私がマリア様の御加護をずっと受けていたと気づくまで|聖母マリアとのシンクロニシティ記録
初めまして。ノエルと申します。この記事を開いてくださりありがとうございます。これは、私の20数年間の人生の中で確かに起きたこと、確かに感じたことを、忘れないために書き留める記録です。
私は、特定の宗教教育を受けて育ったわけではありません。
けれど昔から、祈りの言葉や、聖母マリア様を思わせるものに、不思議と心が反応することがありました。
それは、はっきりとした知識や信仰というよりも、もっと深いところで感じるものでした。
懐かしさ。
静けさ。
胸の奥がそっと開くような感覚。
言葉になる前に、心が先に知っているような感覚。
今振り返ると、私の人生には何度も同じモチーフが現れていました。
祈り。
薔薇。
赤い光。
聖母マリア。
そして「サンタマリア」という言葉。
ひとつひとつは、ただの偶然に見えるかもしれません。
けれど、私の中ではそれらが少しずつつながっていきました。
そして、自分の中にある愛の源泉に気づいていくまでの記録でもあります。
最初の小さな扉
私が「祈り」というものに強く惹かれた最初の記憶は、小学生の頃だったように思います。
当時好きだった物語の中で、「主の祈り」に触れました。
宗教的な意味を深く理解していたわけではありません。
ただ、その言葉の響きに、不思議と心を奪われました。
「悪より救い出したまえ」
その言葉が、ずっと心に残っていました。
子どもだった私にとって、それは難しい教義ではなく、もっと感覚的なものでした。
何かから守られるような言葉。
光のある場所へ導かれるような言葉。
静かな祈りの中に包まれるような言葉。
今思えば、それは私の中に最初に開いた、小さな扉だったのかもしれません。
その時はまだ、聖母マリア様とのつながりを全く意識していませんでした。
けれど、祈りというものに心が反応していたこと。
美しい言葉の奥に、救いの気配を感じていたこと。
その感覚は、今の私へと確かにつながっています。
意味を知らずに歌っていた「サンタマリア」
私は中学生のときから、米津玄師さんの「サンタマリア」という曲を歌ってきました。
その言葉が、聖母マリア様を指すものだと、最初から深く意識していたわけではありません。
ただ、その曲に惹かれていました。
その言葉に惹かれていました。
歌うたびに、どこか救われるような感覚がありました。
意味よりも先に、身体が知っていたような感覚でした。
大人になり、「サンタマリア」という言葉の意味を知った時、私はとても不思議な気持ちになりました。
私は、ずっとその名前を歌っていた。
知らないまま、呼んでいた。
そして、もしかしたら、呼ばれていたのかもしれない。
そう感じました。
この出来事は、私にとってとても大きな伏線のようでした。
その時は意味がわからなくても、あとから振り返ると、そこには確かにひとつの道筋がありました。
祈りの言葉に惹かれていたこと。
「サンタマリア」という言葉を歌っていたこと。
そして、そこに聖母マリア様の気配を感じるようになったこと。
すべてが、時間をかけて静かにつながっていきました。
けれど、本当に不思議だったのはここからでした。それまで私の中に散らばっていた祈りの記憶や、「サンタマリア」という言葉への惹かれ方が、2024年12月のある出来事をきっかけに、はっきりと輪郭を持ちはじめたのです。ここから先は、私にとってとても個人的な記録です。
私自身が受け取ってきたものを、静かに書き留めるための場所です。そして、私が「自分の中にも愛の源泉がある」と少しずつ気づいていくまでの流れを、ここから綴っていきます。
ここから先は、私にとってかなり個人的で、魂の深い部分に触れる内容になります。
教会で受け取った感覚。
赤い光。
薔薇。
MARIAさんのリーディング。
女神性の指輪。
メダイ。
聖心少女。
そして、私が自分を受け取っていくまでの流れになります。
2024年12月、教会で受け取ったもの
2024年12月、私は導かれるように家の近くにある教会のコンサートへ行きました。
その場所で見た言葉が、深く心に残っています。
