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何もない旅、日常へのあこがれ

「何にもない」をすすめる旅人

旅人が旅好きにすすめる土地というのは、行ってみると案外何もないことが多い。写真映えやエンターテイメント性を期待していると、ちょっと拍子抜けする。いったい何をして過ごすんだと、血眼になって検索するかもしれない。期待したような情報が見つからない焦りから、すすめてきた張本人を問いただしたくなるかもしれない。

けれども、相手はきっとこう言うだろう。何もせずとも、自分がその時過ごしたいように過ごせばいいと。

何もしないって、実は結構勇気がいることだ。せっかくお金を払ってきたのに。仕事を休んで、あるいは忙しい中で時間をやりくりしたのに。非日常を楽しもうとわくわくしてきたら、何をしていいのかって具合に娯楽が少ない。もちろん、新鮮なご飯があるとか、手つかずの自然が残っているとか、独特の文化だとか、土地それぞれにいいところはたくさんある。けれども、休日に「旅行」に行くには、華やかさが足りない場所だったりする。

じゃあなんで旅好きはそこを愛するのだろう。きらびやかな目を引くものがないことを確認し、「何もない」ことに満足した表情をしている。静かに読書をしたり、カフェでパソコンを開いたり、ただ芝生で昼寝をしたり。住んでいるところでもできることを、あえて旅先でするのって最高の贅沢だと思う。そして旅をする人は、暮らすように土地を味わう醍醐味を知っているのだ。

旅先で観光をしないのは難しい。十分余裕がないと、損をしたくないと欲が生まれる。その場所を消費することに精一杯になるから。

けれども何もない、観光に翻弄されない時間を与えられると、戸惑いながらでも自由を受け止めざるを得なくなる。自由は、自分を振りかえるための時間になり、強制的に自分と語り合わせる。いつの間にか求めるものに自覚的になって、自然に心を開いていることに気づくはずだ。そこまできたら、もうこっちのもの。「何もない」を楽しむ準備ができている。


名前のない浜辺で眠った、トンガ

私の何もない旅の始まりは、トンガだった。まだ学生で、海外旅行の経験も多くなかったころ。好奇心だけに突き動かされて、名前も知らなかったその国までたどり着いたのだ。フィジーから乗り継いで、4日に1本のプロペラ機に乗る。

座席から綿がはみ出している古い機体で、乗客は10人に満たない。時折揺れると、この世の終わりなんじゃないかと思えるほど、おんぼろだった。最後はどこかの神にみんなが真剣に祈って、私たちはなんとかトンガの地に降り立った。

クジラと泳ぎたいといった友人がいて、その一言だけで決まったトンガ行き。さぞかし海がきれいなんだろうと散歩したら、ただの港についた。リゾート地みたいなエメラルドグリーンじゃなくて、普通の青色。熱海で見たことがあるなと思う。

地元の子供が飛び込んで、石を拾う遊びをしていた。石を海に投げて拾う。また投げて拾う。友人の一人が手を引かれて、パンツ一丁になって海に飛び込んでいた。海の中で目を開けられないなんて、大人なのに臆病だね。子供たちにからかわれながら、彼は石を拾う遊びに参加した。

私たちは、膨大な時間を前にしておののいた。石を拾い、写真を撮り、大富豪をし、夜には恋愛の話をして1日が終わる。普段ならレポートの締め切りに追われ、バイトと飲み会とサークルとを行ったり来たりしている忙しい大学生だ。なのに、4日間も変わらない風景! 食事は6品しかないチャイニーズか、チキンフライかの2択。選択肢の少なさと時間の流れの遅さに呆然とした。

しかも日曜日は、ただでさえ少ない観光地がどこもしまっている。何にもすることがない。現地の人に助けを求めるように、こんな日にはどう過ごすのかと聞いた。すると彼女は、「なーんにもしないのよ。海に行ってただ昼寝をしてごらん。」といった。

我々は素直に名前のない浜辺に行き、そこでひたすらにぼーっとした。かやぶき屋根の下でうたた寝をし、会話すらせずに数時間を過ごした。浜には自分たちのほかは誰もいなくて、波の音だけが響いている。帰り道、あれほど暇を持て余していたそれぞれが、なんだかすっきりとした顔をしていた。何かに追われないことを思い出し、意識を自分自身に向けていく。それはある種、はじまりの旅だった。


「ない」を売りにした島、海士町

積極的な観光をしない旅といえば、もう少しイメージがつくかもしれない。その贅沢を知った一方で、いざ自分で旅を計画するとなると、いろいろ詰め込みたくなってしまう。やっぱり人間だもの。

海外に行けば何か国も周遊し、行ったことのない県はバックパックで短期間でも訪れる。自分の目で見ること、感じることでしかわからないことはあるから、ガイドブックやネットの情報だけでは満足できないのだ。精力的な旅を続けていた私が「特別なことをしない贅沢」に立ち返ったのは、とあるきっかけで島根県の海士町を訪れた時だった。

