなさせて目を伏せた。豊田と鈴木は黙っている。フレドーも何も言わなかった。

9時10分。作戦本部の左のモニターに冗談を言いながらプライベートルームを掃除する中二男子四名とバッチョがが映っていた。汚物の処理を終えたマツモトは濡れたカーペットをドライヤーで乾かしている。エグチとカモガワとヤマガミは自分たちの衣装をビニール袋に詰め込んでいた。バッチョはスイトルや掃除機をキャリーケースに戻していた。一方、スパイグラス用の右のモニターには沈鬱な理事たちの顔が映っている。作戦本部のきむこが言った。
「フレドー。そろそろスマホを返してやって」
右のモニターに助手席に置かれたフレドーのデイパックが映る。フレドーはデイパックからスマホを取り出して理事たちに差し出した。理事たちがフレドーの手から自分のスマホを抜き取った。北川と鈴木は各々二つスマホを取った。フレドーが北川に手を出す。
「あなたのスマホのひとつは私が預かります。ホテルの対応がどうなったか。今後どう口裏を合わせるかなど、あなたのスマホを使ってみなさんにお伝えするためです」
北川はスマホを出し渋る。フレドーはよこせと手で促した。
「これがすべて片付いたら返しますよ」
北川がフレドーにスマホを渡した。フレドーが「PINナンバーは?」と訊くと北川は「4649」と答えた。フレドーは北川のスマホを再起動してPINナンバーを入力した。北川のスマホのホーム画面が現れる。フレドーはLINEのアイコンをタップして新たなグループを作った。今このワンボックスに乗っている理事たち三人のグループだ。グループ通話をタップすると理事たち3人のスマホが同時に鳴る。フレドーは北川のスマホを耳にあてた。
「みなさんがスマホやPCに今日の予定を記していたら、どんな些細はものもすべて削除してください。いいですね。声で返事をください。チャットは厳禁です」
理事たちは異口同音に「はい」と答えた。通話に問題はなかった。フレドーが理事たちに訊いた。
「ではこの車でみなさんを自宅に帰します。ここから家が一番近いのは誰ですか?」
鈴木が手を上げた。
「しかし、ぼくは今日、家内に一泊すると言ってあるのですが……」
フレドーはかぶりを振った。
「そんなことは適当にとりつくろってください。住所を言ってください」
北川がハナシに割り込んだ。
「私はここでいい。すぐそこが大鳥居駅だ。電車のほうが早い」
「いいえ。車で家まで送りますよ。また想定外のトラブルを起こされたらたまりません」
そりゃそうだ。万が一電車の中で帰宅途中の中二男子と鉢合わせでもしたらすべて水の泡だ。
9時20分。コンビニの駐車場に停められたワンボックスが動き出した。

同時刻、テーブルの料理が減っただけですっかり元の状態に戻ったプライベートルームをコニーがチェックしていた。バッチョと中二男子四名は先に部屋を出ている。バッチョとマツモトは4つのキャリーケースをゴロゴロと転がしてホテルの少し先のコインパーキングに停めてある田虫家の軽トラの荷台にそれを乗せた。バッチョはそのまま軽トラの助手席に乗ってコニーが来るのを待つ。マツモトはカーネルホテルに戻って中二男子三名と一緒に羽田空港第3ターミナル行きのシャトルバスに乗った。四人で羽田エアポートーガーデンの天空の湯に浸かる予定なのだ。プライベートルームのコニーは鼻で息を吸い込み悪臭が完全に消えたことを確認して窓を閉めた。隠しカメラに親指を立てながら「完璧です」と言ってプライベートルームから出ていく。作戦本部の琴玉ときむことメグとストラは左モニターに映る無人のプライベートルームを見つめていた。ストラがスマホをタップして「隠しカメラ」と言うと左のモニターめがけてコニーが走ってきた。

9時30分。きむことメグは「明日も早いからおやすみ」と言って琴玉の部屋から出ていった。琴玉も「金造に報告する」と言って部屋を出ていったので残ったストラが右のモニターを監視した。琴玉がリビングに入っていくと、金造とソニーがソファにすわって琴玉が来るのを待っていた。金造が言った。
「おつかれさん。バッチョとフレドーとコニーはいつごろ帰ってくるの?」
「バッチョとコニーはもうじき帰ってくるよ。フレドーは理事たちを家に送った後でワンボックスをレンタカー屋に返してからだからあと1時間くらいだな」
琴玉がソファにすわりながらそう答えると金造がハナシ始めた。
「ほなワシから報告します。都知事は家庭真理教との関係をもみ消すのに必死です」
蒲田キリスト教学園の寄附行為の変更には都知事の認可が必要だ。つまり都知事に認可させなければ蒲田キリスト教学園が蒲田家庭真理教学園になることはない。金造はその工作を行っていたのだ。金造は政治献金を申し出て都知事と面会し、世間バナシとみせかけて『家庭真理教の山崎というやつに殺人教唆の疑いがかかっている』とカマをかけた。すると、とたんに都知事と秘書はひどくうろたえて顔を見合わせた。実にわかりやすい連中だ。
「どうかしましたか?」
金造が訊いても都知事と秘書は口ごもって何も言わなかった。金造はひとり言のように言った。
「山崎というのは家庭真理教の関連団体の役員をようけ兼任しておってですよ。家庭真理教と関係ない役員言うたら蒲田キリスト教学園という私立学校の理事長だけなんやけど、そこの理事を二人もアヤめたらしいですわ。蒲田キリスト教学園を乗っ取って家庭真理教の学校に変えるのに邪魔や言うてですわ」
都知事が青い顔をして「ほんとうですか?」と聞き返す。金造は「はい」と答えた。
「せやから家庭真理教に選挙を手伝ってもろたり家庭真理教のイベントに出てカンパーイやらしとった政治家さんたちは戦々恐々やて聞きましたけど、センセはご存じなかったでっか?」
などと金造が嘘をつくと都知事は「あ!急用が!失礼します」と言って突然その場を去り金造と秘書の二人だけになった。秘書が金造に深く頭を下げた。
「本日は貴重な情報をありがとうございました。山崎氏のことで新たな情報を得られましたら、是非わたくしにご連絡ください。わたくしも忙しくなりそうなので今日はこのへんで」
そう言うと政治献金のハナシなどすっかり忘れてそそくさと立ち去った。というのが昨日のことだ。
金造がニコニコして言った。
「ほんで今日な。その秘書さんに電話してな。『実行犯がワれたそうです。山崎の逮捕も時間の問題でっせ』と嘘ついたってん。そしたら秘書さんがな。『都知事と山崎氏の関係についてはあなたもご存じでしょうが、どうかなにとぞご内密にお願いします。お礼は必ず致します』と言うてはった」
ソニーがハナシだした。
「家庭真理教による理事殺害の件を相談した警察の元同僚が言ってたけどね。小宮清元理事は特別失踪扱いになったそうだよ。大久保隆元理事のひき逃げ事件の捜査も方針を見直すそうだ」
ストラがやってきた。
「フレドーは理事たちを家に送り終えましたよ」
そう言うとストラもソファにすわった。金造がストラに訊いた。
「なあストラ。ヤカモトいう聖書の先生やけど、おまえからみてどんな人や?」
「変わり者よ。チャペルの祈祷室で私たちやカラスと一緒に毎日お昼ごはんを食べているもの。ロッテンマイヤーみたいな顔をしてね。でもあの顔は楽しいのをごまかしているのよ」
ストラはおかしそうに笑った。金造も笑った。バッチョが帰ってくる。金造はバッチョにたずねた。
「おかえり。コニーはどないした?一緒やったんとちがうの?」
「コニーは軽トラでレンタカー屋さんに行ったよ。フレドーを迎えに行ったんだ」
「そーか。今な。ストラにヤカモト先生はどんな人か訊いとったんやけど、バッチョからみてヤカモト先生はどんな人や」
「ヤカモト先生は中学の先生だから今は教わっていないんだけど、変人だよ。聖書の先生のくせに聖書のことなんか何も教えてくれなかった。イエス・キリストのことが知りたければ福音書を読めって。授業といったら生徒たちに『どの福音書のどの箇所でもいいから自由に読め。わからないところは声をあげてみんなでハナシ合え』と言うだけだった。でもね。それで退屈したことはないんだよね。いつのまにかみんなで真剣にハナシ合っていた。時間が経つのも忘れてね」
金造が腕を組んで考え込んだ。
「オルガニストのなんとかさんいうのはどんな人や?」
「車援子さんよ。私たちはエンコさんって呼んでいるわ。あの人も相当変わっているわよ」
そう言うとストラは人差し指で自分のこめかみをつついてにっこりと笑った。
「おつむの中がきむこやメグと一緒なの」
「でもね。エンコさんのオルガン演奏は人の心を打つよ。チャペルの裏は道路なんだけどオルガンの音が聴こえてくるんだ。エンコさんは休みの日の朝にオルガンの練習をしていてね。土曜の朝、ぼくはチャペルの裏の道路を歩いていた女性が立ち止まってエンコさんの演奏を聴いているのを見たことがあるんだ。その女性はハンカチで涙を拭いていたよ」
バッチョがそう言うと金造はバッチョとストラをじっと見つめた。
「学園長はどんな人や?」
バッチョとストラが目を合わせる。ストラが答えた。
「学園長のことはよく知らないわ。じいちゃんはどうしてヤカモト先生やエンコさんや学園長のことを気にしているの?」
「そりゃ気にするやろ。おまえらは理事を三人クビにするんやで。新しい理事を決めなあかんがな。せやけど学園長さんに人を見る目があるとは思われへん。他の方々もどんな人かわからんしな」
バッチョがうなずいた。
「鈴木と北川が理事になったとき『ヤカモト先生は反対したのに私はしなかった』って学園長本人が言ってたね」
「あんた自身がその三人に会ってみないことにはなにも判断できないだろう」
琴玉がそう言った。金造はうなずいた。

