雑記『YEAR-END』
年末といえば。子どもの頃は祖父母の家、父の実家で過すのが当り前だった。
何故当り前か。時代だろうか。でものび太も正月は自宅だったし、サザエさんだってマスオさんの実家に行くなんてなかったと思うけれど。
事情はともかくとして、私にとって祖父母の家は、高校のときに売却されるまで、引力の如く寄せられ、星の如くめぐりくるものだった。実際ちょっと変った家で、足音がエコーするおおきな階段、首脳が来訪しそうな応接間、火鉢と掘炬燵の茶の間、叔父が増築した60年代フランス映画みたいな部屋、ふたつのトイレみっつの洗面所、元は電話室だったらしい収納庫、高低差ある表側の庭とこわい番犬がいて不可侵の裏庭etc……があって。まぁ、あとになって写真を視れば、「あれ、こんなもんだった?」と、規模としては拍子抜けするものではあるのだけれど、私が体感したあの家は、カオスでメルヘンで奥行きの知れぬ、ちょっとだけ(夜が怖くて)トラウマを植えつけられた場所でもある。未だに夢で視るし、小説の舞台としても複数回使った。
眠らずに年を越したくて、大晦日の夕方、歳のおなじ従姉妹とふたり蒲団をならべ寝溜めをしたことがある。そこもまた妙な部屋で、和室なのに床は絨毯、左の隅っこに何か判らぬ洋書の積まれた鉄の書棚、右の隅っこにいつ誰用に買ったものかアヒルのおまるがあった。夕方とは云えほぼ真っ暗で、ちいさな豆電球だけを灯した天井に蛾が舞い、金の粉を散らしていたのを憶えている。閉めきっていただろうに、何処よりはいったものか。
それから起きて蕎麦などたべ紅白歌合戦ゆく年くる年をコンプリートして0時を迎えた筈だがそのワクワクや達成感は思いだせない。寝溜めはそれっきりで、翌年従姉妹は「もう起きてられる」と、付きあわなかった。私より発育が早かったのか、精神年齢が上だったのか。
家ではない場所ではじめて年越しをしたのは、20代のとき、当時恋仲だったひとと、カラオケボックスで。そこも風変りで、ラブホテル風か、或いはもっと異次元な、壁から天井まで蠱惑的でややデカダンなピンクにベタ塗りされており。常夜灯ほどのつつましい光の反射で、私たちの服や顔まで、金ではなくピンクの粉が降りそそがれた。親族と新年を迎えぬ背徳感に、私は酔い痴れていただろうか。それすら考えない空者だったか。年明けて半月ほどのち、そのひとにはフラれた。ともに居て年を越すことは、あちらにとって特別な儀式でもなんでも無かった。目出度さも厳かさもなく気ままに選曲されるカラオケとおなじに、料金に沿った時間をあそんだもしくは退屈した、それだけ。1月のまっさらな空気も関係を繋ぎとめる威力なく。むろん、今思えばあちらの私への不満も不安もそれなりに理解できるし、ひととの繋がりはたいがい引力でも星のめぐりでもなく、彗星の如くふいに現れては去ってゆくものだということも、解っている。おない歳の従姉妹はどうだろう。あの家がなくなって以降会う機会は減ったが、こんな躓きを経験したろうか。彼女なら私のようなまわりくどい迪をたどることなく、頭脳で視きわめ回避していた気がする。彗星の法則も、あの家で過していた頃からきっと、知っていて。
年末といえば。愛犬を亡くしたのも8年前の11月の末だった。それまでも犬は飼っていたし、特別扱いするのも大変申し訳ないのだが、特別な犬だった。あれ以降動物とは暮していない。
犬でも猫でもそうだろうが、あちらにはあちらの、ヒトとは相容れぬ本能や感情や考えがあって、眼に視えぬアクリル板のような隔てを、お互い心得つつ暮してゆくもの、だと思っていた。