「今日、あなた方のために救い主がお生まれになった」
その言葉を見た時、胸の奥が静かに反応しました。
そして、教会の中で見た赤いステンドグラスが、とても印象的でした。
赤い光。
祈りの空間。
静かに響く音。
そこにいるだけで、心の奥にある何かがそっと震えるようでした。
初めてのはずなのに、どこか懐かしい。
知らないはずなのに、知っているような気がする。
そんな感覚がありました。
さらに、その場で「きよしこの夜」を歌った時、歌詞を見なくても自然に歌えていたことにも驚きました。
もちろん、有名な曲だから覚えていたのかもしれません。
けれど私には、それ以上のもののように感じられました。
ただ記憶していたというより、もっと深い場所から出てきたような感覚。
その日、私は教会で何かを受け取ったのだと思います。
それは、大きな啓示のような激しいものではありませんでした。
むしろ、とても静かなものでした。
けれど確かに、私の中にあった祈りの感覚が、そこで開いたように感じました。
薔薇と赤
私が長く好きで見てきた方に、MARIAさんという方がいます。参考までにその方のリーディングや雑貨、コスメブランドのサイトのリンクを貼っておきます。
MARIAさんのリーディングや言葉、キャンドル、セルフケアのアイテムには、何度も支えられてきました。
そして振り返ると、私の身の回りには、薔薇や赤、聖母マリア様を思わせるものが少しずつ集まっていました。
キャンドル。
香り。
マリア様モチーフのバーム。
カード。
祈りを思わせる道具たち。
それらは、ただ可愛いから、好きだから、という理由で手に取ったものでもあります。
けれど、あとから並べてみると、不思議なくらい同じ方向を向いていました。
まるで私の日常の中に、少しずつ祈りの場所が整えられていくようでした。
聖母マリア様は、遠い場所にだけいる存在ではなく、私の日々の中にも静かに気配を残してくださっていたのかもしれません。
赤いもの。
薔薇の香り。
肌に触れるもの。
火を灯すもの。
心を静めるもの。
それらが、私の生活の中で小さな祈りになっていきました。
タロットリーディングの中に示されていた御加護
不思議なのは、私が教会で体感するよりも前に、すでに先程のMARIAさんのリーディングの中で「聖母マリア様の御加護がある」が示されていたことです。
その時の私は、まだその意味を今ほど深く受け取れていませんでした。
けれど、2024年12月の教会での体験を経てから見返すと、そこにはもう答えが置かれていたように感じました。
その後も、マリア様のカードや、女神性、愛の源泉という言葉が、何度も私の前に現れました。
「マリア様のエネルギーが身体に流れている」
「奇跡が尽きることなく続く」
「女性性が女神性になっていく」
「聖母マリア様のような愛の源泉があなたの中にある」
そうした言葉を受け取るたびに、私は少しずつ理解していきました。
これは、外側から何かが与えられるだけの話ではないのだと。
私の中にも、もともと愛の源泉がある。
それを思い出していく過程なのだと。
聖母マリア様の御加護とは、ただ守られることだけではなく、自分の中にある愛を信じられるようになることでもあるのかもしれません。
魚座新月の指輪
昨年の魚座新月の日、私は白や銀に輝く指輪を左手薬指につけている夢を見ました。
キュービックジルコニア、ダイヤモンド、ムーンストーンのような、白く澄んだ光を持つ石。
その中でも、最初に浮かんだのはキュービックジルコニアでした。
目が覚めた時、その指輪はまだ現実にはありませんでした。
けれど、不思議と「これは必要なものだ」と感じました。
その後、アクセサリーショップで実際に指輪を試着し、一番しっくりくるものを選びました。
その指輪は、私にとって女神性の象徴になりました。
左手薬指。
白い光。
澄んだ石。
自分自身と結ぶ静かな約束。
それは誰かに見せるためのものではなく、私自身が私の中にある神聖さを受け取るための、小さな儀式のようでした。
私はその指輪を通して、自分の中にある女性性や女神性に、少しずつ触れていったのだと思います。
