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女性を推せなかった私が、No No Girlsを見てHANAのファンクラブに入るまで

女性のアイドルは推せない。女には興味ない。

そうやって堂々と公言してきた女(28)の私が、なぜ No No Girlsというちゃんみなプロデュースのオーディション番組を見てから、そこでデビューを決めたHANAというガールズグループのファンクラブに即入会したのか。迷うことなくライブのチケットを買ったのか。私がひとまわりほど若い女の子たちの本気の挑戦を見て心を動かされたのはいうまでもないことなのだが、それと同時に自分が抱えているコンプレックスに向き合わされ、クリエイティブへの覚悟を問われた番組だったからだと思う。

このオーディションは今まで誰かに、自分に、Noを突きつけられてきた女の子たちのためのものというコンセプトで始まった。歌と踊りのスキルだけでなく、そこに浮かび上がる「今まで何を経験し、何を感じ、これから何を伝えたいのか」という彼女たちの人生を問う企画だった。単純に魅せ方だけではなく、自分と向き合うことや覚悟を語るちゃんみなの真摯な言葉が、時に自分にも語りかけられているようで、目が離せなかった。

オーディションの最終審査は横浜Kアリーナで2万人の前で行われ、そこで7人のメンバーが選ばれた。選び、選ばれる。誰かが受かると同時に、誰かは落ちる。その情景はもともと好きなものではなかったが、やっぱり番組を見ていてもしんどいところだった。唯一救いだったのは、審査をするちゃんみな、そしてSKY-HIがしっかりと向き合ってフィードバックを返していることだ。それを聞けば、パフォーマンスだけでは誰が選ばれるのか全くわからない私も、そうかと納得できるものだった。そして、誰のことも見捨てないといった言葉の通り、パフォーマンスの審査で落ちた子達も含めた30人を2万人の前でパフォーマンスさせたのだった。

私は彼氏がお酒好きな女性Youtuberを見ていたらちょっと不機嫌になるし、妹たちが女性アイドルのテレビを見ている時は、変えてほしいということが多い。韓国の男性アイドルのライブに行ったり、男性Youtuberの動画を日常的に見ている。私が好きなものの中に、女性の関わるコンテンツはほとんどない。今の女性アイドルは日本はもちろん韓国も誰もわからないし、女優さんもほとんど興味がない。唯一ずっと好きなのは、aikoだけ。aikoの歌は昔から聴き続けてきて、自分の苦しさも嬉しさもずっと支えてきてもらった。ライブに行って小さな体から発せられる圧倒的な歌声と歌っている時の嬉しそうなパワーに圧倒されて、もっと好きになった。それ以外、何も認められなかった。だからHANAを推し始めた私を見て、彼氏や妹は驚いている。


女性のアイドルやYoutuberを、毛嫌いしてきた自覚がある。

毛嫌いと言っているのは、可愛さを受け入れられない、それをもてはやす人たちを受け入れられないと明確に思っていたからだった。可愛いと思っていても、それを受け入れることは可愛くない自分を傷つけることだった。私が自分に突きつけてきたNO、そして人からやんわり突きつけられてきたNOは、まさに外見に関するものだった。

大学のミス候補に選ばれている女の子と一緒にバイトをしていた時は、お客さんから「さっきの可愛い子がいい」とか「あなたも笑えばまあまあね」とか言われてきた。都内では高級と言われる外資系チェーンのホテル内のお店で、親よりも歳上の金持ちが来ているようなレストランなのに(高級クラブとかじゃなくて、ハンバーグが名物の洋食屋で)、なぜこんなこと言われないといけないんだって思った。大学のサークルの男性の先輩たちは、女の子に順位をつけて、平然と聞こえる場所で話していた。バレーボールがしたくて入った私は、ウェイ系のサークルでの振る舞い方がわからず絡みづらかったのだろう、その順位に入ってもいなかった。そして同級生からも気になっていた男の子からも、ことごとく「まゆはお母さんみたい」だって言われてきた。恋愛対象外の私はまず外見が否定されているんだって落ち込んだ。確かに私は太っていて一重で、頭だけはいいぶんいじりづらくて、女子校育ちだから男性と関わることにも慣れていなかった。

誰かと一緒でも、自分が何を求められているのかが気になって、求められたリアクションをしなきゃと焦っていた。だから心から笑ったり、冷静に突っ込んだり、女友達や家族といるような素直さも鋭さも失っていたのだろう。気に入られようとばかりしておどおどと人目を気にしている私が、自然と友人をつくりたくても、ましてや恋愛をしたくてもできなかったのはある意味当然だと言える。誰もおどおど建前を話されながら、その人と距離を詰めたいと思わない。そんなことに気づけないまま、コンプレックスを膨らませた私は、可愛いからとそもそも存在を許されるような女の子が、許せなかった。自分へ突きつけていた大きなNOが、他人をも拒絶させたのだと思う。幸せそうな、可愛くて自己肯定感も高そうな、自分の思い通りに周りが動きそうな、そんな女の子が羨ましくて妬ましくて仕方なかったのだ。

