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結果が出ても出なくても、母は毎日戦っている。――コンクールの光と、飲み込んできた本音

 コンクールで結果が出た日、会場では「おめでとう」の声が飛び交います。SNSはしていなくても、たまに新聞や市の広報で「見たよ」と声をかけていただくこともあります。そんな時は少し照れくさいけれど、やっぱり嬉しい。

 でも、賞状を手にする数分間の裏側には、何百時間、何千時間という「泥臭い日常」があります。練習中のメトロノームのカチカチ音、楽譜に書き込んだ小さな手の跡、夜中に一人でため息をついた瞬間――そんな日々の積み重ねがあってこそ、結果の光は輝きます。



毎日、ピアノに向かう子どもの横で、母の心は揺れ動きます。「もう少し頑張ろう」と励ます声が、知らず知らず子どもを追い詰めていないか。自分自身の心が折れそうな時でも、子どもの前では毅然としていなければなりません。

周りからは「結果が出ているなら、大変でも報われているよね」と言われることもあります。もちろん結果は嬉しいけれど、日々の小さな衝突や、夜中に一人で抱えたもどかしい気持ちは、誰にも見えません。報われるのはほんの一瞬で、その前後に流れる小さな戦いは光にはならないのです。

逆に、結果が伴わなかった時の無念さは言葉にできません。一番悔しいのは本人だと分かっているから、母は自分の感情に蓋をします。「大丈夫だよ、次があるよ」と笑いながら背中をさす手の内側で、実は泣きたいほど悔しく、もどかしい。

「私のサポートが足りなかったのではないか」「あの一言が余計だったのではないか」――終わりのない自問自答。そんな孤独な反省会を、何度繰り返してきたことでしょう。華やかな舞台に向かうほど、その反動としての孤独は深まっていきます。


でも最近、ふと思うのです。母も、子どもも、完璧である必要はないと。完璧を目指して戦うのではなく、不完全なまま「今日をやり抜くこと」に意味があるのだと。


思うようにいかない日があっても、親子でぶつかり合って涙しても、最後に「今日もやりきったね」と言い合える瞬間があれば、それだけで十分なのかもしれません。結果という「点」ではなく、一緒に悩み、歩んできた「線」の中にこそ、親子の本当の絆が刻まれているのだと感じます。

母としての戦いは、明日もまた静かに続きます。もし今、同じように誰にも言えない悔しさや孤独を抱えながら、子どもの隣で戦っているお母さんがいたら、伝えたいです。

「あなたも、今日一日、本当にお疲れ様でした」

この記録が、誰かの凍えた心を少しだけ温める灯火になれば幸いです。


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たばてぃ|やんちゃっ子のピアノ練習サポート 忙しい毎日の中で、この場所を見つけてくださってありがとうございます。 この記事が「うちだけじゃなかった」と感じるきっかけや、少し気持ちが軽くなる時間になっていたら嬉しいです。 同じように悩むご家庭に届く記事を、これからもコツコツと言葉にしていきます。