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蒲田ルームシェア行進曲

 映画シン・ゴジラが地上波で放送された時の我が家の盛り上がりようったらなかった。
「蒲田さあ、あっという間にやられちゃったんだから!」
家に帰るとリビングのソファでくつろいでいたチイさんが興奮気味に報告してきた。
「やられたかあ」
「すごいよ、ぜーんぶ踏み潰されちゃったんだから!」
蒲田を愛する我々は声を立ててゲラゲラ笑う。

 蒲田という街はお世辞にも治安がよくて有名とは言えない。都内自転車盗難件数ワースト1という不名誉なNo.1に輝いてしまったり、朝から酔っ払いがタクシー運転手と揉めているのを目にしても「やっぱりな……」と思わせてしまったりするところがある。
 私はそれまでそんな街で大学時代の先輩とルームシェアをしていたのだが、先輩が結婚して家を出て行くことになった。残された私が新たに見つけたルームメイトがチイさんだった。

 チイさんは会社の5歳年下の後輩だ。同じフロアで働いているがチームは別で、後輩といっても仕事での関わりはほとんどない。
 まだ実家に住んでいるがそろそろ一人暮らしを考えているらしい、という情報が私のもとに舞い込んできたため、彼女のデスクのところまでつかつかと歩いて行って唐突に聞いた。
「私今蒲田で大学の先輩とルームシェアしてるんだけど、先輩が結婚して出て行くから一部屋空くの。どう、チイさん、私と一緒に住まない?」
「えー。どうしよう」
もっと、いやーそんなこと突然言われても、と閉口するだろうと思っていたら、意外にも迷っている感じが読みとれた。
「実家から通ってた時よりも会社に近くなるし、都内で一人暮らししようと思ったら絶対住めないような広い家だよ。冷蔵庫も洗濯機もあるから新しく買う必要もない」
蒲田ってあんまり治安よくないんですよねえ、などと言う隙を与えないよう、一気に捲し立てた。
「その家の周り、ハトはいますか?」
「ハト?」
「私ハトがダメなんです。家の周りとか、家から蒲田駅までの道とか、奴ら多くないですかねえ」

 チイさんのハト嫌いは本物だった。
 誰よりもハトが苦手で嫌いなのに、悲しいかなそれ故誰よりも優れたハトアンテナをもっており、40メートル以上は優に離れているんじゃないかと思われる場所にある灰色の点も逃さず捉え、回避する。
 同じ会社に勤めているので朝は一緒に家を出ていたのだが、駅まで歩く道中チイさんを見失うことが度々あった。急に走り出したり、渡る必要のない信号を渡って一本向こう側の道路に逃げて行ったりするからである。
 私はチイさんが私の横からフッと姿を消してから慌てて周りをキョロキョロするが、私のような凡人のハトアンテナではあまりに遠くにいるその灰色を見つけられずに終わることも多い。

 ある日チイさんが家の窓から外をじっと眺めていたので、何してるの、と声をかけると、「ハトのカップルを見ている」とのことだった。言われて見てみると、真向かいの家の屋根にハトが2羽おり、お互いの首をつつき合ってイチャイチャしていた。
「あのカップル最近毎日あそこに来てるんだよ。ああ気持ち悪い」
 だったら見なきゃいいのに、と思うのは私だけではないと思うが、絶対的に安全な場所からハトを眺めるのが好きなんだそうだ。

 チイさんの頭の中には東京近郊のハトマップがある。ディズニーランドの話をすれば「あそこあんなに人いるのに不思議とハトいないよねえ」と返ってくるし、久々に浅草に行ってきたと話せば「わあ!浅草なんて絶対に行けない。ハトすごいでしょう」と返ってくる。
 チイさんが行ったことのない場所に私が行くと、必ず「ハトどうだった?」と聞かれるので、そのうち私もまずその場所にハトが多いか多くないかを気にするようになった。

 ここまでハトに行動を制限され、四六時中ハトのことを気にしているチイさんとルームメイトとして暮らすのはさぞかし大変だろうと思われるかもしれない。
 しかし、私がチイさんのことをそれなりに理解し許容できたのは、何を隠そう私にも誰よりも苦手で嫌いなものがあったからである。