ワンボックスを返したフレドーがレンタカー店の事務所から外に出るとコニーが立っていた。フレドーが驚いて言った。
「わざわざ迎えに来てくれたのか。ありがとう。助かるよ」
二人は軽トラに乗り込んだ。コニーの運転で軽トラが動き出す。コニーが言った。
「おつかれさんでした」
フレドーはデイパックから北川のスマホを取り出してコニーに見せた。
「北川って理事のスマホだ。理事どもにはおれがこれで連絡するまでは家から一歩も出るなと言っておいた」
「あの理事どもはほんとうに酷い。蒲田家庭真理教学園だかの寮を建てたら、献金できない貧しい信者の子どもも寮にぶち込んで性奴隷にするつもりだったんじゃないかな」
「ああ。あの理事どもならやりかねないな」
そう言うとフレドーは目をつむり、うつむいて黙り込んだ。コニーが横目でフレドーを見た。
「つかれましたか?」
フレドーが顔を上げた。
「いや。きむこがフォローしてくれたからな。助かったよ。きむこが抑えてくれなきゃ、おれはワンボックスごとあいつらを東京湾に沈めるところだった」
「あはははは」
コニーが笑った。フレドーも笑ったが、次第に暗く険しい表情になってぽつりと言った。
「おれも宗教二世なんだ。統一教会のな」
フレドーはハナシを始めた。
「オフクロがガリガリの信者でな。入信したのはおれが生まれる前だ。オフクロは家のカネを残らず教会に献金したよ。オヤジの収入もあらかた献金した。おれがきむこやメグと同じ中二の頃にオヤジはメンタルをやられて自殺した。オフクロはオヤジの保険金も教会に献金しちまった」
コニーは黙ってフレドーのハナシを聴いている。フレドーはじっと前を見つめてハナシを続けた。
「おれはオフクロが正しいと信じて込んでいた。信者のオトナたちがよってたかっておれにそう信じ込ませたからな。おれは今でも統一教会に献金しない自分を恥ずかしく思うんだ。おかしいだろ。誰だっておかしいと思うさ。でもな。みんなおかしいと思うだけで問題の本質を理解していない。おれは根っからおかしいんじゃない。カルトの信者たちに無理やりおかしくさせられたんだ」
コニーは何か言おうとしたが、何も言わなかった。何も言えなかった。
フレドーがコニーを見た。
「バッチョはな。蒲田キリスト教学園の生徒より家庭真理教の宗教二世のほうがよっぽど悲惨だと言ったよ。きむことメグとストラも『そうだ!』って言ってくれた。おれはあれで救われたんだ。あの子らには宗教二世の苦しみが理解できるんだよ。なあコニー。おれの言いたいことがわかるかい?」
「わかるよ。あの子たちはすごく優しいからな」
だが、金造がコニーのこの返答を聴いていたらこう付け加えたはずだ。
「そりゃもしかしたらヤカモト先生の教育の成果かもしれへんな」

バッチョとストラも自室に引っ込み、リビングには金造と琴玉とソニーの三人が残っていた。
「学園長はなんでまた北川やら鈴木やらってうさんくさい連中を理事にしたんだろうね」
琴玉がそう言うと金造が答えた。
「善人なんやろ。善人は他人をアタマから信じよるからな。ワシらは他人をアタマから信じない。身内しか信じない。他人を信じるのはめんどくさいからな」
「性善説と性悪説みたいなもんかい?」
ソニーがそう訊くと金造はかぶりを振った。
「性悪説は身内も信用したらあかんのとちがうの?」
フレドーとコニーが帰ってきた。フレドーがソニーに訊いた。
「明日だけど、警察のほうは大丈夫かい?予定通りに動いてくれそうかい?」
「ああ。大丈夫だ」
金造がみんなを見回して訊いた。
「さてと。これで理事長の山崎がどう出るかや。おとなしく引責辞任すると思うか?」
金造以外の全員がかぶりを振った。ソニーが言った。
「山崎は人殺しだ。何をするかわからん。希望的観測はいけない。楽観するのは危険だ」
金造を含む全員がうなずいた。琴玉が声を低くして言った。
「山崎は学園長とヤカモト先生を殺すかもしれねえ。理事を六人すべて家庭真理教の人間に挿げ替えて、寄付行為を変更しようとするかもしれねえな」
ソニーが言った。
「おれは警察に山崎をマークしろとはっぱをかけとくよ。学園長やヤカモト先生に見張りをつけろと言っておく。山崎が手下を使って二人を殺そうとしたら現行犯逮捕できるからな。実行犯にクチを割らせりゃ山崎も逮捕できる。警察は大手柄さ。大喜びするはずだ」
「おい」
金造が言った。
「いまのハナシは子どもらに言わんといてくれよ。山崎になんかしよるかもしれへんからな。山崎は危険や。あれは子どもらの手に余る」
全員うなずいた。
「ほかになんかあるか?」
金造がそうたずねるとフレドーが「あるよ」と言った。フレドーはデイパックから封筒を取り出して金造に見せた。北川から受け取った児童売春のカネだ。
「このカネはどうしたらいい?ぴったり1万ドル入っている」
「おまえとコニーでもろとけや。おまえらの好きにしたらええがな」
金造がそう言うとフレドーとコニーは顔を見合わせた。

