昔の写真発掘 #1 戦時中
家にあった昔の写真を掘り出してみた。
私が生まれるよりもずっと前。
白黒写真、色褪せたカラー写真。
どれもみたことのない時代の香気を感じた。
15年くらい前に家の物置きから写真の入った段ボールを見つけた。
最も古いだろう写真は、紙ではなくガラス板に写し込まれていた。
紙の写真は昭和初期〜のものだと思われた。

私の曽祖父、曽祖母の若い頃の写真だ。
大正生まれなので、おそらく昭和初期〜戦時中と思われる。
曽祖父は10年以上前に、曽祖母は100歳を超えて今年(2025年)にお別れをした。

これは曽祖父が兵隊に出ていた頃の写真だと思われる。
曽祖父は広島に兵隊に出ていたと聞いている。
「広島工兵第五連隊」という名前を聞いたことがあった。
広島は当時、軍事施設が集まっていた。広島市にあった部隊で、爆弾の解体処理などを行っていたと曽祖父が言っていた。
1945年の8月に原爆が投下されたが、爆心地から3kmにある小学校のような建物にいたそうだ。光った瞬間、竹ぼうきで全身を叩かれたような痛みに襲われたそうだ。校庭で体操をしていた大勢の生徒は、皆いなくなっていたという。建物の下敷きになったところからなんとか抜け出して、比治山に逃げたそうだ。
曽祖母は、県境を超えて広島に迎えに行き、救護されていた亀山小学校というところで、曽祖父と出会う。除隊手続きを済ませて、また県境を超えて家まで曽祖父を連れて帰ったそうだ。道中は長いので、家々に泊めてもらったという。
これらの写真は、後に部隊の人が倒壊した建物から届けてくれたのだという。

これは何かと聞いたら、上空の敵から地上を隠すために煙を張る「煙幕」だそうだ。
夜間に敵の戦闘機から地上を見えなくするために部屋の明かりを布で覆って遮光する「灯火管制」は聞いたことがあったが、こんな方法もあるのかと、聞いた当初は感心していた。

Chat GPTに聞いてみると、九七式重爆撃機という戦闘機だそうだ。
翼には大きな日の丸が描かれている。

この手に抱えているのは、爆弾みたいに見えるけど、もしそうだとしたら少しゾッとする。


飛行機や風景を写した戦時中の写真の後ろには、「陸軍省憲兵司令部検閲済」のスタンプがある。
不許複製厳禁だそうだ。通信社の名前があることから、国内で限られた中、写真が出回っていたのだろうか?


こちらは、敵の戦闘機を撃ち落とすための高射砲。
随分と長い砲身から、凄まじい火力が見える。
戦時中の写真は結構、生々しいものがある。
それでも当時の写真が残されていたおかげで、その時代の空気感のようなものを伺い知ることができる。
次の記事では、戦後の写真も紹介してみたい。
