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脱 優等生日記

生まれた時からの優等生なんていない。いつから私の代名詞は優等生になったんだろう。


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クラスに、あるいは学年に一人はいるいい子。勉強ができて運動もそれなりにこなし、人当たりも悪くなくて先生にも友人達にも人望がある生徒。自分でいうのはあれですが、私はまさにそんな生徒でした。優等生だよね、いい子だよねと言われて育ってきて、それ以外の生き方は知りませんでした。

けれども今、金髪で出社して取引先を驚かせるくらいには、自由な生き方をしています。自分から型にはまりにいった過去と、常識を壊そうと前進する現在。どちらも私で、でも今の方が自分を好きな気がします。

別に、抑圧を受けていたわけではないし、優等生の何もかもが苦しかったわけではありません。むしろ先生からも友人からも安定した信頼を置かれていたので、多少のことなら私に都合がいいように相手が勝手に解釈してくれました。要領よく生きていたし、思い通りになる優越感があったと思います。(性格は悪くなったかも。)

その代わり私が引き受けなければいけなかったのは、子供っぽくいる方法がわからない孤独です。もっとわがままな本当の自分を理解してくれる人はいるのかな。自分は搾取されているのかな。本当に自分は等しい位置にいて輪の中に入れているのかな。私は人といても寂しさを感じることが増えていきました。

幼いころに、同級生より大人のそばにいすぎたのかもしれません。友達との関係構築より、大人に気に入られるいい子でいること。そんな優先順位と行動が染みついてしまったことが、いつしか自分を型から取り出せないほどに固めてしまったのです。その時の私は気づいていないけれど。

これは私が、どうやって優等生になって、思春期に何を思っていたのか。何に葛藤して、何を享受していたのか。そしてどんなきっかけで誰かの期待に応える自分より、自分自身の思いを大切にできるようになったのかの記録です。


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2004年4月15日
水色のスカートに、白い花びらのプリント。ランドセルのほうがまだまだ体よりも大きい小学生は、発表会みたいな白い靴下を履いていました。(今思うと、それらは全部いとこからのお下がりや、母が昔着ていた服でした。だからちょっと時代遅れで、私を浮かせていたのかもしれません。)

同級生がどくろや英字のプリント服を着はじめ、俊足が一世を風靡していた時代です。私はデニムで登校するだけで、同級生から驚かれました。

小学2年生で敬語でしか話せなくなりました。お絵かきが好きでドッチボールが苦手な普通のおとなしい女の子だったはずなのに、友達にもです・ますでしゃべるちぐはぐな小学生になりました。

なぜ、そうなったのかは今でも思い出せません。家に帰れば、普通に話していました。幼稚園から一緒の習い事でも、敬語なんて使わないのに。

でも、そういう瞬間が確実にあったのです。同級生からは苗字にさん付けで呼ばれ、今でも友人と呼べるのはひとり。2年生で転校してきた、喧嘩っ早くて書く字がまんまるな女の子だけでした。

2006年5月30日
小学校の教室のドアは、茶色い木でできていてガラガラと音を立てます。朝礼中に控えめに前のドアが開くと、担任の先生は驚いたような顔で私の名前を呼びました。

戸を開けたのは母。先生の手には母から受け取った体操着袋。今日は運動会。

うつむいて立ち上がった私が着ていたのは、落とし物箱から引っ張り出した知らない誰かの皺だらけの体育着。下駄箱の前に無造作に置かれた箱から、えいと盗んできたものでした。

先生が驚いたのも無理はないでしょう。いつも忘れ物なんてしないのに、運動会の当日に真面目そうな子が体操着を忘れたなんて。そしてその子はごまかすために、いつ誰が落としたのかもわからない泥だらけの体操着を着ていたのですから。いつだって三姉妹のおねえちゃんは「しっかりもののいいこ」じゃないといけないのに。その時には、失敗を隠すようになっていたんです。