第七章 オズの魔法使いに会いに行こう

6月29日金曜日午前6時30分。
ソニーとフレドーとコニーは北川と鈴木と豊田の家の近くにいた。ソニーたち三人は理事たちではなく理事たちを一斉検挙するために待機中の警察官を見張っているのだ。ソニーは北川班、フレドーは鈴木班、コニーは豊田班の様子を伺っている。検挙される人間はもう一人いた。児童売春斡旋業者の小島新太だ。あと30分すれば小島も理事たち三人と同時に検挙されるだろう。軽トラの中のフレドーは北川のスマホを手にしていた。フレドーは昨日と同じようにスパイグラスをかけて左耳の奥にイヤホンを入れていた。作戦本部も昨日と同じ琴玉の部屋だ。だが今日は琴玉ときむことメグとバッチョとストラの他に金造もいた。琴玉の両側にきむことメグがすわっている。モニターにはフレドーのスパイグラスの画像が映っていた。フレドーは北川のスマホを膝の上に置いて自分のスマホを取り出した。琴玉チャットをするためだ。
フレドー:鈴木班の警察官は待機中。他の班の様子はどうですか?
コニー:豊田班の警官も待機中
ソニーの返事がない。彼は一斉検挙を指揮する元同僚の警察官とおハナシのまっ最中だった。
「ほんとうに大丈夫なんすね?この捕物はあいつらの自白がすべてですからね。証拠なんかろくすっぽないんだから。裁判所に逮捕状を出してもらうのだってたいへんだったんですからね」
元同僚の警察官が心配そうにそう言うとソニーは笑いながら答えた。
「大丈夫大丈夫。あいつらは必ず自白するから。小島もあいつらの自白で追い込めるよ。そう心配すんなって。おれが今までおまえにガセを掴ませたことがあるか?」
元同僚の警察官は「ないですけど」と答えた。彼はこれまでにもソニーの手引きで大物を逮捕していたのだ。ソニーが元同僚の肩をバンバン叩いた。
「おまえはおれのおかげで警部になれたようなもんだぞ。こんなかんじで手柄を積めば6年後におまえは警視だ警視。とにかく7時ジャストに踏み込んでくれ。フライングするなよ。おっと失礼。電話だ」
そう言うとフレドーは元同僚の警察官に背を向けた。
ソニー:北川班の警官も待機中。一斉検挙の指揮官が心配している。ばっちりと因果を含めてね
フレドー:きむこへ。昨日みたくばっちりとフォローしてね
きむこがマイクをオンにした。
「まかせなさい!」
フレドーはあわてて左耳を押さえて自分のスマホの音量を下げた。
6時45分。フレドーが自分のスマホをフリックした。
フレドー:ぼちぼち始めますよ
フレドーは自分のスマホをポケットに突っ込んだ。作戦本部モニターにフレドーが手にした北川のスマホが映る。フレドーの指がLINEアイコンをタップした。作戦本部のモニターに映る北川のスマホに北川と鈴木と豊田の顔が現れた。作戦本部のきむこが言った。
「先ず良いハナシです。昨晩のカーネルホテルでの一件ですが、無事に収拾できました」
フレドーは左耳のイヤホンから聴こえてくるきむこの言葉をそのまま口にした。
「先ず良いハナシです。昨晩のカーネルホテルでの一件ですが、無事に収拾できました」
北川のスマホに理事たちの安堵の表情が映った。北川が言った。
「良かった」
フレドーはきむこの言葉をそのまま口にする。
「次に良くないハナシです。あなた方三人はこれから逮捕されます」
北川のスマホに理事たちの驚愕の表情が映った。北川が大声で叫ぶ。
「何故だ!あんたはいま昨晩のカーネルホテルの一件は収拾したと言ったじゃないか!」
きむこの言葉をフレドーは静かに伝えた。
「容疑は別件です。今月のはじめにあなた方三人は品川皇帝ホテルで買春しましたよね。小島の斡旋で。逮捕されるのはその件です。小島は警察にマークされていたんですよ。警察に後をつけられて一部始終を撮影されていました。あなた方の顔からなにからすべてです」
理事たちは慌てふためいた。北川は立とうとしている。フレドーはきむこの言葉を淡々と伝えた。
「逃げても無駄です。玄関を出た途端に逮捕されます。逃げなくても7時には逮捕されますけどね。だから7時までに重要なことを伝えます。よく聴いてください」
理事たちは罠にかかったアライグマのようにうろたえていた。フレドーが大声を出した。
「落ち着いてよく聴いてください!」
理事たちが固まった。北川は中腰のまま固まっていた。フレドーはきむこの言葉を伝えた。
「品川皇帝ホテルでの買春は全面的に認めなさい。あなた方があのホテルでしたことは、すべて、洗いざらい、なにもかも自白しなさい。否認してはいけません。証拠の動画をたくさん撮られています。小島も自白するしかない。ただし、昨晩のカーネルホテルでの出来事は絶対クチにしてはいけない。絶対に、なにひとつ、しゃべっちゃいけない」
理事たちは固まったままだ。フレドーはきむこの言葉を伝えた。
「405号と404号の男の子は死にました。あなた方は子どもを二人殺した殺人犯です」
北川がわめいた。
「殺人犯だと?違うだろ!私はあんたが飲ませろとよこしたクスリを子どもに飲ませただけだ!」
作戦本部できむこがメグに目配せした。選手交代だ。フレドーはメグの言葉をそのまま口にした。
「あなたは蒲田キリスト教学園の理事ですよね。 学識経験者だ。MDMAの過剰摂取がどんな結果を招くか知らないわけがない。しかも相手は13歳の子どもだ。未必の故意ですよ」
北川も他の理事たちも何も言い返せなかった。フレドーはメグの言葉を伝えた。
「学識経験者ならわかりますよね。カーネルホテルの件が裁判になったら、あなた方の弁護士がなにもどう取り繕っても、検察はあなた方の未必の故意を全力で立証しますよ。裁判官も裁判員も検察に全面的に同意します。あなた方は性的虐待が目的で、その結果どうなるかなど承知の上で、13歳の子どもに、MDMAを過剰摂取させたのです」
鈴木がわめきだす。
「私はいったいどうなるんだ!」
豊田は泣き出した。北川は呆然自失だ。フレドーはメグの言葉をそのまま伝えた。
「カーネルホテルの一件が発覚すればあんた方は全員死刑です。運が良けりゃ無期懲役ですね。子どもを二人も殺したんだから当然です。品川皇帝ホテルの児童買春だけなら懲役5年です」
北川が逆上する。
「死刑も懲役5年もあるか。なにかも嘘だ!全面否認してやる。おれは無罪だ!」
メグがきむこにタッチした。選手交代だ。フレドーは再びきむこの言葉をそのまま伝えた。
「カーネルホテルのあの惨状を収拾できたのはあんた方の知らない強い力が働いたからです。その力があんた方に品川皇帝ホテルの買春は認めろと命じている。カーネルホテルの件は絶対にしゃべるなと命じているんだ。その強い力は警察にも影響を及ぼす。強い力の命令に背くことはできない」
北川がわめき散らした。
「あんた方の知らない強い力は警察にも影響を及ぼすだと?何を馬鹿な。嘘だ。でたらめを言うな!」
フレドーはきむこの言葉をそのまま伝えた。
「もううんざりだ。じゃあなぜおれはあんたらの一斉検挙を知ってるんだよ。あんたら学識経験者だろ。少しアタマを使えよ。7時になれば警察はあんたらの家の玄関をどんどん叩くぞ。あと1分だ」
作戦室のモニターに映る北川のスマホに映る北川が時計を気にしている。フレドーはきむこの言葉をそのまま伝えた。
「もう一度言うぞ。これが最後だ。品川皇帝ホテルの件はあらいざらい自白しろ。カーネルホテルの件は一切しゃべるな。わかったか?」
蒲田キリスト教学園の理事たちはうつむいて黙ったままだった。フレドーが怒鳴る。
「わかったかと訊いているんだよこのうすら馬鹿。返事をしろ返事を」
理事たちはビクッとした。三人そろって「はい」と答えた。
6月29日金曜日午前7時。
理事たち三人の家のドアチャイムが鳴る。と、同時にフレドーはLINE通話を切った。

それから少しして、きむことメグのストラとバッチョは何事もなかったのような顔で登校した。きむことメグの1時間目はヤカモトの授業だ。ヤカモトは普段どおり黙って椅子にすわっていた。突然、教室のスピーカーがヤカモトを呼び出した。
「ヤカモト先生。学園長室に来てください」
呼び出したのは学園長本人だった。ヤカモトは何も言わずに教室から出て行った。授業中に教師が学園長から校内放送で呼び出されることなどこれが初めてだ。生徒たちはざわめいた。が、きむことメグとエグチとカモガワとヤマガミとマツモトはそ知らぬ顔だ。昼休み。きむことメグがチャペルに向かって歩いているとカラスのカーが飛んできてメグの肩にとまった。二人と一羽がチャペルの祈祷室に入っていくとちゃぶ台の上に大皿が三つ乗っていた。大皿の上には大量の天ぷらが盛られている。炊飯器を持ったエンコが祈祷室に入ってきて得意げに言った。
「すごいごちそうでしょう。来週にはチャペルの取り壊しが始まるから今日はここでの最後のお昼ごはんだと思って天ぷらをあげたのよ」
中二男子三名とストラとバッチョも祈祷室に入って来た。
「わーすごい量の天ぷらね」
ストラがそう言うと中二男子三名が「おおおー!」と歓声を上げた。メグが言った。
「今日がここでの最後のお昼ごはんだから。と、エンコさんが揚げたのよ」
「いやこれが最後だと思ったんだけどね。聞いてびっくりよあんたなんと、理事の豊田さんと北川さんと鈴木さんが今朝がた警察に逮捕されたのよ。だから今日の理事会は中止。寄附行為の変更もへったくれもないわ。蒲田キリスト教学園もこのチャペルも安泰よ!」
興奮気味にエンコが話すと少年少女たちは「わー。すごーい。ぱちぱち」と白々しく喜んだ。
「あら。あんたたちあんまりびっくりないのね」
バッチョが取りつくろった。
「いえいえ。びっくりしましたよ。で、理事たちはどうして逮捕されたんですか?」
「それが酷いのよ。児童買春容疑だって。私立の中高一貫校の理事が児童買春よ。けしからんわ」
そう言うとエンコは深刻な顔をした。
「ほっといたらマスコミが大騒ぎするでしょう。だから学園長とヤカモト先生はいち早くマスコミに『節度ある取材と報道』をお願いしてたわ。蒲田キリスト教学園の生徒はまったく無関係ですから、当学園におしかけてカメラやマイクを生徒たちに向けたりしないでください。可及的速やかに記者会見の場を設けてみなさんの質問にお答えしますからって」
エンコに笑顔が戻った。
「でもね。愚劣な理事がやらかした最低の悪事のおかげで助かったって学園長もヤカモト先生も喜んでいたわよ。もちろん私も」
エンコは炊飯器のフタを開けた。
「おめでたいからお赤飯を炊きました!」
中二男子四名が「おおおー!」と歓声をあげた。
「おれは昨日の夜にひどいゲリしちゃっておなかの中がカラなんだよね」とエグチ。
「おれも昨日の夜にひどく吐いちゃっておなかの中がカラなんだよね」とカモガワ。
「あら。二人してなんかへんなもんでも食べたの?」とエンコ。
メグがエグチとカモガワをにらみつけた。
「ここで粗相したり吐いたりしないでよね」
「あーそうそう。ごちそうはまだあるのよ」
エンコはそう言うと祈祷室から出て行った。ストラがエグチとカモガワをにらんだ。
「こら。余計なことを言わないの」
エグチとカモガワが小さくなって謝った。
「ごめんなさい」
バッチョがみんなの茶碗に赤飯をよそっていると、扉の外から「開けてー」とエンコの声がした。マツモトが扉を開けてやると大きな鍋を持ったエンコが入って来た。この匂いはまさか…。とバッチョとストラが顔を見合わせる。エンコが鍋のフタを開けると、中はカレーだった。きむこが「おおおー!」と歓声をあげ、カーは「アホー」と鳴いた。しかしこの最後の昼餐あらため中二の昼餐のお赤飯カレーは思いのほかうまかった。バッチョがエンコにたずねた。
「ヤカモト先生は?マスコミ対応が忙しくてここには来れないんですか?」
「どこでどう記者会見をやるかで大わらわなのよ。だって記者会見なんて誰もやったことないもんね。会見に立つのは学園長だけど学園長も寝耳に水のハナシでしょ。記者になにを訊かれてもなにも答えようがないわよ。今ごろ大友さんは相当アタマを抱えているでしょうね」
当の学園長は記者会見の最中に蒲田キリスト教学園が救われた喜びを思い出して笑いそうになるのを心配していた。ストラがエンコにたずねた。
「えーちょっと待ってよ。なんで学園長が記者会見の矢面に立つのよ。理事の不始末なんだから理事長が謝罪すればいいんじゃないの?」
エンコはうなずきながら答えた。
「私も学園長もヤカモト先生もみんなそう思うわよ。でも肝心の山崎理事長がいないの。朝方は学校の理事長室で嬉しそうに理事会の準備をしていたらしいんだけど、理事逮捕の一報を聞くやいなや血相を変えて出ていってそれきりらしいのよ。まったく、どこに行っちゃったのかしらね」

