めいそう日記Ver2〜Day218:一服しよう
1. 瞑想小咄〜一服しよう
「一服する」とは、タバコやお茶などを一回飲むこと。そして、ちょっと休憩することを指す。日本の生活の中で、ちょっと一息つくためにお茶を入れるということは習慣の一つだった。
しかし、最近はどうだろうか。毎日何かとやることが多く、仕事に、プライベートにと忙殺される日々を送っている人も多いことだろう。喉が渇いた時、少し口寂しい時にお茶なりコーヒーなりを飲むことはあるだろうけれども、それはあくまで「喉の渇きを潤すため」の飲み物であり、心を落ち着かせるためのものではない。
以前、煎茶をいただきに行った時にお茶の先生がおっしゃっていた。「ペットボトルのお茶はただ喉の渇きを潤すためのもの。煎茶で飲むお茶は、心がホッとするためのもの」と。私たちは、日々の中でそんな「心がホッとする」ような瞬間をどれほど作り出すことができているだろうか。
それなら、自宅でお茶を淹れてみようかとも思うけれども、生活の中から「お茶を淹れる習慣」を失ってしまった人も多くいらっしゃるはず。私もその一人で、恥ずかしながら最近まで急須を持っていなかった。
急須は入手したし、お茶も入手した。あとはお湯を入れるだけ…なのだけれども。実際に自分で入れてみても、どうにもしっくりこないというか。そこまで心が落ち着かないというか。結局のところ、入れ方そのものに問題があるということなのだろう。
先日、とあるお茶農家さんを訪ねた。あまり知られていない事実ではあるが、三重県はなんとお茶の生産量が全国3位というお茶どころ。海沿いには茶畑は見られないものの、山の方へ行くとあちらこちらで茶畑を見ることができる。
そんなお茶に縁がある場所なので、今回縁あってお茶農家さんを訪ねることができた。そして、お茶の美味しい入れ方を教えてもらったのだ。実際にお茶農家さんにお茶を入れてもらって気づく。「あぁ、お茶ってこんなに香りや深い味わいを楽しめるものだったのだな」と。
大切なのは、お湯の温度や抽出する時間。さらに言えば急須そのものの材質も大きく影響するらしい。そういった知識を身につけた上でお茶を淹れると、これまでとは全く違った味わいのお茶を自分でも淹れることができた。
知識を持った上で、ちゃんと時間をかけてお茶を淹れること。これは形の上で、美味しいお茶を淹れるための鍵であることは間違いない。しかし、最も大切なことは、お茶を淹れる時間に心を傾けることではないかと思う。
人のために淹れるお茶であっても、自分のために淹れるお茶であっても、「美味しくなれ」と思いながら淹れるお茶は美味しい。料理の1番の調味料は「愛情」というけれども、それはあながち間違いではないのだろう。
お茶を淹れるだけではなく、一つ一つの物事に心を傾ける。心を入れる。それが、出来上がったものが唯一無二の輝きを放つための隠し味になるのかもしれない。
2. 今日の瞑想〜2024.3.10 Sun 8:35〜(20min)
日曜日の朝。日差しが心地いい。日差しはすっかり春。今日も瞑想から一日を始めよう。
今日の瞑想音楽はこれ。
姿勢を整えて座る。身体の内側に意識を集中しつつ、体の状態を観察してみる。ここのところ頭の中で渦巻いていた雑念は、どうやらひと段落ついたようで、頭の中がスッキリしている。全体的に軽い感じ。時折浮かんでくる雑念も、重々しいものではない。身体の温かさを感じながら気持ちよく瞑想できた。
