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momoro66
いつでもどんなときも、一緒に
「ねぇママ、○○ってむかしサルだったでしょう?そのとき、どんなふうにねてた??」
昔の記録を読み返していると、上の子が3歳頃のそんなコメントがメモされていました。
人間は昔サルだった、という話をどこかで聞いたのでしょう。
自分はサルだったことがある、と思ったことを考えると、今でも愛しさで抱きしめたくなります。
それよりも小さかった頃、寝る前に抱きしめながらおしゃべりをするときに、よくこんな会話をしていました。
「○○がねこだったら、どうする?」
「ママもねこのママになるよ。いっしょにお昼寝しようね」
「じゃあ、とりだったらどうする?」
「ママも鳥になるよ。一緒にお空を飛ぼうね」
「まま、なんでもいいの?」
「おまえといっしょならなんでもいいよ。ケムシでもカエルでもいいよ。何になっても、ただずっと一緒にいたいよ」
今こんなふうに話しても、成長した子は「もう、ママはいつも○○のこと好きすぎだよ!」とうるさそうにニヤニヤするばかり。
親が今でも本心でそう思っているということは、どこまで伝わっているのでしょうか。
サルだったときも、もっとずっと遙か、海の生物だったときも。
遠い遠い未来、宇宙のどこかにいるとしても。
そこがどこでも、私が誰(何)でも、どんな世界だったとしても。
願うことはただ、おまえたちとまた一緒にいますように、ということだけ。
大好きだよ。いつでもどんなときでも、一緒にいたいよ。