2007年10月5日
「妹ちゃんの絵は、とってもダイナミックね」

物心つく前から絵を描いてきました。なんでも褒めてくれる祖母自身が、たくさんの絵を描く人だったから。いつでも裏が白いチラシを私のためにとっておいてくれて、描いた絵は大切に保管してくれました。

だから、褒められてきたのは私だったのに。細い線に、画用紙が剥けるほどに重ねた水彩絵の具。私は淡い色ばかりを重ねました。

6歳の妹は、私がうまく使えない油絵の具も堂々とキャンバスに載せてみせます。鮮やかな黄色と赤とオレンジ。恐れずまっすぐに見つめられた果物たち。妹の絵には迷いがなくって、誰かに好かれようともしていませんでした。

自分の描いたものより、私もずっと好きでした。妹に勝てない。好きだった絵から、少しずつ離れていきました。認められないものを好きでいられるほど、強くなかったのです。

2009年4月9日
私立の中学に入る代わりに、父は私に運動部に入ることを命じました。勉強を頑張れとは、親から一度も言われたことがありません。その分、運動嫌いで社交性もない娘を案じた父は、強い約束をさせました。

中学受験をしたのも志望校も、8割は母が言う通りにしました。当時も今も、別に不満はありません。私が幸運だったのは、起きたことに後悔しない、ポジティブな性格だったことでしょう。紛れもなく両親が肯定して育ててくれたからだと思っています。

中学では、言われたとおりに硬式テニス部に入りました。仮入部はボールを触れず、ひたすらに走るだけ。負けず嫌いだかだからこそムキになって続きました。中学では敬語は消えて、運動部で友達も増え始めました。

2009年6月30日
初めての中間テスト。中の上のくらいの成績です。そして私は、女子校は、男子よりも頭がいい子はどうだとか、甘えてみれば助けてもらえるとか、そんな世界じゃないと知ります。

好きにやっても、大丈夫かも。敬語は消えて、クラスでも友達ができ始めた私は、自分を塗り替えるように部活に打ち込みました。

2010年7月1日
出席番号順で横の席になった女の子が、点数を見せてよ、と声をかけてきました。クラス替え後の最初のテスト。彼女は自分の点数も見せてきました。勝負だね。ここからの1年間はずっと競い合うように勉強しました。

この時私は気づいたのです。定期テストって、勉強したことしか出ないじゃん。じゃあ、試験範囲を全部覚えればいいんじゃん。

実際に高校を卒業するまで、ノートのどのページに何が書いてあるのかを、試験前には一言一句覚えていました。とはいえ優先順位は部活だったので、試験前の10日でいかに完璧にできるかを模索して、自分のペースを見つけていったんです。私は勉強が、かなり好きでした。

2011年3月11日
「卒業生代表より、答辞」

大好きな中学校を、大好きな友人たちと卒業していく。代表として答辞を読める誇らしさもあります。

自分の経験を語った言葉に涙する友人たちを見て、確実に同級生たちと同じ歩みを進められたのだと胸が熱くなりました。小学校にはもう二度と戻りたいと思わない。でも、中学のみんなはずっと一緒にいてほしい。そう思える友人たちができたことに、一番驚いているのは自分自身でした。

2011年4月6日
中高一貫の女子高に通っていたので、高校に入学してもクラスの半分は中学からのメンバーです。私はひそかに、運動会でクラスを盛り上げる、クラスの華やかな女子たちに憧れがありました。

敬語で話していたような地味な子が、おこがましい。先生にも友達みたいに話して、自由に生きているように見える、笑い声の大きなクラスメイトたちは、私とは違う生き方のように見えます。

彼女たちもそれぞれ繊細な悩みを持っていて、うまくコントロールしながら人間関係の荒波を乗り越えていることは、後から分かります。でも、人にこびていない、他人の期待に左右されない姿を見て、私も仲良くしてほしいと憧れました。

2013年7月9日
授業が終わるチャイムとともに、焦る空気とため息が教室いっぱいに立ち込めます。期末試験1週間前には部活もなくなって、誰もが足りないノートを補おうと奔走するのでした。