アイドルだってYoutuberだって、それぞれに苦労があるのもわかっている。6年間の女子校育ちで友人たちが可愛いのが自慢だったので、可愛い子には可愛い子なりの苦労があり、実際に気持ち悪い人に執着されていた友人も知っている。それに関して、彼女たちは何も悪くない。けれど、人前に出ているアイドルやYouTuberを積極的には応援できない、むしろ見ているといらいらしてしまったり、嫉妬の塊が顔を出してくる。そしてもっと嫌なのは、そんな自分の心の醜さだ。そのどす黒い落ち込みが辛いので、女性と向き合うことができなかったんだと思う。

一方で、HANAは、NOから始まったグループだ。彼女たちの中に、傷ついたもの、弱いところがあることがわかり、それでも厳しいオーディションという環境で世間にさらされる覚悟に、まずは心を動かされた。そして何より、生半可な実力ではないのだ。ボーカルやダンス、ラップや作詞など、ちゃんみなが彼女たちに課した課題はさまざまだった。そんなこと、若いガールズグループに求めますかってくらいにクオリティーが高い。きっと私は、その人が今までにしてきた努力や傷ついた経験、それを乗り越えた時間、そしてついた実力が認められることを望んでいるんだと思った。そのためにパフォーマンスは一流であってほしい。圧巻であってほしい。私が妬む隙など一切与えないでほしい。ちゃんみなのオーディションは、そんな私の醜さをいとも簡単に乗り越えて、圧倒的な力を持つ女の子たちを集め、そしてグループにした。


可愛い。スキルがすごい。センスがいい。7人みんながその良さを持っていて、輝いている。けれども私が推したくなったもうひとつの大きな理由として、画一的な美しさ・可愛さ・強さの基準を選考側が彼女たちに押し付けることがなかったことだった。例えば、痩せろと言わない。これって、ガールズグループの現状を考えるとすごいことだと思う。一般人でも世間からももっと痩せろと押し付けられる世の中で、彼女たちが自分らしい美をそれぞれに作り上げることは、どれほど人に勇気を与えることだろう。彼女たちがそれぞれのスタイルで認められることは、世の中でコンプレックスを抱える数多の女子たちの星になることなのだと思う。

そして、世間や男性に媚びるのではなく、強さを見せてくれるところも好きだ。私が女子校時代に知っていた女の子たちは、みんな自分の軸を持っていてなんでも自分たちで解決してきた。そんな自立した中での生活が好きだった。ところが共学の大学に入った途端、女の子はなるべくできないふりをして、じゃあやってあげるよ〜と男性に引き受けてもらうのを待っているみたいだった。あるいは、そういうか弱さや甘え上手が求められていて、周囲の女の子たちはうまく立ち回っていた。私はそれに違和感しかなかったし、でも同じように振る舞えない自分の可愛げのなさにも悲しくなって、だから周囲の目を盗み見るようになっていったのだ。可愛くもなければ可愛げもない。そんな自分が嫌いだった。だからHANAのメッセージやヴィジュアルが、強い女の子を肯定してくれるのが嬉しい。そうだよね、私たち女子も、元から自分たちで手を取り合って、自分の足で立ってたよねって思えるのが救いなのだ。

そして、クリエイティブをするものとしても、彼女たちに求められた努力や覚悟は考えさせられるものだった。私は歌を歌いたいとも、踊りたいとも、人前に出て話したいとも思っていない。けれど、文章を書いていて、文章で自分を表現したい。そんな自分にも、当てはまると思える言葉がたくさんでてきた。簡単に認めてもらえなくても、諦めないことでしか自己実現を果たすための道に辿り着けないということ。表現するものには、それまでにどんな感情になったのか、何を経験したのかが出てくること。ストイックにならないといけないこと。ちゃんみなが、選考の場面で候補者たちに投げかけてきた言葉と真剣な眼差しが、画面越しに私にも刺さってきた。

可愛いものを認められるようになるということは、私にとって、自分の過去と今の自分を認めてあげる自己愛を育てる一歩だ。本当は私は可愛いものが好きなのだ。小さい頃からプリンセスが好きでジャスミンになりたかったし、女子校時代も可愛い女の子たちに囲まれてそれが自慢になるほどだった。可愛いものが、嫌いなはずがない。それと自分を比べて僻む自分が嫌いなだけだった。

No No Girlsが、これを言語化させた。私が書きたくなかったもの、隠しておきたかったものの殻を破る必要性を、突きつけてくれたのだと思う。だから私は、これからも輝いていく彼女たちを追いかけたい。それは、HANAと一緒にいれば自分が浄化されていい人間に感じられるからではない。HANAがパフォーマンスをする姿や歌を通して、自分を見つめ直し、嫌な部分も引き摺り出した上で自分をもう少し好きになれるかもしれない、なりたいと願うからだと思う。そして私も、自分の表現を諦めない。彼女たちが観客席から見ていたKアリーナのステージに立ったように、私も自分の目指すものを諦めずに走り続けたいと思うのだった。




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