彼に関しては、家族となった初日から、板なんぞ壊して突進してくる闘牛だった。とりあえず物理的な距離はゼロ、近すぎてただでさえおおきな双眸が倍のサイズのひとつ眼に視えた。さながら新宿の眼のように瞬きもなく私や家の人間を視つめ、内にあるものまで読みとり……3キロ台しかない小型犬だが、私と変らぬ体躯であるように感じた。おしっこ癖の悪さをのぞけば、対等な大人だった。ヒト臭いというか、頼り甲斐すらあったかもしれない。私が午前様になるとはんぶん寝惚けながら叱り。よその犬の写真とか「かわいい」とこっそり云ってたらすぐ感知し嫉妬を露にし。家での法事や銀行との相談に澄まし顔で参加し。私の太い声は気に召さなかったようだが親の鼻歌にはなぞるように鳴いたり。親子喧嘩と病院と雷と独りぼっちを何より嫌い……あとになって写真を視れば、「あれ、こんなもんだった?」と拍子抜けするサイズの生き物なのに。
亡くなったのは空気の澄んだ昼さがり。医師の指示にしたがい薬局で保冷剤を山ほど買い、身をかこった。こんな季節、闘牛のくせに地表には殆どおらず身軽な空飛ぶ類の如く誰かの膝にフワリのりぬくもる冷え性の彼を、逆に冷やさねばならぬとは……と思いつつ、動物霊園へゆく翌朝まで、傍らで過した。そしてほんとうに、飛ぶ存在となった。
彼のいなくなった年末を、私はどう過ごしたか。気をそらそうと、比較的アクティブにうごいていたと思う。やたらはっきり憶えているのは、親が家の鍵をなくし、あらたに造って貰いに、妙に辺鄙なところへ私が独り行ったこと。辺鄙だから空の面積が広くて、その日もよく晴れていて。この空と、彼の、距離ゼロのひとつの黒眸と、どちらがおおきいだろうと、思いながら。なんでか、彼とはお別れなのにお別れとは、思わなかった。今でも思っていない。あの祖父母の家とおなじふうに、引力の如く寄せられ、星の如くまたいつかめぐりあうものだと、信じているというか、頭でも軀でも心でもない何処かの鐘が鳴り、何処かの空間にエコーする(人間にたいしそういう感覚を抱いたことが殆どないのが、まぁ致し方無いような、不甲斐ないような、複雑な気持ちにはなるが)。
年末といえば。クリスマスはとても好き。宗教的なことには無知だし、さりとて皆でパーティーとか、恋人とラグジュアリーに、なんてタイプでもないが。子どものときはカブスカウトにはいっていてクリスマスには集いがあって、騒ぐのではなく厳かに、『きよしこの夜』かなんかを、青の制服と制帽、黄色いネッカチーフの姿で歌った記憶がある。蝋燭も手にしていたような? その会場が電気でなくちいさな炎たちで照らされていたのはたしかだ。子どもながら感じていた浮世への悲嘆や歯痒さや幻滅……諸諸ふくめた負荷みたいなものを、この時期だけは総てチャラになるような心持にさせてくれた(学校よりカブスカウトの方が楽しかった、というのもあったけれど)。
そんな時代を終え、クリスマスだからと集う機会がなくなっても、この季節に聴きたくなる曲……クリスマスナンバーに限らず薄氷はるような空気を醸しつつもやさしく熙る曲をとりだしたり、何処の街にも飾られた、ツリーやデコレーションを規模にかかわらず眺めたりするのが好き。そういうのは、独りでするのがいい。若い頃にはできなかった解らなかった、独りだから感じとれる季節というのも、またよい。とてもよい。
ツリーってあれだけ数知れずあっても、飾りつけ、または彩りのバランスがおなじものがひとつとして無い……って、そりゃそうだ。今年はその違いを楽しんで、スマホじゃないカメラで撮ったりなんかもする。こないだは、金色の飾りのみに統一された、粉ふるようなツリーを視た。撮りたかったがカメラを忘れた。25日までにまた視に行くか。オカワリは一杯目ほど美味しくないかな。
……そういえばいつだったか、何十年ぶりかに観たアニメのサザエさんで、クリスマスケーキの話だったと思うけど、『スイーツ』という単語が誰かの口から出てきたのには新喜劇バリにズッコケた。あそこはもう昭和世界でなくなったの?
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こちらに参加させていただきました、ギリギリ!
