🏃💦深夜のジョギング🚲💦│法律と権利がせめぎ合う!中3男子との頭脳戦
🏃PM 10:10 スタート
学習塾の仕事が終わるのが夜10時。
外が晴れている日は
校舎の周辺を走ることにしている。
理由は簡単。
太ってしまうからだ。
好きで走っているわけではない。
以前、5キロの道のりを
週4回で走っていたら
突然太ももに激痛が走った。
肉離れというやつだ。
そこからは週2回にまで減らした。
それでもなお
椎間板ヘルニアってやつになった。
今度は走るどころが歩くことすらままならない。足を引きずりながら過ごす日もあった。
案の定、太った。
「適度な運動はされてますか?」
保健師さんに咎められる。
どーせいっちゅうねん。
最近ではヘルニアの痛みも治まり、
また週2回のジョギングを再開することにした。
教室でそそくさと着替えを済ませると
玄関先で屈伸をすることにした。
「先生!!」
突然背後から大声をかけられ
条件反射でびくっと身を震わせた。
振り返ると中3のヤマムラが
ニヤニヤと笑っていた。
「なんだよ。帰ったんじゃないのか?」
わざと驚かせるような素振りに
少し苛立ちを覚え
私はぶっきらぼうに答えた。
「先生、行くんでしょ。ジョギング。」
そういえば、今日話のなかで
うっかり口を滑らしてしまった。
「ねぇ、先生。おれも連れてってよ!」
ヤマムラは畳み掛けるように願い出た。
「ダメだ。もう補導される時間じゃないのか?」
「いや、まだ。夜11時まで大丈夫だよ。」
えっ、そうなの?
これが令和の中学生か…
ジェネレーションギャップなのか。
それとも元々そういう地域なのか。
あるいは…しつけの問題なのか。
自分が中学生の頃は夜10時には寝ていた。
夜10時に外に出ているのは
タヌキかイノシシぐらいだと思っていた。
でも言われてみれば、
ヤマムラはタヌキとイノシシを足して2で割ったような体型をしている。
そう考えるとタヌキとイノシシの時間というのも、あながち間違いではない。
「いや。もう帰れ。
先生はもう仕事は終わった。閉店ガラガラ!」
「サービス残業しなよ。」
「労働基準法違反だ。教科書に出てきただろ?
その上、今は働き方改革。
そもそもサービス残業は客側が言うもんじゃない。カスタマーハラスメントになるぞ。」
最近学習している公民の知識で
ヤマムラのわがままをねじ伏せる。
でも実は個人事業主には
労働基準法は適用されない。
「ぐぬぬ…。」
でも、なんでそうまでしてついて来たいんだ?
「じゃあ先生、どっち行くの?」
「あぁ。向こうの橋の方をぐるっと回ってくる。」
「あっ、じゃあオレんちの方向だから
一緒に行こう。」
「ぐぬぬ…。」
今度は私の方が言葉に詰まった。
🏃PM 10:20 1キロ地点
秋の風は心地よい。
爽やかな風がランニングウェアの隙間をすり抜け、体の熱をサッと拭い去っていく。
どこからかキンモクセイの香りが鼻をくすぐった。
心地よいリズムを感じながら
ヤマムラは隣でなぜか自転車を漕いでいる。
「先生、遅ーい」と偉そうに煽る。
「ヤマムラ。だいたいなんで自転車なんだ?」
「オレは走りたくないから。」
「たまには走った方がいいぞ。
部活終わって体なまってるんだから。」
「えっ。先生、
今オレのこと遠回しにデブって言った?」
おい。なんでそうなるんだ。
「そんなことは言ってない。」
さきほど心の奥底で
タヌキとイノシシのハイブリッドと
ほんの少し思ったことが脳裏をかすめたが
決して口には出していない。
「先生、侮辱罪だ。」
「いや。それは被害妄想罪だ。」
「そんなものはない。」
ヤマムラに即座に否定された。
「うっ…。」
これはさすがに騙されなかったか。
今度は私から反撃することにした。
「実はそう思った。ただ口にしてはいない。」
「うわぁっ!ひどい。慰謝料だ。」
「いや。自由権だ。
精神の自由。
今度のテスト範囲だ。」
「くぅ~。」
今度はヤマムラが唸った。
🏃PM 10:27 2キロ地点
うっすらと汗が滲みはじめてきた。
肩にかけたタオルで額の汗を拭う。
「ここまっすぐ行って、
交番のところで曲がるからな。」
「先生、そこはやめよう。手前の角を曲がろう。」
コンビニの前で何人かの若者とすれ違った。
ここでふと、今の状況を客観的に捉えてみた。
あんまりよろしくはない。
たまたま行く道が同じとはいえ、
保護者でもない大人が中学生引き連れて
走っているわけだ。
「これ、誘拐じゃない?」
「えっ。先生が保護者ってことじゃないの?」
「あぁ、保護するつもりは全然ないからな。
むしろ今から交番に駆け込みたいぐらいだ。」
ヤマムラが目を丸くする。
「は?先生、自首するの?」
「違う。ヤマムラを自首させるんだ。」
「だから、まだ補導される時間じゃないって。」
「そうじゃない。学習塾教室長に対する、
ストーカー規制法の違反だ。」
「先生!すぐそこの角、曲がって!
