【昭和/学校生活】「母校に伝わる『デカンショ節』」
「デカンショ節」御紹介
♫デカンショ デカンショで半年暮らす 後の半年しゃあ寝て暮らす ヨーイヨーイヨーイゃデッカンショ ぁらデッカンショ♫
下駄はちんばで 着物はボロで 心錦の木曽中生
箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ三学期
俺のリーベは 世界で二人 クレオパトラと 楊貴妃と
試験なんぞは 問題じゃないよ 前や横見て やっちまえ
校長校長と 威張るな校長 校長学校の飾り物
万里の長城で ションベンすれば ゴビの砂漠で 虹が立つ
女学校の側から 窓を覗けば 未来のワイフが 欠伸した
小丸山から 軍隊見れば 中に北(女学校の方)向く バカもいる
親父ホントに 可愛い奴よ 俺に本気で 意見する
可愛いあの娘に 振られたからにゃ 蜘蛛の糸で 首を吊る
大人大人と 威張るな大人 大人子供の なれの果て
豆腐の角に 頭をぶつけ 死んだアホも いるそうな
梅干しババアが お風呂に入りゃ 風呂のお湯から塩が出る
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切れた切れたよ 音頭が切れた 腐れ縄よりよく切れた

母校の文化祭に伝わる「デカンショ節」
私の出身高校の文化祭には、この「デカンショ節」が伝わっていました。一年生の時、"文化祭実行委員会"が各々に配ったプリントの「デカンショ節」の歌詞が、私の心をとらえて離さず、五十何番迄ある歌詞を、当時一気に覚えたものでした。
文化祭は4日間に渡って開催されました。後夜祭には、全校生徒がファイアーストームを囲んで、フォークダンスを踊りに踊った後、宴たけなわには、この「デカンショ節」を歌って踊って、フィナーレを迎えました。ノリにノった生徒達は、23時の終電で帰りました。
デカンショ節のあらまし
このバンカラ調の「デカンショ節」は、旧制中学、旧制高校に伝わるものでした。
このバンカラ調の気風の歌は、歌詞を自由な発想で加えてゆけるものでした。
歌詞には、まさしく青春の熱気、若者らしい反骨精神が表れています。
とても長い歌詞の「デカンショ節」は、五十何番まであり、その一部分を載せました。
発祥と由来
原曲は「丹波篠山」の盆踊り唄です。
明治31年(1898年)、丹波篠山出身の学生たちが、千葉県館山の旅館で避暑をしていました。そこに、旧制第一高等学校(一高=現在の東京大学教養学部の前身)の学生が、たまたま、同じ旅館に合宿していました。酒の席で、この歌が一高生たちの心をとらえ、その場で歌を教わりました。一高に持ち帰られたこの歌は、コンパやストーム(学生達の熱気あふれる寮歌)の定番となりました。やがて「旧制高校の代表的な学生歌」として、全国の旧制中学や旧制高校へと波及していったのです。
哲学者説のある掛け声
デカンショの掛け声の由来は、特に有名で学生の間で好まれたのが、「哲学者の名前をあわした」という説です。旧制高校の学生たちが好んで読んだ三人の大哲学者、デカルト(Descartes)、カント(Kant)、ショーペンハウアー(Schopenhauer)の頭文字を取ったという哲学者説です。
「難しい哲学書で頭を悩ませるより、酒で歌おう!」
若者のユーモア・ハイカラ・バンカラの一体化を感じられる、親しめるお話です。
高校合併の狭間で消えゆく
私の出身高校(旧制中学)は、1925年(昭和元年)頃に創立されて、現在で約100 年目になります。
これまでには、過疎化と少子化の波で、出身高校には二回も他校との合併がありました。郡内の伝統ある高校が、三校一つにまとまって現在に至ります。高校の編成が変わる狭間で、「デカンショ節」もいつの間にか無くなってしまい、残念なあまりです。
文化祭の後夜祭での、「デカンショ節」のノリと熱気は、高校時代の貴重な思い出です。