そのころ山崎理事長は都内某所にある家庭真理教総本山の建物にいた。その建物は高さこそ半分以下だが都庁庁舎に酷似したカタチで金ピカだった。つまり都庁庁舎一階のおみやげもの屋さんで売られている金ピカの都庁庁舎の模型を巨大化させたような建物だ。この金ピカ都庁の巨大模型の最上階のワンフロアが家庭真理教の大教帝のお部屋で、大教帝は日本国政府で言うところの内閣総理大臣に相当する最高位、すなわち家庭真理教でいちばんえらい人だ。だたっぴろい大教帝のお部屋の奥に置かれた大きな玉座に鎮座まします大教帝がおごそかに言った。
「山崎よ。そなたの部下三名が警察に逮捕されたとのこと。事実か?」
直立不動の山崎は深々とアタマを下げた。この広いお部屋には大教帝と山崎の二人しかいなかった。
「はい。事実に相違ございません。まことにわたくしめの不徳の致すところでございます」
山崎は3分ちかく腰を折ってアタマを下げ続けた。
「山崎よ。オモテを上げよ。トカゲの尻尾が切れるのはよくあること。我が家庭真理教の悲願である蒲田家庭真理教学園の創立に支障がなければそれで良い。我が学園は計画どおり来年4月に開校するのだな?」
「はい。我らが蒲田家庭真理教学園は必ずや計画どおり来年4月に開校いたします」
山崎がまた深々とアタマを下げた。山崎は大教帝に次ぐ高位の中教帝の座を狙う小教帝のひとりだ。小教帝より低い階級も20個くらいあって野心満々の信者たちは熾烈な出世競争に明け暮れていた。だが小教帝以上の階級は大教帝の独断で任命され、降格されることはなかった。大教帝の不興を買った者は小宮清元理事がそうだったように失踪するのだ。消え失せるのだ。山崎は5分以上も腰を折ってアタマを下げ続けていた。膝が笑いだし鼻先から汗が滴り落ちる。
「山崎よ。オモテを上げよ。我が蒲田家庭真理教学園の来年4月の開校にあたり、また消しゴムを貸す必要があるのか?」
「はい。その必要がございます」
山崎がまた深々とアタマを下げた。そのまま5分が過ぎ、膝が笑いだす。だが膝を突いてはいけない。膝を突けば消されるのは自分だ。
「山崎よ。消しゴム2個を貸与する。明日中に返せ。オモテを上げて下がれ」

6月29日金曜日午後6時。
山崎は2個の消しゴムすなわち2名の殺人狂カルト信者を自分の車に乗せて蒲田へと向かっていた。田虫屋敷の田虫一族はリビングのテレビで6時のニュースを見ていた。シカツメらしい表情の女性アナウンサーが少し前のめりになって原稿を読んでいる。
「今朝、私立蒲田キリスト教学園の理事三名が児童買春容疑で逮捕されました。逮捕されたのは豊田学、鈴木良夫、北川あきらの三名で、警視庁によると三名は容疑を認めているとのことです。また、自称芸能プロダクション社長の男が理事三名への児童買春周旋容疑で逮捕されました。警視庁によると男は容疑を否認しているとのことです。また、理事三名の逮捕に関して本日午後、蒲田キリスト教学園の学園長が記者会見を行いました」
画面が記者会見の様子に切り替わった。大友学園長とヤカモトが映る。きむこがテレビを指さした。
「おおっ。ヤカモト先生だ。先生がんばれー!記者なんかぶっとばせ!しばきたおせ!」
カメラのフラッシュが学園長とヤカモトの顔を白く照らす。マイクを握った学園長がハナシだした。
「蒲田キリスト教学園の学園長を務める大友と申します。このたびは当学園の理事三名がとんでもない不祥事を起こしましたことを、深くお詫びいたします」
学園長とヤカモトが並んでアタマを下げた。カメラのフラッシュがバシャバシャと鳴る。学園長とヤカモトが着席すると記者が質問を始めた。
「被害者に対して何か言いたいことはありますか?」
「理事のヤカモトです。売春をさせられたお子さんたちには、蒲田キリスト教学園の理事ではなく、ひとりのオトナとして申し訳ない気持ちでいっぱいです。オトナを代表して謝罪します。申し訳ありません」
ヤカモトはフレドーがきむこたちに謝ったのと同じ言葉でアタマを下げた。別の記者が質問した。
「あなた方は理事たちの買春行為をご存じだったのではないですか?」
この質問には学園長とヤカモトも少しイロをなして異口同音に答えた。
「知ってるわけないじゃないですか」
記者の質問が続く。
「あなた方は学園長と理事ですよね。理事長の山崎氏はなぜこの会見に出てこないのですか?」
山崎は行方がわからないからですとも言えず、学園長は苦し紛れにごまかした。
「山崎理事長はですね……。あのその、マストな別案件の対応をしております」

山崎理事長は車を運転しながらマストな悪事を二人の消しゴムに説明していた。
「君たちに消してもらいたいのは人じゃない。建物だ。蒲田キリスト教学園のチャペルを破壊して欲しい。さっさとチャペルをぶち壊して寮の建設を始めないと来年4月の開校に間に合わない。寄付行為の変更は後回しでいい。だが寮の建設を後回しにはできない。寮の建設が最優先だ」
消しゴムAが山崎にたずねた。
「チャペルはいつまでに破壊しなければならないんですか?」
「明日中だ。大教帝にそう言われた。私が君たちを使えるのは明日いっぱいという約束だ」
消しゴムAと消しゴムBが顔を見合わせて肩をすくめた。
「そりゃあ難しいですね」
山崎がにやっと笑った。
「ガス爆発だよ。チャペルにガスを充満させて爆破するんだ。できるよな」
「チャペルにガスが通ってりゃできます」
消しゴムBがそう言うと消しゴムAもうなずいた。山崎がほくそ笑んだ。
「チャペルの厨房にあるガスコンロは壊れていたんだ。クルマエンコって変な名前のオルガニストがガスコンロ修理の稟議を上げていたからな。もちろんそんな稟議は私が却下した。そしたらそのオルガニストの馬鹿め、生徒にガスコンロを修理させてチャペルで煮炊きを始めやがった。ヤカモトって理事はそれを黙認したんだ。いや黙認ではなく共犯だ。チャペルでクルマが作ったメシを生徒たちと一緒に食っているらしい。生徒に修理させたガスコンロなんかガス漏れを起こして当然だ。チャペルがガス爆発した責任はヤカモトにある。ヤツは解任だ。大友にヤカモトの任命責任を押し付けて引責辞任に追い込めば理事は私だけだ。私が新たな理事を決めて寄付行為を変更してやるんだ」