妹が島でボランティアをすると聞いたときは驚いた。人見知りで実家からも出たがらない彼女が、急に進路を決めずに島の小学校に行くのだという。そんなことできるのって心配する気持ちと、妹も新しい扉を開けるんだという安堵。島の暮らしに慣れたころに、知らない土地で暮らす彼女に会いに行こうと思った。

島根の港からフェリーで3時間。隠岐の島々のひとつに海士町はある。船のフェルトのような硬い床に寝転ぶと、振動が直に伝わってくる。やっとのことたどり着いた港で、「ないものはない」と書かれた印象的なポスターが出迎えてくれた。

ないものはない。都心のような便利さはない。例えばコンビニ、映画館はない。でも、大事な豊かさは全部あるんじゃないか。そんなメッセージだという。

東京生まれの妹も、島での暮らしは便利ではないと言った。冬でもわざわざ銭湯に行ったり、手に入る食材が限られたり。でも周りの人と顔なじみになり、助け合いながら生活しているんだろう彼女の顔は、東京にいたころより朗らかで自信に満ちていた。

ホテルの大きな窓一面からは海が見える。変わらない海と山を見ているだけで、心が穏やかに整っていく。宿に備えられた本を読み、自然の空気を吸い、私も今この島の時間の一部なんだなと思える。この時間を求めて人々が集うことに、私は深く納得した。


ブラチスラバの夜を、静かに過ごす

観光をする旅行が悪いとは思わない。私も初めて訪れる場所は、意気揚々と観光地を巡っている。だって、その町がどんな臭いで、どこで優しい地元民に助けられて、観光地がどんなに印象的か、自分で確かめないと語れない。

でも同時に、せかせかしているなあと落ち込むときもある。ネットで調べた場所を効率よく回るとき、感動のスタンプラリーをする自分の余裕のなさを突き付けられるからだ。思う存分空気を吸い込み、飽きるまで見ることもできないままに、タイムアップしてしまう。

スロバキアの首都ブラチスラバでは、忙しい中欧周遊の中で、久しぶりにゆったり過ごせた。2時間もあれば回れる旧市街を歩き、暗くなる前にカフェにはいる。道行く人を眺めながめて、特産品でもなんでもないサンドイッチとビールをいただく。

この美しい町並みは、誰かの日常だ。旅先の土地の美しさに感動するが、住んでいる人はその価値に気づいていないのだ。私だって、渋谷の人込みを写真に収める海外の人には首をひねる。こんな汚くて臭くて忙しい街の、いったいどこがいいんだろう。ネオンがやかましい東京の夜より、古い街の残るヨーロッパの夜のほうがいいじゃない。

みんな誰かの日常に憧れているのだと思う。一息つく間もなく、憧れと興奮の大量摂取をしてしまう。一般的な観光はそういう消費でできていて、楽しみながらもどこか消耗するものだ。そうか、追われるような旅に消耗し始めているのかもしれない。

カフェのお兄さんは、一人旅のアジア人にもていねいに接してくれた。明るいうちにビールを飲み干し、部屋に戻る。いつものように文章を書く時間だ。もうちょっと出歩ける夜にも無理をしない。少しずつでも自分に与えた時間が、旅の余裕になって心を満たしていく。


どんなときにも、自分を失わない旅を

消費を求める旅、自分を充電する旅。久しぶりにこのテーマで筆を執ったのは、長崎県の五島列島に来たからだった。旅好きの友人たちが訪れ、暮らすように過ごしてはおすすめする場所。例にもれず私も気になっていて、やっと来れたのだ。

飛行機の遅延で18時30分に着いたら、もう最終のバスはなくなっていた。1台だけ止まっていたタクシーにこわごわ話しかけると、たまたま飛行機が着陸するのを見かけたから戻ってきたんだという。いつもなら、もうタクシーはないよ。強い方言だったがそこだけが聞き取れて、じゃあラッキーでしたと答えた。ああ、心が開く島の予感がしている。

夜ごはんにはぜいたくを求めず、観光もしないことを決めた。観光地はいろいろあるし、歴史的にも重要な場所が多いのは調べたけれど、なにしろ私には足がない。しかもけがの療養中だったので、すっぱり、あきらめた。文章を書きたいという心の声に従う。一度決めたら、驚くほど楽になった。

始めて訪れた場所だけれど、自分のしたいように過ごそう。朝からゲストハウスのカフェスペースでパソコンを広げる。ハートのラテアートがのったカフェラテはまろやかで、新鮮な風景がいつもより仕事をはかどらせる。

お昼が近づくと、いつの間にか顔なじみっぽい方々が集まって、それぞれの作業を始めていた。近所の子供とお父さんが来て、フロントの裏でスイカを切っていた。彼らの日常の片隅に、今日だけ少しお邪魔させてもらう。

どんな旅をしていても、その時間に求めるものと行動がすれ違わなければいい。旅をさせられているんじゃなくて、その時間の主導権を自分自身で握っていられればいいのだ。このタイミングで五島に来てよかった。


次の目的地はどこだろう。私は誰といるんだろう。でもその時間を満ち足りたものにするのは、私自身だと再確認した。


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