 私は人より音に敏感で、と書くとなんだかとても繊細な人物のようだが、風船の割れるような破裂音や打ち上げ花火の音なんかはもちろん、キッチンのシンクに熱湯を流した時のボコッという音や、ワインのコルクを開栓する時のポンッという音、電子レンジで食品がバチバチいう音さえもダメで、いつも耳を塞いでいる。
 チイさんはパスタを茹でたお湯をシンクに流す時も音が鳴らないよう工夫してくれたし、電子レンジでおかずを温める時は「今からやるやつ、音鳴るかも!」と必ず教えてくれた。 
 互いに「あんな遠くにいるハトもダメなの?絶対こっちには来ないって」「こんな小さなボコッて音もダメなの?!」と不満を抱かないこともなかったが、「まあでもお互い様だし」と思うことで相手を受け入れていた。

 チイさんは大学の卒業旅行でイタリアに行こうと友人から誘われたがハトが多そうだからという理由で断り、行き先をドバイに変えてもらって顰蹙を買ったそうだ。ただ私も友人と広島旅行に行って牡蠣小屋に入ったのに、牡蠣の破裂音に怯えてずっと耳を塞いでいて、友人が焼いてくれた牡蠣を涙目で食べてそそくさと店を出た経験があるから責められない。
 家の窓からハトのカップルを眺めているチイさんを笑い者にできないのは、私も夏になると蒲田の駅ビルに貼り出される近隣の花火大会の日程を誰よりも熱心に眺めて誰よりもその日の天気を気にし、晴れれば駅ビルで何時間も時間を潰してから家に帰ったりするからである。

 ハトがどうとか散々言っていたけれど結局はチイさんが私との同居を決意してくれたのは、かつての私のように、ユニークな造りの家を見て一目惚れしたのが大きかったように思う。

 広々とした部屋、一風変わった間取り、大きな窓から入ってくる気持ちのいい風。
 よくある集合住宅の最上階なのに、家の玄関は1階にあった。
 外から入って1階のドアを開けるとそこには玄関があり、靴を脱ぐ。靴を脱いだ先には今度はエレベーターが登場するので靴下のまま乗り込む。行き先ボタンは1階か最上階か、の2択のみ。つまり次にエレベーターの扉が開いたら、もう我が家の廊下に着地しているというわけである。

 元々はこの家のオーナーが住んでいたため他と異なる特殊な造りになっているそうで、下の階の人々が1LDKで2世帯住んでいるスペースをぶち抜き、最上階の我々は2LDKとして広々と使えた。
 下の階ではベランダになっているスペースもギリギリまで部屋になっており、ベランダと呼べるようなスペースはない代わりに、我々専用の屋上が存在した。屋上に行くには我が家の中にある階段を上っていくしかなく、他の住人が入ってくることはない。
 これにはチイさんは大歓喜だった。ここを初めて見た誰もが言うように「バーベキューできそう!」と目を輝かせた。すでにこの家に1年以上住んでいた私は、バーベキューの道具を準備して上に運ぶのはいざやろうとすると非常に億劫なこと、夏は暑く冬は寒いので屋上で過ごしたいと思えるような気候の日は1年のうちにそうたくさんはないことを知っていたが、黙っていた。

 チイさんと私の共通点は「誰よりも苦手なものがある」他にもう一つあって、それが「気が利かない」ことだった。
 会社の飲み会で積極的に空のグラスを見つけてビールをついでまわったり、焼肉を焼いて皆んなの皿に取り分けたりすることができない。周りの気が利く人がそれらを自然とやっているのを見てやっと、そうだやらなきゃ!と気づくタイプの人間である。

 そんな我々二人が何を思ったか、一緒に住み始めて間もなくホームパーティーを開催することにした。当時の我々は完全にハイになっていて、普段「仕事の後の飲み会なんてめんどくさーい。会社の人とは毎日一緒なんだから、仕事以外の時間まで会いたくなーい」とか愚痴っているのをすっかり忘れて会社の上司や同僚を6人も休日に招待した。
 上司や同僚も「わざわざ休日に飲み会でサラダも取り分けない二人の手料理なんて食べに行きたくなーい」と思っていたに違いないが、皆んな優しいので文句も言わずに来てくれた。
 我々は毎日仕事を終えて家に帰るとどんな料理を作ってゲストをもてなすかについて協議し、休みの日には料理の試作をした。その成果を遺憾なく発揮し、当日はバケットとオリーブのサラダ、チキンのトマト煮込みスープ、アサリの酒蒸しにチーズフォンデュ、などと普段の自分達からは考えられないクオリティと品数の料理を準備してゲストを驚かせたのだった。
 ルームシェア・ハイの力はすごい。今当時の写真を見返しても、肉を焼く時に油がバチバチ鳴る度に火を止めて耳を塞ぐ非効率会代表の私が、あれだけの人数の胃袋を満たす料理をどのようにしてチイさんと二人だけで準備したのか思い出せない。

