美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第12話
祥太のお母さんが経営している『美容室 前田』は、商店街のちょうど真ん中にある。我が家よりも駅に近く、歩いて2分程度だ。
カットの予約を入れた私は、昼の営業を終えて店に向かった。
携帯電話でメッセージを送ると、祥太は「大分伸びきってたもんなー」と返信してきた。
外から見ると純喫茶のような雰囲気が漂う『美容室 前田』の入口。内照式のレトロな字体をした看板が路面に置かれている。
ナツさんがデザインした看板がなければ、商店街の一角にある昔からの喫茶店に見えてしまうかもしれない。
木製ドアについた銀色のドアノブをまわして入口を開ける。
あらゆる薬品の匂いとシャンプーの香りが複雑に混ざる美容室らしい空間には4人の美容師がいた。
「利津!」
「あら、りっちゃん」
いつも通りの祥太とおばさん。予想通りの笑顔を向けてくれる存在がいるというのは、なんというか心強い。
他の2人はまだ見習い美容師で、祥太について色々勉強しているらしい。2人とも、若い女の子だ。
「いらっしゃいませ。お名前をお願いします」
カウンターに入った長い髪の女の子が私の名前を尋ねる。
自分の名前を言うと、「お待ちしておりました」とマニュアル通りらしい受け答えをして席を案内してくれた。
足置きがある美容室の椅子に腰かけると、最初に白いケープに腕を通して首の後ろでマジックテープで止められる。
もう逃げられないなと覚悟をする時間だ。
目の前の大きな鏡は、服すら隠されて首から上が露わに強調された姿になっている。
この自分と向き合う時間が、実は一番つらい。
もうちょっとメイクが上手くならないものかなあとか、こういう格好をしていても日葵さんはやっぱり美人なんだろうかとか、余計なことばかりが浮かんでしまう。
「おーっす。今日はどうされますか?」
「取ってつけたような敬語だなあ」
「だって、客だし」
「そうじゃなくて、客だと思ってる感じがしないんですけど」
鏡越しに祥太と顔を合わせながら会話をする。
「ちょっと、雰囲気変えたい……かな」
櫛を手に持った祥太は、私の髪をいじりながら状態を確認している。
祥太の指が頭皮をなぞったり髪が引っ張られる感覚がする度に、実際問題、この伸びきった髪をどう思っているんだろうと気になってしまう。
「うーん、雰囲気変えたいなら、毛先で遊ぶ?」
「毛先で……遊ぶ」
言っている日本語が難解すぎて私は言葉を繰り返すことしかできない。
祥太はお店にあるヘアカタログを取りに行くと、パラパラとそれをめくりながら私に見せて来た。
「アレンジしやすいのは、この辺。あえて外ハネしやすい鎖骨位の長さに切って、段を入れて流れを作る感じとか。時間ある時はコテで巻くとこんな感じのアレンジができて可愛いと思うよ」
ヘアカタログのモデルさんが可愛いので、やたら可愛く見えている気がする。私が外ハネのヘアスタイルなど、おかしくないのだろうか……。
「利津はあんまりクセがないから、動きを出したいなら段入れた方が個人的には良いかなあと思うけど、重めのスタイルが好きなら入れない方が良いし……。あ、重めのスタイルだと、シルエットはこんな感じになる」
ヘアカタログをめくって違うスタイルを提示してくる祥太。
確かに重めのスタイルも可愛いけど、これだとあまりイメージは変わらない。私の現在の重めは伸びっぱなしってことではあるけれど。
「本音で言って欲しいんだけど。私に似合うのってどれ?」
「最初に提案したのは、それだけお薦めってことだよ」
「えー似合うかなあ……」
「いけると思うよ。骨格的に」
この間会った時と同じような金髪の祥太は、生え際に黒が薄っすらと出始めていた。もう少ししたら、またさっきの女の子の実験台になってブリーチされるのだろう。
頭皮に悪そうな仕事だなあ、美容師って。
「色は? そのまま?」
「どう思う?」
「どういうのが好きかだけど、まあ黒でもいいとは思う」
「美容室が儲からない提案だね」
「ばーか。信用商売だよ」
客に「ばーか」はないだろう、と言いそうになったけれど、ありがたいなと思う。
「じゃあ、黒のままで良いかな」
「前髪の希望は?」
「んー……」
「利津は丸いシルエットに見えて面長だから、前髪は有った方が良いな。重いのより軽めにした方が良い気がするけど」
