めいそう日記〜Day218:おもてなしの原点(前編)
1. 瞑想小咄〜おもてなしの原点(前編)
おもてなし。2020年東京オリンピック誘致の際に一気に光が当たった言葉だ。日本の素晴らしいおもてなしの精神で海外からの観光客を受け入れますよ、とのアピールで使われた。その後、おもてなしという言葉を使う機会が増えた人もいるだろう。しかし、おもてなしとはそもそも本質的にはどういったことなのだろうか。考えたことがある人は少ないのではないだろうか。
人をもてなすという行為は日本だけではなく、全世界で文化として根付いている。その行為のあり方は文化ごとに違う。日本の「おもてなし」という文化は他国とどのように違うのか考えてみたい。しかし、現在ライフスタイルが随分西洋化したため、他国と比べると決定的な違いはないかもしれない。まずは「家に人を招く」という場面でのおもてなしについて、アメリカと日本を比較してみよう。
以前私がアメリカ人の自宅でホームステイをした時、自宅でホームパーティーを開いた。その時の様子を思い出してみる。ホストはゲストがやってくるのをお迎えするためにテーブルコーディネートをしたり、家の中の設を整えたり、手作りの料理を準備したりと忙しい。ゲストは各々が飲み物や食べ物を持ち寄ってホストの家に集まってくる。ゲストが集まってきたらみんなが持ってきた飲み物や食べ物もテーブルの上に乗せて一緒にご飯を食べる。ゲストが持ってきた飲み物や食べ物に対して「じゃ、割り勘ね」という話は出ない。少なくとも私が参加したホームパーティーにおいては。ちなみに準備する食べ物は自分で作ったもの、テイクアウトで買ってきたものとさまざまだが、ものすごく特別なものというわけではなかった。
ここで重視されていることは、共に仲間と同じ時間を過ごすということ。日常の中にちょっと特別な時間と空間を作って、仲間と同じ時間を過ごす。連帯感とか、つながりとか。そういったものを深く感じさせることが、アメリカ式のおもてなしなのではないかと感じた。
一方で日本の場合はどうか。ゲストとの関係性にもよりけりではあるが、どことなくゲストを「自分よりも尊い人」として扱っているのではないかと思う。ゲストの座席の位置を考えたり、ゲストにゆっくりと食事を楽しんでもらうためにホスト側が忙しなく動いてみたり。もてなす食べ物もお寿司やらお肉やらと、いつもよりちょっと良いものがテーブルに並んだりする。せっかく来てもらったのだから、楽しい時間を過ごしてほしい。そんな気持ちを持つ人は多いのではないだろうか。もしかしたら、文化が西洋化する前はもっと顕著だったかもしれない。
今回「おもてなし」ということをテーマに掲げてみたが、それには理由がある。つい先日昔ながらの製法で鰹節を生産している生産現場に行った時のこと。私たち日本文化の「おもてなし」の原点が伊勢神宮にあるのではないかという話を聞いたからだ。その話については、後編に続く。
2. 今日の瞑想〜2022.5.23 Mon 9:35〜(13min)
昨日一昨日と客人を迎え、送り出してどっと疲れた。やはり人をお迎えするのは大変疲れるもの。今日は休みにして、身体をゆっくり休めることにした。
昨晩はものすごい嵐だった。が、今朝は一転快晴。太陽の日差しで目が覚めた。うつらうつらする時間を過ごし、さてこれから行動しようと決めた。
その前に誘導瞑想を。
身体が疲れている時は、自分を活性化できる瞑想をしよう。身体のエネルギースポット、チャクラを活性化させていく。
誘導の声に沿って、チャクラに意識を向けていく。途中で思考は湧いて来るが、それを流して再び誘導に意識を戻す。
わずか10分程度の誘導瞑想。さっくりと瞑想をして、身体がちょっと元気になった気がする。今日も一日を始めよう。
