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掌篇小説『肌月』

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『肌月』というのが、近ごろわたしたちの星に接近している。

月とはちがい、こちらから触れるかと思うぐらい近づき、その表面がまるで、美しいヒップみたいにつややかでなめらかそうなので、みんな『肌月』とか『尻月』とか呼んでいる。
何も知らなければ、衝突するのでないか? と怖れるほどの有り様だが、実際には飛行機も、衛星も届かぬほど距離があるらしく、たまたまいまは軌道がこの星のそばにあり、しばらくは時折、姿を見せるであろう、と。

私は仕事を終えた帰り道で、はじめてまともに、肌月を見た。ほんとうにきれいな円で、女性と言うよりは赤ちゃんのお尻みたいな、半ば水彩の絵本にある存在のような、それでいてぷるんと弾みだしそうなおもむきだった。夜も更けていたが、子どもから大人まで道にあらわれ、見物している。月みたいに黄色く円い類いの焼き菓子の夜店なんかが、ぽつぽつと出ており、あまい薫りがただよう。肌月そのものが醸しているかのように、錯覚する。

肌月が何でできているのか、ちゃんとしたことは知らないが、人々は
「ぜんぶ砂漠なんですって。砂風が舞ってぼやけるからきれいに見えるのよ」
「表面は凍ってるって聞いたよ。だからつやつやしてるんだ」
「ガスの塊らしいで。尻月だけにな」
とか、てきとうなことを喋っている。

肌月の片隅で、何かが華奢なアーチを、いくつかえがいて揺れた。砂風なのか、氷の地のオーロラか、あるいは尻からのガス爆発の炎か。人々が、さながらおおきな花火でもあがった風に、どよめく。老いも若きも、裸眼で見る人も眼鏡で見る人も望遠鏡の人も、肌月の光に照りかえされてか、皆レンズがかがやき、顔や手が、すこし化粧でも施した風に金色がかって映り。背すじはのび足は心もちつまさき立ちと言うか、地からやや浮いて見える。肌月に吸われてゆくのか。あまい薫りも、厚みをましてゆく。

……私は、赤ちゃんの産毛が鬱陶しいほどの眼前で、ホコリみたいにふわふわしているとしかイメージできず。思いのほかあっさり、『尻月』そのものにも飽きた、と言うか、あまり愛でやすいものではなかった。夜店でベビーカステラを1パック買って食べながら、尻に鼻すじを、唇をよせる群衆からはなれ、もう空を、あらためて見あげることもなく、帰った。

©️2021TSURUOMUKAWA

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<いぬいゆうたさんに朗読をして戴きました。有難うございます>


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