テレビの記者会見が終わるとリビングに集まっていた田虫一族は夕飯を食べにダイニングへ移動した。金造と琴玉だけがソファにすわっていた。テレビのニュースを見ながら金造が言った。
「山崎理事長が気になる。あいつは今ごろどこかでだれかと悪事の相談をしとるに違いないで」
「明日からフレドーとコニーに学園長とヤカモト先生を見張ってもらおうぜ」
「そやな。せやけどあの二人だけで見張りを続けるのはムリや。ソニーに頼んではよ警察に見張ってもらうようにせなあかん。フレドーとコニーの見張りはそれまでの繋ぎや」
きむこの大声が聞こえた。
「じいちゃん、琴玉ちゃーん。ご飯だよー!」
「いま行くよー!」
琴玉はそう叫んでテレビのリモコンをつかんだ。金造がテレビを見ながら言った。
「テレビ消すのちょっと待ってくれ」
女性アナウンサーが笑顔で話していた。
「封筒に入れられた1万ドルは大田区の児童養護施設の郵便受けに投函されており、児童養護施設は拾得物として大森警察署に届け出ました。大森警察署で封筒を調べたところ、封筒の中から『寄付します』と書かれた紙片が見つかったため、警視庁はこの1万ドルを匿名の寄付と判断し、児童養護施設に返却しました」
金造は笑みを浮かべて「もうええよ」と言った。琴玉も笑顔でテレビのリモコンの電源ボタンを押した。金造と琴玉がダイニングに移動すると、ストラの隣にキジトラ、バッチョの隣にサバトラがすわっていた。金造が言った。
「あ、キジトラとサバトラやないか。おまえらいつ日本に着いたんや?」
「さっきよ。なにやら大作戦を敢行したんだってね。詳しいハナシを聞かせてちょうだいよ」
そう答えるキジトラにきむこがたずねた。
「その前にさ。わたしのおねえちゃんの名前はキジトラだっけ?それともサバトラ?」
キジトラがきむこをにらんだ。
「あんたはほんとにアホね。私はキジトラよ。そんでキジトラは私の本名だからね。ちゃんとあだ名で呼んでください。あんた私たちのあだ名は覚えているでしょうね?」
「ミオとマオでしょ。でもどっちがどっちかわかりません」
どっちがどっちかわからないのはきむこだけではない。ミオとマオ以外の全員がわからなかった。サバトラが自分を指さした。
「ぼくがマオ。そんでこっちがミオだよ」
サバトラはそう言ってキジトラを指さした。混乱の原因はこの双子の本名やあだ名だけではなかった。ストラはミオに、バッチョはマオに顔カタチがそっくりなのだ。髪型や服装を同じにすればどっちがどっちか見分けがつかなかった。顔だけでなく性格までそっくりだった。メグが手を上げた。
「提案があります。えーと、サバトラのあだ名を大バッチョに、キジトラのあだ名を大ストラに変えてみてはいかがでしょうか?」
「大ストラなんてかわいくないから嫌よ。そもそもみなさん方は私とストラの見分けがついていますか?というか、あなたメグよね。純金とプラチナを合体させたインゴットのアイデアはとても素敵だわ。よろしくね!」
そう言うとミオはメグに手を差し出した。
メグが笑顔でミオの手をにぎった。
「こちらこそ」
マオも笑顔でメグに手を差し出した。
「よろしくね!」
メグが笑顔でマオの手をにぎった。
「こちらこそ」
マオがしゃべりだした。
「えーみなさん。もうぼくたちの本名はきれいさっぱりと忘れてください。よろしいですか。ぼくはマオ。そんでこっちがミオです」
そう言ってミオを指さした。ミオは自分を指さして言った。
「私がミオ。そんでこの子がストラよ」
ミオはそう言うとストラを指さした。マオも自分を指さして言った。
「ぼくがマオ。そんでこちらがバッチョだよ」
マオはそう言うとバッチョを指さした。日本在住の田虫一族は頼りなさそうにうなずいた。金造がたずねた。
「おい。ミオとマオ。おまえらは蒲田キリスト教学園の卒業生やったよな?」
「そうだけど」とミオ。
「歳はいくつになったんや?」と金造。
「25歳だよ」とマオ。
「なんでそんなことを訊くのよ?」
ミオがそうたずねると金造は腕を組み、ミオの質問には答えず別の質問をした。
「おい。フレドーとコニー。おまえら大卒か?」
フレドーが肩をすくめた。
「おれは専門学校出だよ」
コニーがかぶりを振った。
「おれは高卒だ」
金造が琴玉に訊いた。
「どやろ?」
「どうもこうもねえだろう。とりあえずアタマカズをそろえないとどうしようもねえんだからよ」
ミオがむっとして金造に訊いた。
「ちょっとなんなのよ。なんでそんなことを訊くのかって訊いているんですけど」
金造が言った。
「説明したるからミオとマオとフレドーとコニーはワシの部屋にきてくれ。琴玉もきてくれるか」

消しゴムAと消しゴムBを乗せた山崎理事長のセダンが蒲田のビジネスホテルの駐車場に停まった。ホテルで悪事の計画を練るのだ。三人はホテルにチェックインして部屋に入った。山崎がしゃべりだした。
「明日の朝7時までは蒲田キリスト教学園の中に車で入れない。守衛は7時に校門を開けるからだ。校門が開いたら私の車で校内に入る。君たち二人は私の車のトランクの中に入っていてくれ。君たちは顔認証をパスしないからな。学校から出るときも君たちはトランクの中だ」
消しゴムたちがうなずいた。消しゴムAが質問する。
「校内の防犯カメラにはどう対応しますか?」
「駐車場の壁沿いを歩いて木立をぬけるとチャペルの裏側に出る。その間にある防犯カメラはすべて壁の上に張りめぐらされた人感センサーで作動するんだ。誰かが壁によじ登りでもしない限り撮影されることはない」
山崎がそう答えると消しゴムBが訊いた。
「チャペルへの侵入方法は?」
山崎が答えた。
「チャペル正面入口の防犯カメラは常時録画されているが、チャペル裏口の防犯カメラは壁の上の人感センサーで作動する。チャペル裏口の扉から侵入するんだ。扉は施錠されているが20年前の安物の錠だ。ピッキングできるか?」
「そりゃ見てみないことにはなんとも」
消しゴムBはそう答えた。山崎が自分のノートPCを開いた。
「このファイルに蒲田キリスト教学園の建物の諸元が事細かに書いてある」
山崎はそう言ってノートPCを消しゴムBに渡した。消しゴムAが山崎に言った。
「蒲田キリスト教学園は中高一貫校ですよね。高校の化学の実験用にアルカリ金属が保管されているはずです。金属ナトリウムや金属カリウムなどですよ。それが必要です」
山崎がいぶかった。
「そんなもん何に使うんだ?」
「時限発火装置です。チャペル内に充満させたガスを爆発させるのに使います」
そう言うと消しゴムAはスマホの動画を山崎に見せた。水に触れた金属ナトリウムが激しく発火する様子が映っている。消しゴムAは机の上にコップを置いてその周りに紙を千切って並べた。
「この紙切れが金属ナトリウムだとしましょう」
電気ケトルの水を少しずつコップに注ぐ。やがて水があふれてコップの周りの紙切れを濡らした。
「ガスコンロの横はシンクですよね。シンクに鍋を置いてその周りに金属ナトリウムを並べる。蛇口から水を出して鍋に注ぐ。溜まった水があふれると金属ナトリウムが発火してガスに引火する。蛇口から出す水の量や鍋の大きさでガスに引火させる時間を自由に設定することができます」
「なるほど」
それなら機械仕掛けのタイマーのように後で怪しまれるような残骸が残らない。消しゴムBがノートPCを見ながら言った。
「チャペルの裏口の錠はピッキングできます」
消しゴムAが消しゴムBに言った。
「ついでにそのパソコンでチャペルの体積を調べてくれ。チャペルを吹っ飛ばすのに必要なガスの量が知りたい。充満させたガスに引火する時間を決めるためだ。それからアルカリ金属の保管場所も調べてくれ」
消しゴムAが山崎に言った。
「アルカリ金属の入手自体は山崎さんがやってください。ぼくたちが校舎の中をうろつくわけにはいきませんからね。必要なのは金属カリウムか金属ナトリウムですよ」
山崎が消しゴムBに言った。
「そのパソコンのデスクトップに各種規定というフォルダがある。そのフォルダに危険物管理規定という名前のPDFがあるからそれをみてくれ。化学の実験で扱う薬品の保管場所と管理方法もそれに書いてあったはずだ」
こうして家庭真理教信者による蒲田キリスト教学園のチャペル爆破計画が着々と練り上げられた。

6月30日土曜日午前7時。
蒲田キリスト教学園の正門が開き、山崎理事長のセダンが入ってきた。運転席の窓から山崎が顔を出す。コロナ禍時代に導入された体温計測カメラは顔認証カメラになっていた。遮断機が上がる。

田虫屋敷の玄関の扉が開き、メグを先頭にきむことストラとバッチョとミオとマオが出てきた。きむこ以外は全員ダサいジャージを着ており、きむこはメグの小学生時代の体操着を着ている。元気いっぱいのメグ。笑顔のきむこ。ダルそうなバッチョとストラ。死にそうな顔のミオとマオ。
「私たちも走らなきゃダメなの?」
そうミオが言う。マオも言った。
「ぼくたちは時差ボケで眠れなかったんだよ」
竹刀を後ろ手にしたメグがしゃなりしゃなりとミオとマオの前にやってきた。メグは体罰を加えようとする星一徹の如く竹刀を振りかざし、竹刀の切先をミオとマオに突き付けた。
「メグのブートキャンプにようこそ」
きむこがせせら笑った。
「はっ!なんだよアメリカ在住。時差ボケ?まだらボケの一種かそりゃ?」
毎日10キロも20キロもメグに走らされて少し持久力がついてきたきむこは調子にのりのりだ。ミオがきむこに人差し指を突き付けた。
「生意気な中二のフルタイムボケ。あんたには負けないわ」
バッチョとストラがかぶりを振る。メグが叫んだ。
「アーユーレディ、ブーツ。スタートランニング!」