そのうち、私がいくつ満点を取るのかで友人たちが競い合うようになりました。満点かそうじゃないか。私に寄せられる期待値はどんどん上がっていきました。

けれども苦しくはなく、私自身が定期試験をゲームのように感じていました。打ち込んだ分、結果が出る。運動もそうだという人がいるけれど、私にはバレーボールでひとついいプレーをするよりも、満点を一つとるほうがずっと容易だったのです。


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父は幼い頃からよく、勉強だけできればいいんじゃないんだぞ、と言いました。まゆ、もっとやらなきゃいけない大切なことがあるからな、と。

挨拶とか片付けとか家事の手伝いとか、確かにもっとしなければいけないことがあるのはわかっていました。両親は共働きで、家事も家族みんなで分担します。ただ淡々と自分の世界にこもって勉強していればいいわけじゃないって、私も頭では理解していました。

でも、いい点数をこんなに持って帰ってきてるのに! と鬱陶しく思うことも多かったんです。今思えば父も母もちゃんと褒めてくれたし、やたらに妹たちと比べることもなかったし、恵まれた環境で学校に行けていたのに生意気でした。

私は片付けも得意ではなく、部屋にはいつも足の踏み場はありません。片付けろと言われるのは当然。家事も得意じゃないし、かばんも汚いし、家族に八つ当たりすることだってあります。家では全然、優等生じゃなかったんです。

私はあの時「井のなかの蛙で勉強だけできる、やたらと世界を見下した奴」でした。父が大切だと言っていたことのほうが、ただ勉強ができるよりどれだけ生活において重要で、自分の人となりに結びついていくのか、今ならわかります。


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2015年1月20日
「あなたまでこんなところにいるの。」

冬の教室はただでさえ冷えるのに、担任の言葉で体温がまたすっと下がりました。友人が終礼前に誕生日を祝ってくれた日。突然運ばれてきたバースデーケーキは、残骸になって机の上にのっていました。終礼までお誕生日おめでとうと騒ぎ、教室でホールケーキを食べる集団。それを見た担任が、真っ先に私にかけた言葉でした。

私は、「こんなところ」にいる女子高生になりたかったんだけどな。わかっていました。真っ直ぐな黒髪を顎の長さで切りそろえた私は、ひとりでルールなんて破る勇気がないってこと。厳しい顧問の指導下で部活をしながら、学年1位の成績だった私が、担任にえこひいきをされていること。

短いスカートとばれない程度のメイク。先生には少し反抗してタメ口をきき、それでも楽しそうに日々を駆けていく同級生たちとは違うのだと言われました。私は、友達と同じ場所で同じ生徒として、同等に扱われたかっただけなのに。

2016年7月20日
この感覚、知ってる。普段そんなに仲良かったっけって子が、ノートを借りるためにいつの間にか周りに増えているんです。大学生になってからも、定期試験前、私の「友人」は増えました。

私のノートを見て勉強したとして、作った私よりいい点数を取れるはずがないだろうという高慢さと自信がありました。振り返っても、性格が悪すぎる。けれども私は、優しい人として評価され、またクラスメイトとの隔たりを覚えるのでした。本当の私の声を、だれが知っているの?

2017年10月8日
小学生のころはあんなに引っ込み思案だったのに、今ではサークル2つとバイト3つを掛け持って毎日走り回っています。お酒も弱くはないから、飲み会も思っていたより楽しくて。

私の変化に驚いていたのは両親です。「まゆちゃんがお友達をこんなに作れるなんて知らなかった。」「こんなに外で活動してくるとは思わなかった」。全然家に帰らない娘のことを、心配しながらもふたりは喜んでいたように思います。