 大して関わりもなかったはずの二人が突然一緒に住み始めるというので、会社の人達は興味津々だった。我々は結局5年間一緒に住み続けたのだが、初めの2年間くらいは社内で誰かと顔を合わせる度に「喧嘩しないの?」と聞かれた。
 「喧嘩しないの?」「毎日ご飯は一緒に食べるの?」の質問にはもう飽き飽きするほどだった。
 喧嘩は一度もしなかった。ご飯は基本的に自分の分は自分で作り各自で食べるが、たまには多く作りすぎたおかずを分け合う日もあるし、一緒に鍋を囲むこともある。そう答えると「えっ、ご飯別々なの?」と驚かれる。私は以前大学の先輩とルームシェアをしていた時、共通の財布を作ってそこから食費を捻出していたことがあったが、「仕事が早く終わった方ばかりが買い出しと料理をすることになる」「飲み会などで外食してくる日があると家で食べないのに食費は負担しなければならない」などの問題にぶつかり、早々に一緒にご飯システムは破綻した。

 チイさんと私は二人で同じ家に暮らしながら、それぞれが一人暮らしをしているといった状態だった。米は別々に炊いたし、それぞれに自分のタイミングで自室とリビング、トイレ掃除をして、洗濯機も別々に回した。
 でも時々一緒に仕事帰りに待ち合わせて外食をしたり、真夏の夜に屋上で線香花火に興じたりして、そのバランスがとても心地よかった。

 我々はこの変わった間取りの家を自分達のアイデンティティの一部のように誇りに思っていたし、活気に満ちた蒲田という街のことも同じように愛していた。呑兵衛の街としても知られ、騒々しいイメージもあり、都内の住みたくない街ランキングに度々ランクインしてしまったりすることもある蒲田だが、ここに住む人達はそのことさえも面白がってなんとなく誇らしげに思っている節がある。
「昨日さ、電車でさー、若い女の人達が蒲田の話してた!」
「なんて?」
「この間改札の前に警察官が7人もずらりと並んでたんだって」
「へー。何かあったのかね?」
「わからないけど、さすが蒲田だねーって、笑ってた。その人達も私と一緒に蒲田で降りたんだよ、ここに住んでるんだと思う」

 その7人の警察官のおかげか、我々は私が結婚して引っ越すことになるまで5年もの間、危険な目に遭うこともなく、未知の巨大生物から逃げ惑うこともなく、安全に過ごした。
 浅草で一緒に食べ歩きをすることも、花火大会を一緒に観に行くこともない二人だが、蒲田で羽根つき餃子にかぶりつき、屋上で線香花火を楽しんだ。
 私達の蒲田ルームシェア生活にテーマ曲をつけるとしたら、蒲田行進曲しかないだろう。明るくて力強いのにどこか懐かしく、蒲田を駅ごと街ごと包み込む蒲田行進曲。JR蒲田駅の発車メロディ。


 チイさんはよく「私達おばあさんになったらさあ」と仮定の話を始める。
「私達おばあさんになったらさあ、あのホームパーティーの思い出話するのかなあ」
「えー。覚えてるかなあ」
「覚えてるでしょ。あっ、じゃああれは。我が家のエレベーターの修理にものすごく変わったおじさんが来た話!」
「あったねえ。あの話は絶対するだろうね」
私が同意するとチイさんは満足そうに頷いた。
「でもその頃さあ、もう今みたいに速く走れなくなっててさあ、ハトがいても逃げられなくなってたらどうしよう」
「それはもうさあ、ハトがいない街に住むしかないんじゃない?」
「ないよそんな街」
 そんな会話をしながら、私は「射撃 耐衝撃音 最強」などと物騒なワードをスマホに打ち込み、1ペア3000円の耳栓をAMAZONのショッピングカートに放り込んだ。