蒲田キリスト教学園の駐車場に停めた自分のセダンに向かって山崎理事長が歩いてきた。山崎がセダンのトランクを開ける。トランクルームで横になっていた消しゴムたちが身体を起こした。消しゴムAが山崎にたずねた。
「ありましたか?」
「ああ。あった」
山崎はそう答えると、茶色い薬瓶を消しゴムAに渡した。消しゴムAが薬瓶を検める。瓶のラベルには危険等級Ⅰ/包装等級Ⅲだの禁水だのと印刷されていた。消しゴムAがにやっと笑って山崎を見た。
「これです。金属ナトリウムです」
消しゴムたちがセダンのトランクルームから出てくる。三人は駐車場の壁に沿って木立へと向かった。山崎と消しゴムたちは木立を抜けてチャペルの裏口にたどり着いた。消しゴムBがあたりを見回した。
「大丈夫だ。誰もいない」
山崎が腕時計を見た。7時30分。防犯カメラは作動していない。カメラはそっぽをむいていた。扉の前にひざまずいた消しゴムBが鍵穴にピッキング用の針金を突っ込んだ。土曜日の朝のチャペルはとても静かだった。木立から小鳥のさえずりが聞こえてくる。山鳩の鳴きカラスも鳴いた。カラス?
山崎たち三人から5メートルほど離れた木の幹にカラスのカーがとまっていた。
「カー」
カーはチャペル裏口の扉をピッキングしている消しゴムBをじっとみつめていた。扉の錠がカチリと鳴る。消しゴムBが扉を静かに開けてチャペルに侵入した。消しゴムBの後から消しゴムAと山崎がチャペルに侵入し、扉が静かに閉まる。カーは「アホー」と一声あげて飛び去っていった。山崎と消しゴムたちは厨房に入った。シンクの横に中二男子4名が修理したガスコンロがあった。消しゴムAが薬瓶から金属ナトリウムの塊を取り出してカッターで少し削り取る。金属ナトリウムの破片をシンクに置いて水をかけた。破片は激しく反応して燃え上がった。山崎が消しゴムAを見る。消しゴムAが言った。
「次は時限発火装置です。コンロのガスを5時間ほど出しっ放しにして引火させればチャペルは木っ端みじんです」
消しゴムAはそう言うとウォールキャビネットからいちばん大きい鍋を取り出し、計量カップで水を入れ始めた。
「この鍋には水が10リットル入ります。それ以上入れるとあふれ出します」
それからシンクの蛇口ハンドルをほんの少しだけ緩めて水を垂らし、水滴を計量カップに溜め始めた。
「100CC溜めるのに3分かかります。1リットル溜めるのに30分だ。5時間後に鍋の水はあふれます」
消しゴムBが首をかしげた。
「金属ナトリウムを5時間も外気にさらしていたら空気中の水分で自然発火するんじゃないか?」
消しゴムAが「灯油を染み込ませた綿を」と言いかけたところでバタンと音がした。チャペル正面入口の観音扉が開閉する音だ。山崎と消しゴムたちが息をひそめる。そのころカラスのカーは多摩川の上空を飛んでいた。

田虫屋敷を出たきむこたちは、多摩川大師橋緑地前の土手を大師橋に向かって走り、大師橋を越えて多摩川スカイブリッジを渡り、カーネルホテルを左手に大師橋に向かって走り、大師橋を渡って左に曲がって多摩川大師橋緑地前の土手に戻ってきたところだった。カーがきむこたちを見つけて急降下してきた。カーは竹刀を持って走っているメグの左横を並んで飛行した。メグがカーに笑いかける。
「あら、カーおはよう」
メグの右横をきむこが走っていた。その後をストラとバッチョ。いちばん後ろをミオとマオが走っていた。
「メグ!メグ!」
カーが鳴いたというか叫んだ。ミオとマオは目を丸くする。メグがカーにたずねた。
「なに?どうしたの?なんかあった?」
「チャペル!チャペル!メグ!チャペル!アゲ!メグ!チャペル!アゲ!メグ!チャペル!アゲ!」
マオが言った。
「おい。カラスがなんかしゃべってるぞ!」
ミオが言った。
「メグと会話してるわ!」
「チャペルでなんかあったんだわ!」
メグが始動した。きむこは後ろを振り返って叫んだ。
「みんなは道具を準備して軽トラでチャペルにきて!」
ここから蒲田キリスト教学園までは約3キロ。田虫屋敷までは500メートルだ。メグは加速した。きむこがメグの後を追う。きむこの後ろの4人は土手を下りて田虫屋敷に向かった。カーは「メグ!チャペル!アゲ」と連呼しながら左旋回し、多摩川の向こう岸に向かって飛んで行った。

チャペルでエンコがオルガンの練習を始めた。『羊は安らかに草を食み』を弾き始める。山崎と二人の消しゴムは厨房の床に膝をついて相談していた。消しゴムAが言った。
「れいのオルガニストですね。どうしましょうか?」
心安らかなバッハの曲を聴きながら山崎はほくそ笑んだ。
「殺せ。ガス爆発で死んだように見せかけろ。できるよな」
消しゴムBもほくそ笑んだ。

カーは多摩川の岸辺を低空飛行していた。低木にある鵜の巣を探しているのだ。あった。巣の中に鵜の幼鳥がいた。巣の上をかすめ飛んだカーは足で鵜の幼鳥を掴んだ。そのまま舞い上がると高圧電線にとまって羽を乾かしている鵜の集団を前にこれ見よがしに飛び回った。幼鳥をさらわれて怒り狂った鵜たちがカーを追って次々に飛び立った。激怒した鵜の集団を引き連れたカーは蒲田キリスト教学園のチャペルを目指して飛んでいった。

チャペルの厨房では消しゴムBがエンコの殺害方法を詳しく説明していた。
「裸締めで落としたらこの厨房に運び込んで五徳で頭を一撃します。ガス爆発で吹き飛んだ五徳が頭を直撃したように見せかけるんです」
裸締めとはスリーパー・ホールドだ。落とすとは頸動脈の圧迫で起こる頸動脈洞性失神。五徳とはガスコンロの上に乗っている鉄製の支持器具だ。消しゴムBは物騒なハナシを淡々と口にした。
「気を失ったオルガニストをこの厨房に運び込むのに人手が必要です。一緒にきてください」

メグは蒲田キリスト教学園の正門を通過した。きむこは京急蒲田駅の手前を走っている。怒り狂った鵜の集団を引き連れたカーは「カカカカカーカーカカカカーカーカカカカーカーカカカカー」とワルキューレの騎行を歌いながら羽田国際高校の上空を飛んでいた。

オルガンを弾くエンコの背後に消しゴムBが忍び寄る。エンコはまったく気づいていない。消しゴムBはエンコの首に腕を回して頸動脈を押さえた。エンコは10秒足らずで失神する。消しゴムBは消しゴムAと山崎を呼んだ。
「こいつを運ぶのを手伝ってください。すぐに目を覚まします」
山崎と消しゴムたちがエンコを担ぎ上げるのと同時に、チャペル正面入口の観音扉が音を立てて開いた。3キロを8分で走ったメグが立っていた。メグが扉を開け放つ。薄暗いチャペルにを朝日が差し込んで山崎たちを照らした。
「山崎理事長。やっぱりあんたね」
メグは駆け出して跳んだ。消しゴムBはエンコを放り出して逃げようとするが間に合わない。メグの飛び蹴りが消しゴムBの顔面を直撃する。消しゴムBはもんどり打って床に倒れ伏せた。メグは竹刀の切先を山崎と消しゴムAに突き付けた。
「二人いっぺんにかかってこい」
消しゴムAは動かなかった。山崎は怖気づいて動けなかった。メグがゆっくりと二人に詰め寄る。と、外からカーの歌うワルキューレの騎行が聴こえてきた。カーと怒りの鵜の集団がやってくる。開け放たれたチャペルの扉からカーを先頭に怒り狂った鵜の集団が飛び込んできた。翼開長1.3メートル、体重2キロの大型鳥類の集団がチャペルの中を飛びまわり暴れまわった。

