♨️「無」になりに温泉へ行ったら、知らないおじいさんの人生講演会が始まった
月に一度くらい、意識的に「無」になる時間をつくるようにしています。
仕事のことも考えない。
研究のことも考えない。
学生のことも考えない。
メールの返信も考えない。
とにかく、1人時間を大切にし、頭の中を空っぽにする。
♨️🧘♂️
そのために、自然の中にある日帰り温泉施設へ行くことがあります。
山の木々を眺めながら、ぬるめの露天風呂に入る。
真夏なので、熱いお湯ではありません。
「今日は何も考えないぞ」
そう思いながら、ゆっくりとお湯につかっていました。
🌿♨️🌳
すると、隣にいた見知らぬおじいさんが、突然、話しかけてきました。
最初は、
「まあ、こういうのもいいな」
と思いました。
温泉でたまたま隣り合った人と会話をする。
名前も知らない。
どこから来たのかも知らない。
もう二度と会うこともないかもしれない。
そんな人と、人生の一場面だけを共有する。
これはこれで、なかなか風情があります。
😊
ところが、
話は、なかなか終わりません。
そして、気がつけば――
⏰
40分。
😳
「えっ……40分?」
そうです。
私は、露天風呂で40分間、そのおじいさんの話を聞いていました。
幸い、低めの温度設定のお湯だったので、のぼせることはありませんでした。
しかし、頭の中を「無」にするために来たはずなのに、私の頭の中は、
「次はどんな話が出てくるのだろう」
という状態になっていました。
♨️💭
その方は、どうやらかなりお金を稼いだ経験があるようでした。
そして、
「1年間で3,000万円使った」
という話。
さらには、過去の女性関係についての話。
いわゆる「豪遊伝説」「武勇伝」です。
💰💰💰
「自分はこれだけ稼いだ」
「これだけ使った」
「こんなこともした」
「こんな女性とも付き合った」
そんな話が次から次へと出てきます。
もちろん、その方の人生です。
どのようにお金を使うのも自由です。
どんな人生を送るのも自由です。
しかし、正直に言うと、私は途中から少し困惑していました。
😅
「これは……人生のヒントになる話なのだろうか?」
と。
私は、これまで多くの人の話を聞いてきました。
教育の現場でも、学生の話を聞きます。
同僚の話を聞くこともあります。
研究会や学会で、さまざまな人の話を聞くこともあります。
そして、年齢を重ねるほど感じるのですが、
「すごい経験をした人の話」=「心に響く話」ではない。
ということです。
💡
たくさん稼いだ。
たくさん使った。
有名な人と知り合いだった。
派手な経験をした。
それ自体は、確かにすごいことです。
しかし、それだけでは、必ずしも人の心に残るわけではありません。
むしろ、
「その経験から何を学んだのか」
そういう話の方が、私は聞きたくなります。
🌱
例えば、
「今振り返ると、あの失敗が人生で一番大きな学びだった」
そんな話です。
成功談そのものよりも、
成功の裏側にある葛藤や失敗、後悔や気づき。
そこに、人の心を動かすものがあるような気がします。
🤔
とはいえ、今回の出来事を悪いことだとは思っていません。
むしろ、そのおじいさんから見れば、私が「話しやすそうな人」に見えたのかもしれません。
そう思われたのだとすれば、それはそれで光栄なことです😊
ただし――
「話を聞ける人」と「40分間、知らない人の話を聞き続ける人」は別です。
これは、今回の温泉で得た最大の学びかもしれません(笑)。
♨️😂
人の話を聞くことは大切です。
しかし、聞き上手であることと、自分の時間をすべて相手に差し出すことは違います。
次回からは、もう少し早い段階で、
「今日は、何も考えずに温泉に入りたくて来ているんですよ😊」
と伝えてもいいのかもしれません。
あるいは、
「すみません、少し景色を眺めながら静かに過ごしたくて」
と言ってもいい。
相手を否定する必要はありません。
でも、自分の時間を守ることも大切です。
🌿
そして、これは教育にもつながるような気がします。
教育では、「学生の話を聞くこと」が大切だと言われます。
もちろん、それはその通りです。
学生の言葉を遮らずに聞く。
学生の考えを受け止める。
すぐに正解を与えない。
自分の考えを押しつけない。
こうした姿勢は、学びを支えるうえで非常に重要です。
しかし、教師が一方的に話し続けても、学生は学びません。
教師の「武勇伝」を聞かせ続けても、学生の学びにはつながりません。
大切なのは、
学生が自分で考え、問いを持ち、他者と対話しながら、自分なりの答えを探していくこと。
なのだと思います。
📚✨
教育においても、
「私はこれだけ知っている」
「私はこれだけ経験してきた」
「昔はこうだった」
と教師が語るだけでは、学習者の学びには限界があります。
教師の経験は、学生の思考を刺激するために使われてこそ価値を持つ。
教師の知識は、学生が自分で考えるための材料になってこそ意味を持つ。
そんなことを、温泉の中で40分間、見知らぬおじいさんの武勇伝を聞きながら考えていました。
……いや、正確には、最初の20分くらいは何も考えずに温泉に入りたかったのですが(笑)。
♨️😅
私の著書『日本の英語教育のゆくえ』でも、これからの英語教育について、単に知識を教えるだけではない学びのあり方について考えています。
AIが急速に発展する時代に、教師は何を教えるのか。
学習者は何を学ぶのか。
「正解」を受け取るだけではなく、自分で問いを持ち、考え、試行錯誤する学びとは何か。
そして、英語教育はこれからどこへ向かうのか。
そんなことを、これまでの教育実践や研究、そして日々のささやかな経験をもとにまとめました。
📖✨
温泉で「無」になろうとしたら、40分間も知らない人の人生を聞くことになった。
でも、そのおかげで、
「人は何をもって自分の人生を語るのか」
「本当に価値のある経験とは何か」
「人の話を聞くとはどういうことか」
そして、
「教育において、教師が語るべきこと、学習者自身が考えるべきことは何か」
を考えることができました。
そう考えると――
完全な「無」にはなれなかったものの、
それなりに、意味のある40分だったのかもしれません。
ただし、次回はできれば、
静かに山の木々を眺めながら、何も考えずに温泉に入りたいと思います(笑)♨️🌳😊✨
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