「軽い前髪か……」
「パーマもお薦めだけど、まあカットでもなんとかなるっちゃなる」
祥太は私の伸びきった前髪を持ち上げて、くるんと前髪を作るように持ってくる。
「っつーか静かだな。なに緊張してんの?」
「うるっさいなあ。美容室久々だと緊張するもんなの」
「へえ。利津でも緊張するんだ」
失礼な、と反論しかけて、祥太の前で緊張をしてこなかったしな、とも思う。
「こんな町の美容室で緊張するやつなんか、利津くらいのもんだな」
櫛を入れられて、横に流していた前髪がだらりと目を塞ぐ。櫛で全体を梳かされたあとは、祥太の両手で毛先をいじられたり分け目を見られたりしながら、状態を確認されていた。
「ま、いーや。任せて」
「はい」
今までもこういうことはあった。私は自分に似合うヘアスタイルなんて想像がつかないから、もう任せるわ、と思考を放棄する。
それに呆れるわけではなく、いつだって祥太は期待以上の仕事をしてくれた。
私の顔周りで、ハサミが細かく動く。
軽快なハサミの音が続き、落ちた髪がクリーム色の床を黒くしていった。
いつも思うけど、髪の毛って量が多いしすぐに伸びるし、私にとってなんの役に立つんだろう。
祥太は言葉が少なくなって、鏡の中の私を真剣に見ている。
集中すると、案外無口になるタイプだよなあとその顔を時々盗み見た。
「昨日、日葵さんに会ったよ」
「えっ?? マジで?」
「ナツさんの店に来てた」
祥太は私の後ろで可動式の椅子に座って髪を切りながら、「何しに来たんだろうね」とだけ言った。
「なんか、仕事で近くに来てたみたい。お店でコーヒー飲んでバタバタと出て行ったから、本当に合間に立ち寄ったんじゃないかな」
「そうなんだ」
思ったより祥太の反応が薄くて、何を考えてるんだろうと気になる。
「もしかして、祥太も会いたかった?」
「なんでだよ」
「ほら、そういう時は呼べよーってことなのかと」
「別に」
私の髪に櫛を入れながら、眉ひとつ動かさない様子が何となく面白くない。
日葵さんが店頭に立っていた時には、あんなに嬉しそうだったくせに。
「反応鈍いね。日葵さんみたいな綺麗な人、なかなかいないよ?」
「綺麗な人が嫌いなわけじゃないけど、別に日葵さんが好きなわけじゃない」
祥太はそう言いながら私の前髪を前に降ろし、ハサミを入れ始めた。目の前に髪の毛が落ちてくるから、目を瞑らないわけにいかない。
ーー好きなわけじゃない、かあ。なんだか意味深な言い方をしてくれる。
「日葵さん、よく分かんねえなあと思って」
「ん? どういうこと?」
「なんつーか、振った男の周りをウロウロするとか」
祥太は相変わらず鏡の中の私を、髪型チェックのために見ている。左右のバランスを確認したり、後ろに回って長さを見たり。
「日葵さんが、ナツさんにアプローチしてるってこと??」
私はナツさんと日葵さんの関係に詳しくない。恐らく祥太はその辺をナツさんから聞いているらしい。もったいぶらないで教えて欲しい。
「詳しいことは言えないけどさ。どういう神経してんだろとは思うよ」
「どういう神経……」
「その点、利津はちゃんとしてるって。安心していいから」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだけど」
髪を切られている間、祥太とは鏡越しでしか目が合わない。
だから、会話をしている間もどこか他人行儀な感じがするし、いつもよりも人として距離があるような感じがしてしまう。
祥太の知っている事情と、私が目の前で見たナツさんと日葵さんの様子。
振られたのがナツさんなら、日葵さんさえ良ければ復縁……なんてことになるのだろうか。
「お店で話をしているナツさんと日葵さん、カップルみたいだった」
「ふうん、それでか。髪切りたくなるくらいの衝撃だったわけだ」
祥太は納得しながら私の髪を切っている。
私は図星すぎて反応に困った。
「いいよ、動機がそれでも。利津が髪を切りたくなるってのは、歓迎だから」
祥太はそう言うと私の頭を両手でぐっと持って、顔が真っ直ぐになるようにした。鏡の中の私をじっと見て、髪型をチェックしている。
前髪は、すっかり短くなっていた。
「美容室って、やっぱり定期的に来てなきゃダメだなあって思うんだけどね。この大きな鏡で自分を見ると、やっぱり日葵さんには程遠いなあって思ったりさ、現実を見せつけられる」