きむこが蒲田キリスト教学園の正門を通過する。きむこの後ろをマオが運転する軽トラが走っていた。軽トラの助手席にはミオ、荷台にはストラとバッチョが乗っている。遮断機が軽トラの行く手を塞いだ。が、4人そろって顔認証カメラに笑いかけると遮断機が上がった。顔認証システムはミオとマオの顔もバッチョとストラの顔も区別できないのだ。軽トラが走り出す。きむこがチャペルに到着した。チャペルの中は怒り狂った数十羽の鵜の群れが暴れ回り乱れ飛ぶ大混乱の大騒ぎだ。メグは床を這って倒れたエンコにそばに近づきエンコを揺すっていた。
「エンコさん起きて!目を覚まして!」
エンコが意識を取り戻した。一羽の鵜がエンコの顔を覗き込んでいる。エンコが叫んだ。
「ひえええええっ!」
きむこも叫んだ。
「カー!メグ!わたしが来たからもう大丈夫よ。さっさとに外に逃げなさい!」
カーが「アホー」と叫んでチャペルの外に飛び出した。カーを追いかけて鵜の集団も外に出て行った。チャペルの中が嘘のように静まりかえる。講壇の裏から山崎と消しゴムAがおそるおそる顔を出した。きむこが勝利の笑みを浮かべる。山崎に向かって軽く手を上げると指をひらひらと動かした。ストラが叫んだ。
「きむこ!新しい顔よ!」
きむこ愛用のガスマスクが飛んできた。きむこはガスマスクをキャッチするやズボッと頭からかぶった。バッチョが言った。
「これもだろ」
OC-17催涙スプレーが飛んできた。しかも2本だ。しかもお徳用の26オンスのやつだ。きむこはお徳用催涙スプレーを両手でキャッチした。
「コーパー………コーパ」
きむこが山崎と消しゴムAの顔面に催涙スプレーを向ける。
「やばい!」
メグはエンコの手を引っ張ってチャペルの外に逃げ出した。

カラスのカーは多摩川に飛んで鵜の幼鳥を元いた鵜の巣に戻した。それを見るや鵜の集団の怒りはたちどころに鎮まり、元いた高圧電線にとまって羽を休めたり暴れまわって腹が空いたのか多摩川に潜ってボラを飲み込んだりした。鵜とはまことに単純素朴な生き物であった。きむこにお徳用催涙スプレー2本を空になるまで浴びせられた山崎と消しゴムたちは、ソニーたちと一緒に来たソニーの元同僚の警部に連行されるまでトンガラシ汁まみれのまま転がされていた。警察に連行された山崎と消しゴムたちは取調室でペラペラと軽やかに何もかも白状した。家庭真理教の殺人消しゴムはAとBの二人だけではないからだ。大勢いるのだ。チャペルの爆破に失敗したのだから来年4月の蒲田家庭真理教学園開校など不可能になった。なまじ釈放されると自分たちか消されてしまうのだ。シャバにいるより拘置所や刑務所にいたほうがはるかに安全だ。いやもはや積極的に警察に全面協力して家庭真理教を潰さない限り自分たちの生命は保障されないのだ。山崎と消しゴムたちはそう考えた。というわけで彼らによって家庭真理教の悪事が次々と暴露された。数か月後に家庭真理教の総本山である金ピカ都庁の巨大模型に強制捜査が入った。家庭真理教とのけしからん関係がバレた都知事はリコールされた。蒲田キリスト教学園の小宮清元理事と大久保隆元理事の殺害犯も逮捕された。大教帝も中教帝も小教帝もその下のカルト信者も悪事ざんまいだった連中は残らず逮捕されて家庭真理教は壊滅した。のだが、ハナシをチャペル爆破未遂事件翌日の7月1日に戻します。