うち、こっちだから!」
急に話を逸らされる。
おまけに道まで逸らされる。
🏃PM 10:34 3キロ地点
国道の明るさが急に暗転し
住宅地の静けさが漂う道に迷いこむ。
「先生、オレ実は
好きな人に告白しようか迷ってるんだよね。」
急に話が修学旅行の夜みたいになった。
夜は人の心を開く…のかどうかはわからない。
ただ、そういう雰囲気を醸し出すものかもしれない。
「いや。受験が終わってからにしろよ。」
「誰か知りたい?先生も知ってる人。」
ヤマムラがなぜか声を弾ませる。
「いや。知りたくない。」
ヤマムラとは反対に私は声を沈ませる。
だって、心の底から知りたくない。
私が知っているということは
塾生の誰かってことだよね。
知ってしまったらいやでも気になってしまう。
それがとても面倒くさい。
「どうしようかな。教えちゃおうかな。
先生、言わないでよ。」
「いや。本当に知りたくないんだって。
プライバシーの権利があるだろ。
個人情報保護法だ。絶対言うなよ。」
「…。」
急にヤマムラが黙る。
決断を躊躇っているのか。
何か言い出すんじゃないか。
「いや。フリじゃないぞ!
本気で知りたくないんだからな。言うなよ。」
「オレ、あまのじゃくだから、
言うなよって言われると…
言いたくなっちゃうんだよ。」
「わかった。じゃあ、もう言っちゃえ!」
「…ハセガワさん。」
「おいー!結局言うじゃん。
黙秘権を行使しろよ。
…なんで言っちゃうんだよ。」
走っているそばから膝から崩れ落ちそうになった。
「知る権利!情報公開制度!」
嬉々として教科書で出てきた単語を並べる。
「それは情報を受け取る側が言うんだよ!」
でもよく考えてみると、
知る権利はあるけど
知りたくない権利ってないよな。
ヤマムラ、これなかなか深いぞ。
🏃PM 10:42 4キロ地点
「ねぇ。先生、どうしたらいいと思う?」
目の前の信号が赤色に変わり、
ヤマムラと2人並んで足を止める。
暗闇の中、ヤマムラの顔は紅く浮かび上がった。
信号機の色が彼の顔を照らし出したのか、
あるいは彼が頬を紅く染めたのかはわからない。
彼の瞳はただまっすぐ前だけを見つめていた。
でも、そんな美しい描写はいらん!
そんなのどっちでもいい。
「もう、知らんてー。」
4キロ走った後に聞く中学生の恋バナって
いったい何のトレーニングだ?
たしかに消費カロリーが高そうだけども!
これで果たして本当に痩せるのか?
「とりあえずだ。
間違ってもワンチャンで決めると思うなよ。
しっかりと相手との共通点と話題を見つけて
丁寧にコミュニケーションとるところからはじめろ。お互いLINEとか知ってるのか?」
私はどうやら、頼られたらアドバイスしなければ気が済まない性分らしい。
自分はどこまでいってもお節介な
個別指導の講師だとつくづく思い知らされる。
「ところで、もうそろそろ校舎に着いちゃうぞ。」
🏃PM 10:49 ゴール
「おい。校舎まで戻ってきちゃったじゃないか。うちに帰るんじゃなかったのか。」
「えっ?だって、うち、あっちだし。」
「なんだよ!逆方向じゃないか。
これもう詐偽罪な。逮捕だ。」
「身体の自由!逮捕礼状が必要だ。」
「残念。現行犯逮捕に礼状はいらん。」
「うぅーん。不逮捕特権!」
「そりゃ、会期中の国会議員だけだ。
ヘルプカードみたいに使うもんじゃない。
それに中学生に被選挙権はない。」
「くぅー!」
ヤマムラが唸り声を上げる。
「それより、このままじゃ夜11時過ぎる。
本当に補導されるぞ。」
「やべ!さよならー!」
最初から最後まで騒がしいジョギングだ。
不意に夜の静けさを取り戻した。
空を見上げると
暗闇のなかに小さな月が浮かんでいた。
たまには教科書からも教室からもはみ出した
こんな授業があってもいいのかもしれない。
でも頼むから、
門限だけは守ってくれ。
