イパネマの娘の子守唄 アストラッド.ジルベルト&ナベサダ&カツゾー様版!➕O.ピーターソン&寺島靖国のオーディオルーム!(リルケ墓碑銘付き)🇧🇷

🇧🇷《 風と共に去らない Astrud Gilberto の子守唄 》🇧🇷
《Caro Fiore 》
花は美しい 花は美しい
愛らしい花 大人しい花
大切な花 可憐な花
それらは それらは
いつでも いつでも
魔法になってくれる 恋人になってくれる


イパネマの娘 スタインゲッツ &アストラッド. ジルベルト
《 自由な眠り. Ⅰ 》
おお バラよ
矛盾の奥の純粋さよ
花びらの奥に
眠りはあるのか
誰の眠りでもない
何者でもない
眠りはあるのか
多くの瞼の下には
眠りはないのか
眠りがないのなら
そっと入り込んで
私が
眠ってしまおう
二度と
起こされないよう
その後
花びらを
閉じておくれ
(リルケ. 墓石銘 新解釈インスピレーション自由詩より By. 秘密さん。)

イパネマの娘 渡辺貞夫 ライブ (1967年)
黒いオルフェ アストラッド・ジルベルト (JBL K 2-S5500 )

《 自由な眠り Ⅱ 》 《バラの花は母のお腹 》
多くの瞼の下に
眠りはあるのか
誰もいないなら
そっと入り込んで
私が眠ってしまおう
二度と
この下界に
出て来れないように
起こされないように
花びらを
閉じておくれ
誰もが
そう思うはずだ
いや
違う
最初から
花びらは閉じていた
蕾の中に
眠りはあるのか
蕾の中に
私は
眠る
ああ
蕾よ
開かないで
私は
蕾の中に
瞼を
閉じる
( リルケ 墓碑銘. 新解釈インスピレーション自由詩より。By. 秘密さん。)


Corcovado オスカー.ピーターソン ( JBL K2-S5500+DENON )
You Look Good To Me オスカー. ピーターソントリオ (JBL K2 -S5500)
こちらのオスカー・ピーターソンのアレンジも 流石 洒落ている。

イパネマとは、ブラジルのリオデジャネイロ市内に位置するコパカバーナ海岸隣りのイパネマ海岸の事で、ミュージシャンで作曲家であるアントニオ.カルロス. ジョビンとブラジルの外交官でジャーナリストでもある詩人のモラリスによって、この世に送り出された。
イパネマの娘は1962年にジョビンが作曲したボサノバの歌曲であり、1964年3月にリリースされている。
海岸を歩く少女の姿にときめいて、少女への届かぬ思いをもの悲しく訴えた歌詞であり、モラリスの叙情性がよくあらわされたものとなっている。
このイパネマの娘は私にとって、昔どこかで聴いていた子守唄。
アストラッド.ジルベルトが たとえ遠くへ消えたとしても、イパネマの娘は風と共には去らない。
アストラッド.ジルベルトは2023年6月5日に 83歳でお亡くなりになっている。
こちらのカツゾー様のカバーは、この淡く切ない感情が伝わって来るステキなイパネマの娘である。

そこに眠りはあるのか
そこに眠りがあるのなら
そっと
そっと
伝えたい
ステキな夢を….
おやすみなさい。 ⚜️
イパネマの娘 ステキなカツゾー様バージョンを どうぞ!😆👍️

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💮《 おまけ ブラジル料理 》💮







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《 あとがき 》
こちらに書いた、リルケの墓碑銘の “新解釈インスピレーション自由詩” であるが、リルケは答えをひとつに絞る事を決して望んではいなかったのではないのか?という、勝手な解釈をしている。
争点になるのが、「多くの瞼」、「矛盾の奥の純粋さ」という点であると思うのだけれど、私は答えを2つ以上持っている。
ひとつは、“多くの瞼” は「バラの花びら」であり、もうひとつは「墓地に眠る先客」であると考えている。
殆どの解釈が、バラの花弁となっているようであるけれども、必ずしもバラの花弁と決めつけられるものなのだろうか。
この詩が「どこに刻まれているのか?」を考えてみると、リルケは単なるバラ好きであるだけで、花弁はバラではなく、「死体の瞼」と考えても良いのではないのかと思っている。
でも、その時々で瞼であったり、バラの花弁でもあったりと、両方を意味しているとも考えられる。
私は両方の意味から、このインスピレーション自由詩を作っている。
又、“矛盾の奥の純粋さ” は、バラの花が開いていると決めつけるから解釈に行き詰まるわけで、開いてないと仮定するとわかりやすくなると思っている。
つまりは、「蕾」のままであった場合、もしバラの中で眠りたいのなら矛盾が起こる。
この詩は、イエス・キリストの受胎告知を意味しているのではないのかとも考えている。
このように、解釈をひとつと考えずに、読む人の心の中でいくつもの意味が芽吹く事を、リルケはそっと許していたのではないのだろうか。
沢山の死体の埋まる墓地には、バラの花が沢山咲いている。
そこには、まだ蕾のものもある。
死体の瞼は、沢山ある。
そこに、先客がいなければ幸いである。
誰も先客のいない、花びらが開いていないバラの蕾の中にそっと入り込んで、永遠に眠りたい。
蕾の中に入り込んで永遠の眠りにつきたいので、花弁よ、開かないで、永遠に閉じたままでいてほしい。
母のお腹の中にそっと入り込み、永遠の眠りにつきたいので、バラよ、蕾のままで永遠に開かないでほしい。
母のお腹は、私だけのもの。私だけが独占したい。
誰も入って来ない様に、最初から蕾のままでいてほしい。
そこには、私しか入らないのだから。
私だけが 一人で眠るのだ。
死体の眠る墓地とバラの蕾と母のお腹に、自分だけの居場所を考えても良いのではないのかと。
リルケの詩は墓地にあるのなら、開花したバラの花弁と決めつけず、多くの瞼を「死体」と考えても構わないはずである。
でも、バラの花弁でもある。
多くの瞼はバラの花弁でもあり、死体でもあり…..両方を意味していても良いのではないのだろうか。
又、その詩を考えたのが、いつ、何処でだったかにより、解釈は変わって来ると思われる。
家の中で考えた詩なら、バラの花弁だったかもしれないけれど、考えた場所によっては死体をイメージして詩を書いていたのかもしれない。
私のインスピレーション自由詩は、その様な自由な考え方から生まれたものである。⚜️
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