いつでも笑顔は、上級者向け
「嫌な時ほど笑顔を出そう」
「嫌なことにも、ありがとうと思えることを見出そう」
というアドバイスがあったりします。
確かにいつもニコニコ笑顔を絶やさない人はいますが、いきなり実践するのはとても難しいことです。
私を含め、人は簡単に聖人君子にはなれません。
初心者には初心者なりのやり方があるでしょう。
初心者向け:表情ニュートラル
脳・無意識はけっこう優秀です。
私はかつてブラック企業に勤めてました。「嫌な時に笑顔」なんてしようものなら嘘を見抜かれて特大警報を流されます。
嫌な時に笑顔は、ここ十年でした記憶がありません。
ある日、私は自分が「ずいぶんとくたびれた顔、疲れた顔、辛い顔」をしていることに気がつきます。
眉間に力が入っていたり、口がへの字に曲がっていたり。
その顔を弛緩させた(無表情に戻す)ところ、いくらか辛い、疲れた気分も和らいだものです。
車のギアをニュートラルに戻すイメージです。
「嫌な時、辛い時、疲れた時に笑顔」というのはある種の嘘です。
第一感に嘘をついています。
無理やりにでも笑顔にすれば、それにつられて楽になる人もいるとは思います。
でも私は「無理やり」が嫌いですし、嘘にも敏感なのでダメでした。
表情ニュートラルくらいがちょうど良かったです。
松岡修造の言葉
松岡修造の「挫折を愛する」という本を途中まで読んだことがあります。
そこでも「試合で辛い時ほど笑顔、そうすると楽しさに気がつく」と言った言葉がありました。
これは、楽しさと辛さの両面があることに取り組んでいる時だけ、効果があるでしょう。
修造の場合は、プロになるほどテニスが好きです。後進の育成にも熱心ですし、キャスターをやったりとスポーツ自体が好きです。
ですから、プロの勝負の世界で辛い面と純粋にテニスが楽しいという面があるでしょう。
一方、楽しいことを仕事にしている人は僅かでしょう。
仕事をしていて、一度や二度、それどころか何度も嫌な目に合った人もいるのではないでしょうか。
感情を抑え込まない
なんだったら表情ニュートラルも、別にオススメはしません。
効果があるかないかは、修造の例えのように時と場合、その人の個性によります。
「こんな方法もあるよ」というだけです。
日本社会や、日本の大人はとにかく感情を抑え込むように仕向けられています。
嬉しい時や楽しい時に笑うように、辛い時や疲れた時はそういう顔をするのが自然でしょう。
ある種の切り替えとして、表情ニュートラルがお役に立てば幸いです。
ありがとう習慣
尊敬するnoterにテッコさんと言う人がいます。
「ありがとう習慣」を続けて1万回唱えたころに奇跡が起こったり、今では10万回を突破しているようです。
ちょっと引用します。
ありがとう習慣開始前、4000回のとき、10万回のとき
の差を並べて比較してみます。
1ヶ月ほど続けて4000回に達する以前は
町を眺めても特段の感想はありません。
あぁ、いつも通りの町だな、という感じ。
疲れてるときだったら「あー、自然の中でのんびりしたい」とか思うのかもしれません。
気持ちが病み気味のときだったら、例えば楽しそうに笑っている人を見ただけで、かえって気持ちがグレーになったりしていたことがあったでしょう。
さて4000回のときは同じ町を見て、どう思ったかというと。
お、お巡りさんが今日も町を見守ってくれてるなぁ、ありがたい。おじいちゃんが子供に話しかけてるなぁ。微笑ましい。家族連れがおててを繋いで歩いてて、ほのぼのするなぁ。ひざしがあったかくて、過ごしやすいなぁ。それに今日も空気が流れてて、ありがたいなぁ。
と、こんな感じで町を眺めるようになっています。
では10万回を迎えた今は同じ町を見て、どう思うか?
まず空に太陽が輝いています。
すごいなぁ。あれは8分前の太陽の光なんだよなぁ。それが、はるばる宇宙をわたって、この地球に届いているんだなぁ。よくぞここまで届いてくれました。ありがたいなぁ。
そして通りには人が歩いています。
すごいなぁ。あれも0.00000数秒前の人の姿がこうして光が目に届けてくれて見えてるんだなぁ。
ということは今、こうして俺自身が見えてる視野自体は、過去の幻みたいなものとも言えるけど、0.000000数秒前に、あの通りのあの場所であの人が「よっしゃ、駅に向かうぞ」と、そう思って一歩また一歩と前に足をすすめているわけだ。
つまり、あの人の「前に進むぞという意志」がこうして目に届いて見えてるわけだ。それって、マジですごいなぁ。
しかも、あの人の体の中で今、あの人の駅に向かいたいという意志を叶えるべく身体中の細胞たちが総動員で働いてくれているわけだ。
だからこそ、あの人は駅に向かうことができてるわけだ。すごいなぁ、ドラマだなぁ。ありがたいなぁ。身体って本当にすごいなぁ。
しかも、そんな感じで、あっちもこっちも人が行き交ってるし、車は車でボディーがバラバラに分解したりしないで、今日も車としてしっかり走ってくれてるし、街路樹は酸素を供給しながら街路樹として存在してくれてるし、その見え姿は今もこうして光が運んできてくれてるし、ありがたいなぁ。本当にありがたい。
もうこの世はありがたいことしかないなぁ。しあわせ。
と、まぁ、こんなことを自然に思ってしまうわけです。
笑っちゃいますよねwww
ギャグかな?
私は到底、このレベルには達してません。

そんなテッコさんですが「2000回くらいの時は、こんなことして意味があるのかと迷った」ということを言っていたと記憶しています。
テッコさんですら、かつてはありがとうと唱えることに迷いました。
一万回とか十万回ありがとうと唱えないと、嫌なことに感謝を見出すのは難しいのではないかと思います。
なので、いきなり「嫌なことにも、ありがとうと思えることを見出す」のはオススメしません。
気分が落ち込んでいない時に「ありがとう」と唱えたり、ささいな感謝に気づくことが、初心者向きだと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