2018年2月28日
「上智大学 学業優秀賞のお知らせ」
バイト中の休憩に見えたメールの通知に、少しだけ口元が緩みます。

「今年も優秀賞だった。」
家族ラインに短文を送ると、少しして盛大に動物が飛び跳ねているスタンプが届きました。父が、喜んでいる。

学業優秀賞をいただくのは今年で3年目です。
「まゆちゃん、今年もよく頑張ったね。」母はいつでもほめてくれました。

でも定期試験より恋愛や友人関係のほうがよっぽど難しいって、私はもう気づいていました。仲がいい人以外、私は成績が良い人として認知される。気になる男の子から、頭がいいんだねとなぜか一線を引かれる。

好きで得意なことをしたらだめなのか。賢い女は倦厭されるのか。私は、再び自分を封じるようになっていました。


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2018年3月から、休学してニュージーランドに行くことに決めました。就職活動を目前にして、急に海外留学を選んだんです。純粋に、社会人という未知の生態におびえたのだと思います。体のいい言い訳として、母からすすめられ続けた留学はもってこいでした。

でも、英語には向き合ってこなかった人生です。いや、世間一般からいうと多分苦手じゃないけれど、私の大学にいたら下の方。帰国子女がへそ出しでうようよ歩いているキャンパスで、英語ができますなんてとても言えません。

そういう分野が、優等生って一番苦手です。いい子レベルが上がるにつれ、負け試合や都合の悪い事実はあらかじめ回避しようとするから。だから入学後は英語を適度に避けていました。22歳にもなれば、自分のキャパなんてわかってるよ、と思っていました。

当然、ニュージーランドでは英語はまったく歯が立ちません。同時期に留学していた日本人の中でも、いつも誰かに助けてもらわなきゃだめな子。

物心ついてから、ほとんど初めてでした。自分ができないことを、全面的に認めないといけないなんて。できないと言うことが、ものすごく怖かった。でも悔しがる余裕もなくて、だめな私も弱気な私もだだ漏れでした。

けれどもすぐに、支えてくれる人がたくさんいることがわかりました。留学前より、集まってくれる人が増えている気すらします。最初は、「できない私ですみません」ってなるべく存在感を消したいと思っていました。でも、むしろ取り繕わない姿のほうが、友人たちとの距離を縮めてくれました。

私、弱くっても良かったんだ。これに気づいて、今までがちがちに背負ってきた期待や、勝手に感じていたプレッシャーが、ゆっくり溶けていくのがわかりました。


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一方、恋愛は、ずっとずっと最大のコンプレックスでした。私って、かわいくないんだ。太ってるからかな。一重だからかな。大学では共学にいって恋愛に憧れ続けたのに、3年間彼氏もできませんでした。中身はそんなには悪くないと思うのにな。何ならあの子よりずっといいのに。

人から愛されたことがない。家族じゃない人から求められたことがない。魅力がないんだ、自分のせいなんだと責める気持ちが鉛のように落ちてきて、決定的に自分を好きになれない理由だったのです。

勉強は頑張れば絶対に結果になるのに。恋愛は頑張っても振り返りをしても、誰からも選んでもらえませんでした。

けれども、ニュージーランドで弱い自分を出せた私は、自然な自分をまるごと受け入れてくれる男性に愛される経験をしました。

世界が変わった衝撃。

人を好きになる、その相手に好きだと受け止めてもらえることは奇跡でした。初めての本気の恋は、嫌われたくないと思いすぎて、自分の気持ちより相手が求めるものを優先してしまったけれど。

相手の求めるものを敏感に察知する癖が、学生時代から抜けませんでした。それがあったからこそ、浮きまくった奴だったのに、一度もいじめられたことはないのかもしれません。

人の「不愉快」にならないように生きることが、うまくなりすぎました。成績も、評価も、言われたことをきちんとやって、気に入られる行動を読んでそれをする。私の優等生スタイルでした。

そんな人間って、面白いのかな。ていうか、そんな自分のこと、好きかな。

周りを見渡してみると、私が好きな友人たちは、みんな自分なりのこだわりや好きなことを率直に伝えてくれていました。周りに合わせようと顔色を窺うときの、冷ややかな空気が流れていないんです。コロコロと流される考え方ではなくて、表も裏もなく自分のしたいように過ごしていました。