7月1日
この日は日曜日だが大友学園長とヤカモトは蒲田キリスト教学園の学園長室にいた。二人でチャペル爆破未遂事件の事後処理に悪戦苦闘していた。ヤカモトが学園長の机に手をついて身を乗りだした。
「山崎理事長が逮捕されたんだから、とにかくまた記者会見を開かなきゃダメです。こちらから情報を与えてやらないとマスコミは好き勝手な憶測をバラまきますよ!」
椅子にすわっている学園長が身をそらした。
「情報を与えてやるも何も私たちだってなにも知らないじゃない。何を言えばいいのよ。監事の先生たちは二人とも警察に連行されちゃったし」
学校法人の監事とは『理事の業務執行を監査する機関であり,学校法人の管理運営を適正に行うために極めて重要な役割を果たすもの』とされていた。蒲田キリスト教学園の監事二名は弁護士と公認会計士であるが、家庭真理教の信者でもあった。山崎理事長はもとより、理事の豊田、鈴木、北川ともズルズルベッタリの間柄なのだ。ゆえに理事たち三人は蒲田キリスト教学園の予算を横領して一回あたり一万ドルの児童買春ができたのだ。しかし逮捕された豊田、鈴木、北川の三人が、監事とはズルズルベッタリの間柄です。と警察に白状したため、監事の先生たちは二人とも警察に連行されちゃった次第である。学園長が身を乗りだした。
「保護者への説明会も開かなきゃいけない。職員室の電話は鳴りっぱなしよ。学校宛のメールだってすごいことになってるんだから。もうこうなったら評議員のみなさんにも手を貸してもらいましょうよ」
ヤカモトはさらに身を乗り出した。
「豊田は評議員から理事になったんですよ。今の評議員の中にも蒲田キリスト教学園の乗っ取りに加担した家庭真理教の信者がいるはずです。評議員も全員選び直しですよ!」
「記者会見と保護者への説明会と評議員の再選出。何より新しい理事を決めなきゃいけない。なにもかもぜんぶ私たち二人だけでやらなきゃいけないのね」
学園長が頭を抱える。コンコンとノックの音がした。少し開いた扉の隙間からエンコが顔を出した。
「ちょっといいかしら。田虫金造さんとお身内のみなさん方がお見えになられました」
学園長がパッと顔を上げた。
「あ。どうぞ。お通しください」
エンコと金造とミオとマオとフレドーとコニーがぞろぞろと入って来た。学園長が立ちあがって金造たちに頭を下げる。
「こちらからご挨拶に伺わなければいけませんのに、わざわざご足労頂いてたいへん恐縮です」
ヤカモトとエンコも頭を下げた。金造が手を振る。
「いやいや。そんなんせんと頭を上げてください。ちょっとお願いごとがあるんで来たんですわ」
学園長たちが頭を上げた。金造がハナシだす。
「昨日のチャペルでの騒動なんやけどね。うちのメグが殺し屋を飛び蹴りで倒したり、カラスと鵜が大暴れしたり、きむこが催涙スプレーをぶちまけたり、なんてことは言わんといて欲しいんですわ。エンコさんがひとりで催涙スプレーつこて侵入者を撃退した。ということにしといて欲しいんです」
「は…はあ」
と、学園長が言う。金造はにこにこしながら悪びれずに言った。
「いや、扉の前で立ち聞きしとったんですけどね。また記者会見されるんでっしゃろ。そんときにでんな。メグとカラスときむこが大暴れしたことは伏せておいて欲しいちゅーことですわ」
学園長が困惑顔で言った。
「事実を伏せて嘘をつけと……」
ヤカモトが口をはさんだ。
「学園長。田虫さんは悪事を隠せと言ってるんじゃありませんよ。メグとカーときむこがなした善行を隠せとおっしゃっています。イエスも『右手がしていることを左手に知らせるな』と言ってるじゃないですか。メグとカーときむこの大活躍をマスコミが知ったら馬鹿げた大騒ぎになるだけですよ。マスコミの馬鹿騒ぎなんかあの子たちを混乱させるだけですよ。百害あって一利なしですよ」
「それはわかってるのよ。ただ私…嘘をつくのがヘタクソで…」
学園長がそう言うとミオが前に出た。
「ちょっといいですか。記者会見には理事長が立つべきなのに、理事長がいないのが問題なんです。逮捕されちゃいましたからね。でも誰かが理事長をやらないと」
ヤカモトが嫌そうな顔をした。
「確かにそうかもしれないけど……誰が理事長をやるのよ」
ミオとマオがさっとヤカモトを指さす。ヤカモトは自分を指さした。
「わたし?あの……それはちょっと……勘弁して欲しいんですけど」
「なんでもかんでも学園長にさせちゃダメですよ。学園長はもう限界ですから。ヤカモト先生が理事長をやるんです。他に人がいないんだから仕方ないでしょ!」
ミオがそう言うと、学園長もうなずいた。
「そうそう。ヤカモトさんが理事長をやりなさい。私は記者会見とか無理だから」
「わかりましたよ」
ヤカモトは苦い顔でそう言うと、ミオの顔をじいっと見つめた。
「あなた…ストラじゃないわね?」
「私はミオですよ!つってもわかんないか……。キジトラです。田虫キジトラ。覚えてませんか?あなたの教え子ですよ」
「ああ。キジトラね。なによもうストラそっくりになっちゃって」
ミオが「いやストラが私そっくりに」と言いかけるとエンコがマオを指さして叫んだ。
「じゃあなたはもしかしてサバトラくん?なによもうバッチョそっくりになっちゃって!」
「ぼくのことはマオと呼んでください。キジトラはミオと呼んでやってください」
「あーちょっと、提案させてもろてよろしいやろか?」
金造がハナシに割り込んだ。
「この学校の寄附行為に定められた評議員の条件は、25歳以上の蒲田キリスト教学園の卒業生で理事会が選んだ者4人ですやろ。このミオとマオは蒲田キリスト教学園の卒業生で25歳でんねん。評議員になれますがな。せやからまずこの二人を評議員にしますやろ。そんで理事の条件いうたら、評議員の中から評議員会が選んだ者2人いうことや。ミオとマオをそのまま理事に横滑りさせられまへんやろか?」
「えっ!」
ヤカモトと学園長は考え込んだ。しばらくしてヤカモトが学園長に言った。
「ミオとマオが家庭真理教の回し者じゃないのは確かなんだから、もうそれでいきましょうよ」
「いいもわるいもないわよね。他に人がいないんだし」
学園長がそう言うと金造はにこやかに言った。
「ほなこれで理事二名は決まり。残りの理事二名は、学識経験者のうち理事会において選任した者やさかい、この二人を連れてきました。はい。そこの二人。自己紹介してください」
フレドーが頭を下げた。
「フレドーです。学歴は専門学校卒です」
コニーも頭を下げた。
「コニーです。学歴は、えーと、高卒です」
金造が言った。
「二人ともあだ名でっせ。18歳以上のもんはあだ名で呼ぶのがうちのルールでんねん」
学園長とヤカモトは困惑した顔を見合わせた。
ミオが腕を組む。
「なによなによそんな顔をして。イエスさまはどこの大学を出たっていうのよ」
学園長が言った。
「学歴はどうでもいいのよ。失礼ですけどお二人のご職歴は?」
フレドーとコニーが金造を見た。金造は笑顔で二人に言った。
「包み隠さず正直にお答えしなさい」
フレドーが答えた。
「おれは田虫貴金属の従業員です。2年前まではその……泥棒でした」
コニーも答えた。
「おれも田虫貴金属の従業員です。そんで2か月前まで泥棒でした。てへ」
学園長とヤカモトが白目をむいた。マオがおごそかな顔で言った。
「イエスはこう言われた。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」
スマホを見ながら金造が言った。
「この学校の寄附行為の第3条にはこう書いてありまっせ。この法人は、イエス・キリストの教えに基づき、教育基本法及び学校教育法に従い、学校教育を行い、社会にとって重要且つ有益な人材の育成を目的とする」
学園長が両手を上げた。
「わかった。わかりましたよ。降参です。でも、ひとつだけ教えて欲しいことがあります。おたずねしてもよろしいですか?」
「もちろんです。なんでも訊いてください。ちゃんと答えますよ」
金造がそう答えると、学園長は金造をじっと見つめてたずねた。
「あなたはどうして、あなたのお身内のみなさんをこの蒲田キリスト教学園の理事にされたいのですか?蒲田キリスト教学園を乗っ取るつもりですか?」
金造が答えた。
「ワシは孫たちを『蛇のように敏く』なるように育てました。このミオもマオも、バッチョもストラもきむこもみんなです。そんでまあ確かに『蛇のように敏く』育ちましたが、それだけやなかった。孫たちはみんな『鳩のように素直に』育ちよった。ワシはそれが不思議でね。よくよく考えたんです。そしたら孫たち全員の共通点はですな。この蒲田キリスト教学園に通うておる。ということでした」
みんなは黙って金造のハナシに耳を傾けた。金造がハナシを続ける。
「ワシは蒲田キリスト教学園に感謝しとるんです。孫たちを『鳩のように素直に』育てるやなんて、ワシには到底できまへん。蒲田キリスト教学園はええ学校です。せやから、蒲田キリスト教学園を守るために、ワシは身内のこいつらをこの学校の理事にせなあかんと思たんです」
エンコが笑いながら言った。
「メグちゃんとカーときむこちゃんはチャペルを守ってくれました。チャペルだけじゃなく私も守ってくれましたよ」
金造も笑った。
「あの子らはそれこそ、右手がしていることを左手に知らせへん子ですよ。ほんであの子らのそういうおこないは、蒲田キリスト教学園に通わなかったワシの身内にも影響を与えておるんです」
フレドーとコニーはうつむいて笑みを隠した。学園長が田虫金造に向き合う。
「家庭真理教に蒲田キリスト教学園が乗っ取られかけたのは、私たちが弱いからです。私たちが弱いのは、私たちは、キリスト教が持つ力とイエスの力を一緒にできないからです。キリスト教が持つ力は組織の力です。家庭真理教が持つ力も組織の力です。キリスト教もひとつ間違えれば家庭真理教と同じことをするでしょう。その危うさに多くのキリスト教徒は気づこうとしません。キリスト教は他の宗教とは違う。そう妄信するだけです。多くのキリスト教徒は、イエスではなく、キリスト教の力を信じているのです」
そう言うと学園長は黙り込んだ。学園長のハナシをヤカモトが継いだ。
「私たちは組織の力を避けてきました。もし蒲田キリスト教学園が強い力を持つキリスト教の教団と繋がっていれば、家庭真理教なんかに狙われなかったでしょう。しかし組織は大きく強くなればなるほど自己目的化します。宗教の目的は人々の幸福のはずです。それなのに宗教組織は、人々の幸福など二の次にして、人々の幸福を食い物にして、組織を大きく強くすることを目的化してしまう。競合する他の組織との争いに勝つためにです。自己目的化はあらゆる組織の宿痾です。キリスト教もこの宿痾に蝕まれています。イエスの教えより、自己目的化した教団のルールや、教団幹部の恣意的な命令が実行されるようになってしまう。私たちにはそれが耐えられませんでした。だから、蒲田キリスト教学園を自己目的化させないために、キリスト教からも距離を置きました。でもそのせいで家庭真理教に食われかけたわけです」
マオがびっくりして言った。
「蒲田キリスト教学園って名前だから、この学校はキリスト教の学校だと思っていましたよ」
ヤカモトがにやりと笑った。
「騙されたわね。蒲田キリスト教学園がキリスト教の学校なら寄附行為に『この法人は、キリスト教に基づき』と書くわよ。でもそうじゃない。キリスト教の学校じゃないから『この法人は、イエス・キリストの教えに基づき』と書いてあるの。蒲田キリスト教学園という名前は、いってみれば外敵から身を守るため擬態よ。蒲田キリスト教学園はカマキリに擬態している弱いバッタなの。もっとありていにいうと…」
「ペテンでっか」
田虫金造はにやりと笑った。
「ペテンやったらわしらの得意分野だっせ」
金造はそう言ってヤカモトに手を差し出した。ヤカモトもにっこり笑って金造の手を握った。ヤカモトが言った。
「アダムとイブを騙した蛇はペテン師のルーツです」
誰かのスマホが鳴った。エンコが電話にでる。
「あ。バッチョくん。清掃業者さん来たの。はい。じゃそっちにいきまーす」

きむこが26オンスの催涙スプレー2本を空になるまで噴射したのでチャペルの中はトンガラシ汁まみれだった。そこでバッチョがもはやおなじみさんである特殊清掃専門の清掃業者をチャペルに呼んだのだ。チャペルの清掃はすでに始まっており、きむことメグと琴玉とバッチョとストラはチャペル正面入口の前にいた。カーもいた。琴玉がすわり込んでカーと何かをしている。オセロゲームだ。琴玉が負けている。三連敗していた。琴玉はいつも角を四つ取った。にも関わらず負けてしまうのだ。ケチくさい人間の矜持を粉々に打ち砕かれた琴玉がカーに土下座した。琴玉が肩を落として立ちあがった。
「カラスにオセロで負けちまうなんて、おれは脳なしだ。おれの頭にはわらが詰まっているんだ」
メグが琴玉を慰めた。
「琴玉ちゃんは人間とハナシができるじゃないの。カーもできるけど」
琴玉が涙目で言った。
「脳なしのくせにハナシばかりしている人間なんかたくさんいるじゃねえか」
エンコがやってくる。エンコはメグと琴玉とカーの姿をじっと見て叫んだ。
「メグ!前っからあんたは誰かに似ていると思っていたけど、ドロシーよ。オズの魔法使いのドロシーにそっくり!そんでメグの隣のあなた。あなたはスケアクロウね。オズの魔法使いに出てくるカカシにそっくりだわ!どなたか存じませんけど……」
人間の矜持などハナから持っていないきむこが嬉しそうに自分を指さした。
「わたしは?わたしはオズの魔法使いのだれに似ているの?」
「きむこちゃんはそうねえ。トトよ。オズの魔法使いのトト」
「To Oz?」とメグ。
「To Oz!」と琴玉。
メグと琴玉が腕を組んだ。二人は歌いながら木立に向かってスキップして行った。

「We're off to see the Wizard, the Wonderful Wizard of Oz!」
「魔法使いに会いに行こう。素敵なオズの魔法使いに!」

「You'll find he is a whiz of a Wiz! If ever a Wiz! there was.」
「オズは魔法の達人だってわかるよ!まさに魔法使いさ」

「If ever oh ever a Wiz! there was The Wizard of Oz is one becoz,becoz, becoz,becoz,becoz,becoz,becoz of the wonderful thing he doz!」
「この世に魔法使いがいるなら、オズの魔法使いがそうさ。だって、だって、だって、だって、だって、だって素晴らしいことをするんだから!」

「We're off to see the Wizard, the Wonderful Wizard of Oz!」
「魔法使いに会いに行こう。素敵なオズの魔法使いに!」

カラスのカーとトト…じゃなくてきむこが二人のあとを追いかけて行った。

おわり。

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