私が苦笑いしていると、おばさん、つまり祥太のお母さんがじろりと私を見た。
「りっちゃん。誰と比べているのか知らないけど、綺麗の定義は人それぞれでしょ」
それはよく分かるけど、実際に日葵さんみたいな圧倒的な美人を目の前にすると、この世はなんて不公平なのだと思ってしまう。
好みや価値観は人それぞれだと言うけれど、女に生まれた以上、整った美人は有利に生きられる。
好きでもない人に言い寄られたりする苦労は絶えないんだろうけど。
「日葵さんは確かに美人の類だと思うけど、綺麗な人ってのは自分をよく分かってる人だと思うな」
それは、身の程をということだろうか。
それとも、日葵さんは自分が美人だとよく分かっているということだろうか。
「メイクや髪型は、自分の良いところを強調させたりするだろ」
「自分の、良いところ……」
「欠点のない顔なんてないけど、髪型とメイクで良いところを強調させればいい」
「祥太って、メイクも出来るんだっけ?」
「専門でちょっとかじった程度だから、出来るとは言えないかな」
私の髪に祥太の梳きバサミが入って行く。ギギ―という振動が伝わって長い髪がハラハラと落ちた。
「ねえ、今度さあ……メイク教えてよ……」
「別に構わないけど、メイク紹介動画で勉強した方が良い気がする」
祥太の言いたいことは分かる。メイク紹介動画だって、観たことが無いわけじゃない。でも、あれを観ても自分に似合いそうだと思えないからこうなっているわけだ。
結局、自分で何とかしろってことなのだろう。久しぶりに頼ろうと思えば冷たいなと、私は祥太に期待するのはやめた。
髪にドライヤーが当てられている。さっき受付をしてくれた女の子が一緒にブローに入ってくれた。祥太と2人がかりで私の髪が乾かされていく。
「軽くなりましたね」
彼女はそう言って、少なくなった私の髪をくるくると巻くように乾かしていた。
単にドライヤーで乾かされただけだったけど、随分印象が変わっていた。
祥太は乾いた髪を丁寧に確認しながらハサミを入れている。
「メイク道具、専門の時のやつが一式残ってるから、実験してみる?」
「実験?」
「久しぶりだし上手くできるか自信ないけど、俺、メイク得意だった」
「大丈夫?」
「知らん」
祥太は無責任に言ったけど、協力してくれるなら客観的な意見が聞けるかもしれない。
そんな話をしていたところで、もうカットは終わっていた。
「どうよ、これで。試しにコテ当ててみる?」
私が頷くと、祥太は手のひらにスタイリング剤なのかトリートメントなのかを手に取って私の髪の内側から馴染ませてヘアアイロンを髪に当てていった。
いつも思うけど、美容室って場所は客と美容師の距離が近い。
パーソナルスペースに入られるのを了承しなければいけないから、生理的に受け付けない相手だと髪を切られるだけの行為すら苦痛だろう。
ってことは、美容師って女性から生理的に無理だと思われたら成り立たないのだろうか。
「アイロン、そうやって綺麗に滑らせるの難しいよね」
「そうか? まあ、摩擦で刺激を与えちゃうと一気に痛むからなあ」
アイロンが通されると、私の髪に艶が出た。いつか祥太に綺麗な髪に憧れると話した時、そんなのは表面上だけ取り繕っている場合が多いからヘアアイロンを使いこなせと言われたのを思い出す。
毛先だけを巻いて外ハネになった私の髪は、さっきまでの重さなど無かったように動きを得ていた。これを自分で再現出来たら最高なんだけど。
スタイリングを終えて別人になった私は、祥太と2人で受付に歩いた。会計をしている間、祥太はずっと乾かし方だとかスタイリングの方法なんかを教えてくれる。
「じゃあ、メイクのことはまた。今日はサンキューな」
「こちらこそ、いつもありがとう」
祥太が店の外まで出て、私が見えなくなるところまで立っていてくれた。
こっちを見ているひょろっと細長い男性の影。
私の幼馴染が祥太で良かった。
商店街の端っこに、『定食屋まなべ』が見える。
昭和レトロで古くても味のある『美容室 前田』に比べて、ただただ時間の経った家のような店。
これから夜の営業が始まる前に、折角だからテイクアウトのコーヒーを買おう。
湿気を帯びた町の空気に、私はコーヒーショップのアイスコーヒーを混ぜることに決めた。
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