メダイを身につけること
2025年3月、私はマリア様のメダイを購入しました。
外出する時などに身につけるようになり、眠る時にもそばに置くようになりました。
メダイは、私にとってただのアクセサリーではありません。
守られていることを思い出すもの。
祈りの気配を日常に置くもの。
聖母マリア様の存在を、近くに感じるためのもの。
身につけていると、少しだけ心が静かになります。
ひとりで外へ出る時も、そばにいてくださるような安心感があります。
聖母マリア様は、遠い聖堂の中だけにいる方ではなく、私の日々の中にもいてくださる。
そう感じられるようになりました。
メダイをそばに置くことは、私にとって小さな祈りです。
言葉にしなくても、ただそこにあるだけで、私は守られていることを思い出せます。
ルビー、33、マリア様の心臓
私は、自分の誕生石であるルビーのネックレスを強く求めた時期がありました。
ルビーは赤い石です。
その赤は、私にとって、ただ美しい色というだけではありませんでした。
胸元に重なるルビーは、ハートの位置にある赤い光のように感じられました。
マリア様の心臓。
イエス様の血。
贖いの愛。
無条件の愛。
そうした象徴と、自然につながって感じられました。
その流れの中で、立ち寄ったカフェの席番号で「33」という数字を見たことも、私にとってはとても印象的でした。
私はそれを、マリア様の祝福の合図のように受け取りました。
けれど私にとってその「33」は、聖なる愛や、深い導きと結びついて感じられました。
ルビーのネックレスを受け取ったこと。
それを胸元に重ねること。
その一連の流れは、まるで私のために用意されていた小さな儀式のようでした。
赤い石を身につけることは、私にとって、自分の中にある愛の源泉を忘れないための祈りになりました。
聖心少女が突然現れた日
エンジェルズゲートの時期、私はとても眠気が強く、身体も心も繊細になっていました。
その日、何気なくYouTubeを開いた瞬間、おすすめの一番上に「聖心少女」という曲が表示されました。リンクを貼っておきます。
最初は、聖母マリア様に関係する作品だとは知りませんでした。
ただ、ゴシック調の雰囲気に惹かれて再生しました。
けれど視聴後、コメント欄を読んで初めて、その作品に
聖母マリア様、キリストの受難、聖心、黙示録、いばらの冠、ピエタの構図、聖書にも出てくる太陽と月の象徴などが含まれていることに気づきました。
私は、また意味を知る前に惹かれていました。
知識で選んだのではなく、先に心が反応していた。
そしてあとから、そこに聖母マリア様のモチーフがあったことを知りました。
この流れは、私にとってとても象徴的でした。
「サンタマリア」もそうでした。
祈りの言葉もそうでした。
聖心少女もそうでした。
私はいつも、意味を知る前に惹かれている。
そしてあとから、その奥にあったものに気づいていく。
それはまるで、私の魂が先に反応して、あとから意識が追いついていくような感覚でした。
最後に
私は何度も揺れてきました。
自分を信じられない時もありました。
心が痛む日もありました。
けれど、そのたびに、祈りの言葉や、歌や、赤い光や、薔薇や、メダイや、MARIAさんの言葉が、私の元へ届きました。
それらはすべて、私にこう伝えてくれていたのかもしれません。
あなたの中にも、愛の源泉がある。
あなたは守られている。
あなたは、あなた自身の神聖さを受け取っていい、と。
祈りを深く知らなかった頃から、私は祈りに触れていました。
意味を知らないまま「サンタマリア」を歌い、あとからその名の深さを知りました。
教会で赤い光を見て、薔薇を受け取り、メダイを身につけ、聖心のモチーフに導かれました。
MARIAさんのリーディングの中で、何度も聖母マリア様の御加護を感じました。
そのすべてが、私にとっては静かな合図でした。
私はこれからも、自分の中にある愛の源泉を忘れずに生きていきたいです。
揺れる日があっても。
涙が出る日があっても。
自分を信じられない日があっても。
私はもう、知っています。
私はずっと、マリア様に守られていたのだと。