留学先で出会ったみんなが、私ができなかったことを、たくさん教えてくれたのです。勉強よりも、大切なこと。父が私に伝えたかったのは、家事や挨拶などの行動だけじゃなくって、人間的な成長も含まれていたのかもしれません。


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2018年9月1日
はじめてのブログを開設。自力で海外に住み続けるためには、収入が必要だと思って、後先考えずに始めたのがWordpressでした。恋人との関係を続けるためには私が海外に住まなきゃいけない。初めての恋愛に盲目になり、そう信じていたんです。

それに、海外での恋愛は孤独でした。文化の違いなのか、個人の問題なのか。一緒にいる友人たちには相談しすぎてしまって、それでも同じところを回り続ける思考を発散させたくて、私は文章を書くことを選んだのです。

2018年10月20日
日本にいる母に、思い切って電話を掛けました。

「就活、やめようと思う。海外でもっと生活したいし、教育の勉強も楽しいし、海外の大学院を目指してみたいんだけど。」

正直、勉強を続けたかったわけではありません。何とか恋人との時間を続けたくって、そのためには手段を選べませんでした。いま思うと、幼いなと思います。でも、私なら勉強を続けられるし、楽しめるだろうと自分を信じていました。

母にはきっと呆れられるし、心配もされるだろう。私の本音もバレるだろう。手を震わせながらやっと伝えた一言に対して、母は驚きもせずに言いました。

「まゆちゃんが普通に就職するなんて、最初っから思ってなかったわよ~!了解~!」

私は茫然とし、母はのりのりでした。この人は、いつだって私より私の味方なんだよね。そっと電話を切って、私は「普通」のレールを降りる決意を固めたのでした。

2020年4月1日
一度優等生をやめると決断してしまえば、リクルートスーツを着ない生活は気楽なものです。けれども卒業を迎えた2020年の春。まだ誰もよく知らなかったコロナが、ニュースを騒がせるようになっていました。

卒業したけれど、進路が決まっていない。なんだかわからないコロナって病気が、世界中ではやり始めているらしい。でも当時は、就職していく同級生を横目に、まだ私にも余裕がありました。半年もしたら、収まるんだろう。そうしたら海外に行けばいいじゃんって思っていたんです。

2020年10月1日
あれから半年、コロナの感染者は増大し、ロックダウンという前代未聞の経験までしました。家業の関係で、フリーターの私はなるべく都心に行かないでほしいといわれています。あれだけ海外で自由を謳歌していたのに、日本では実家でかごの鳥。日々やることといえば、近所のスーパーへの週2回の買い出しと、庭の草取りだけ。

気が狂いそうでした。まだまだコロナは終わらない。留学なんて夢のまた夢です。家にも社会にも居場所がない。出勤できないフリーターはニートと同じで、私は自分で社会とつながるすべを持っていませんでした。家をでなくちゃいけない。働かないと、自分を認められない気がする。部屋で一人でいると涙が出てくるほどに、私は追い込まれていました。

2020年10月10日
激しい閉塞感と焦りから、一度は避けた就職活動を始めました。コロナで卒業後の学生の支援は途絶え、ハローワークに電話する日々。新卒就活していった友人たちが名のある企業や、夢のための就職をする中で、私に送られてくるのは小さな事務所の事務業務だけでした。

社員10名、みなし残業込み、月収19万円。自分は選ぶ立場ではないとわかりながら、それでも希望が捨てられませんでした。グローバルな仕事で英語を使いたかったのは? 海外駐在は? リモートワークは? 実家を出るための十分なお給料か社員寮は? 留学を夢見ていた私には、現実は厳しすぎました。

2020年12月28日
もう一つすがったのは、帰国子女や留学生向けの採用でした。かけるしかない。見知った企業に片っ端から応募するものの、SPF試験でことごとく落とされ、11月には手持ちの企業はひとつになりました。

