ケルテスとウィーンフィル!モーツァルト交響曲第25番.29番.もし、長生きされていたとするならば、クラッシック界は変わっていたのだろうか?①🎼🎼
モーツァルトを好む人間にとって、ケルテスという人は特別な存在だろうと思われる。
イシュトヴァン.ケルテスは 類いまれなる才能を持ちながらも、若くして 海での事故で御亡くなりになり、もし、長生きされていたとするならば、他の指揮者達にとって 大変な嫉妬の対象になっていたのかもしれない。
もしかすると、“カラヤンでさえ” 嫉妬していたのかもしれない。
そう思わせるものを ケルテスは持っている。

ここに 1972年録音の モーツァルト交響曲 第25番, 29番 ウィーンフィル盤がある。
モーツァルトの円熟期の作品よりも、比較的初期の作品においてケルテスが 良い結果をおさめているという事は、ケルテスの “若さ” にあるのかもしれない。
若いという事は 色々な可能性を秘めていて、言葉ではあらわせない “何か” が宿っているものと思われる。

俳優にも同じ事が言えて、
「20代において将来有望と思わせるものを残していなければ、その後の活動に影響が出るので 若い時の仕事ぶりは 非常に大切である。20代で結果を出しておくべき。」
という話を 以前 映画評論家であり、“NHK ファミリーヒストリー”の製作にも関係していた人から その話を聞かされた事がある。
ケルテスは 若くしてお亡くなりになっている事から、演奏会ではなく、全て 過去に録音された盤で判断される事が多いと思われる。
賢明なケルテスは新しい盤の録音の為に、敢えて新しい事を考えてはおらず、到ってシンプルに新しい事を試みず、小細工無しで演奏した事が良かったのだろうと思われる。
その為 若い時期のモーツァルト作品の方に、ケルテスの魅力はあらわれているのではないのだろうか。

私はモーツァルトを聴く際、出来るだけ若い時期の作品で判断する様にしている。モーツァルトそのものが、円熟期に入ったものは当然 良いに決まっているからである。
その良いに決まっているものを外して、若い時期の作品で判断するというのが良い様に感じている。
その若い作品を聴いた上で 円熟期の作品を聴く方が、モーツァルトを楽しめる様にも思うからである。
俳優の例えと音楽家も同じだと、その映画評論家は私に教えてくれた。
ケルテスは 円熟を前にして不帰の人となってしまった。
それでも、ケルテスはもう既に、若かりし頃に 素晴らしい演奏を残している。結果を出しているのだ。
その録音を聴いて 我々はケルテスという人を判断している。

遠い風となってしまったケルテス…..
あなたは 今、どこで どうしているのか…..
アメリカで遊んでいるのか、
フランスでメリーゴーランドに乗っているのか、
ポンヌフを そぞろ歩きしているのか、
カプリのマリーナ.ピッコラで水遊びをしているのか、
シレーネの岩でカスティリヨーネ城の事を考えているのか、
もう水遊びは こりごりさ!
そんな声が
インマコラテッタの額縁から見える風となって
きこえてくる。 ⚜️

《 交響曲 第25番 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 1972年 》
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