自己分析と、会社の調査。何をしても、祈られて、先が見えない。最後の一社の最終面接から1週間ほど、ついにかかってきた採用通知。人事のお姉さんが、新年度に向けた最後の内定者でした、と電話越しにいったとき、池尻大橋の路上で放心するほど嬉しかったです。

2021年6月15日
4月から新卒と同じ枠で入社し、念願だった一人暮らしを始めました。コロナはまだ猛威を振るうけれど、社会とつながって自立して生きられることに、これほど喜びを感じたことはありません。

配属も目指していた「グローバル」と名の付く部門です。最初の上司は、「なんでもやりたいことはやっていこう。歴史のある日系企業だけど、変えないといけないプロセスは若手から変えていこう」と強く教えてくれる人でした。

この上司のもとで、仕事には正解がないことを学びます。好きなことを仕事に取り入れることや、居心地の良い環境を自分からつくっていくことも。実際にグラフィックレコーディングをしたいといったときにも、上司は背中を押してくれました。

自分が働きやすい環境を作って、それがいけないことじゃないなら、どんどんやっていこうよ。会社は決まったことを繰り返していく場所だと思っていた私には、常識を変えていける上司が輝いて見えました。

2021年7月19日
会社にも一人暮らしにも慣れてきたとき、友人に勧められたマッチングアプリで、今の彼に出会いました。会話のテンポがあって、前みたいに自分が遠慮していないのがわかります。甘えていいよと言ってくれて、寝起きの顔も愛おしいと言ってくれる人。自分を開示する方法を、彼との関係の中で私はどんどん学んでいきました。

自分がおかしくなるほどの「好き」じゃない。だからこれは、恋じゃないのかもしれない。盲目な恋愛しか知らなかった私には、穏やかな愛情が恋と呼べるのかわかりませんでした。けれどもそうして始まった関係に、私はまた肯定されていきました。

2024年10月1日
金髪は学生時代にしておくべきと思っていたのに、ひょんなことで金髪に憧れました。ブリーチ2回で、白に近い金色。お仕事はされているんですかって聞かれちゃう色。

秘書業務をする人が普通はしないだろう派手な色でした。自分で染めておいて、恐る恐る出社。けれども外国人のボスが、いい髪色だね~とほめてくれました。日本では髪色を気にする髪色も、彼には関係ないらしい。

時折訪れる取引先の方々は、言葉には出さずとも驚いている人もいました。会社の中で、どんどん自由な風が吹いていく。認めてくれる環境への恩返しのために、もっと仕事も頑張ろうと思えました。


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今では、家族からもいじられる長女です。パートナーには甘えられるし、失敗談も同僚に話せるようになりました。学生時代の私だったら、失敗をひた隠そうとしたでしょう。誰かから笑われるのが一番怖かったんです。誰かの期待を察知して、それに応えることで自分の存在価値を見出そうとしてきました。

でも、自分がいい子だから一緒にいてくれるわけではないんだと、周囲の人たちにたくさん教えてもらいました。好きなものに素直になって、嫌いなものには嫌いと言っても、愛される存在なんだ。ありのままの自分が何かもわからなかったのに、自分のことを認めてあげられるようになったのです。

完璧主義なところが抜けきったわけではないから、ときどきごまかそうとしてしまう自分もいます。でも、そんな自分も人間らしい。今では自分を好きでいることが、私のことを支えてくれた現在の、そして過去の大切な人たちへの恩返しになることも知っています。

優等生でいる生き方に慣れてしまった人たち。誰かの期待に応えていないと怖い人たち。思い切って自分の声に耳を傾けてみたら、世界が違う色を見せてくれるかもしれません。

完璧じゃない自分も、愛してあげていいんだよ。それは私が出会ったたくさんの人に、28年を通して教えてもらったこと。脱優等生をした未完成の私が、伝えていきたいことなのです。



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