🏺土へは返らない!一族の連続性を重んじる.バッハ一族のカンタータ集(民俗学から考える遺骨の永遠性.現物こそ真の全知者である。)🏺


 

 

土に返らない
壺に入れられし
過去の影は
土に返らない

一族の連続性は
清く守りたまへ

地下室に降り
壺は守りたまへ

土に返らない
ずっと
そのまま

土に返らない
ずっと
壺は
そのままで


墓石の下に堅牢な地下空間を建造し、梯子で降りる。
スペース的には2~3畳で、深さ2メートル以上掘り下げた地下空間である。
副葬品や一族の遺骨が入る壺を並べる為 
その地下空間には棚が設えてあり 
雨風をしのいで
永遠を誓う。


 

そんな墓が、世界には存在している。

そして、日本にも極一部にて存在している。
但し、限られた人間である。

曾て、天正十年、武田信玄の子、勝頼が天目山に於いて自害をした時、数十名の手兵を引き連れて戦場から逃げ去り、織田方の探索の目を眩ます為に姓を変えながら、200年ばかり各所に隠れ住んで来た。

文久時代の松平藩分限帳にも、それがわかる資料が残されていて、関係のある城内博物館、図書館にて保管されている。
勿論、関係者以外が見る事はない。 


 


旧士族であるのかないのかは、改正原戸籍で90年以上前の事が載っているものを調べるか、松平家や各藩が残した「分限帳」を見る事も一つの方法である。
あるいは、写真が残されているのか、元服をしているのか、幼名があるのか等も判断材料にはなると思われる。


 

よく、ネットで、姓名だけで判断出来る様な事を書いてあるけれど、姓名だけでは100%正確な事は出て来ない。
大抵は間違った情報が多い。

本当の真実は、「アナログの世界」でしか情報は得られない。
ネットやAl では、感情、情緒、想像力や、経験値が人間とは異なる為、決して100%完璧な真実は得られない。


 


又、家系図もお金さえ出せば、都合よく書いてくれる商売が成り立っている事から、自宅にある家系図もあまり信用は出来ないと思った方が良い。

それから、刀剣類を所有しているからといって、旧士族とは限らない。
これも、近年はお金さえ出せば、買えるからである。

明治維新の時に姓をつけるにあたって、庄屋が安易な方法で決めてしまったり、色々な事があったので、正確な事を調べるとなると、相当時間がかかるけれど、先祖が遺した物を見るのが一番良いと思われる。

だから、お墓は大切なのである。

やはり、頼りになるものは、改正原戸籍と各藩が残した分限帳に「名前が載っているかどうか」と、決定的な違いは「墓」である。
墓を見れば、そうであるのかないのかは、あらかた見当がつく。


 


近年、「墓仕舞い」等というものが、やたらと大きな顔をしだしているけれど、時代劇が大好きで、武将が好きで、歴史が好きで、日本の文化を守りたいのなら、墓仕舞いは出来ればしない方向で、最後まで何とか「形として残す」方が良いと個人的には思っている。

その事は、日本の未来の為でもある。

何かの考察、調査をするにあたり「アナログの形ある現物」ほど確なものはない。
アナログの現物には、嘘が無い。
アナログに勝るものは無い。


 


通常 日本の墓は「土に返る」様になっているのだが、一族の連続性を重視する場合、土には返らない様にする考え方がある。

近年のマンションタイプ永代供養の墓も、土には返らないけれど、その場合の土に返らないの意味は、一族の連続性とは全く異なる。契約書をよく、読むべきである。
契約してから50年ぐらいで、入っている金庫型の入れ物から遺骨を出されて、敷地内かあるいは別の場所に合葬されてしまうケースがあるので注意が必要である。
これは問題が大きい事を、殆どの方は御存知ない。 


 


それは、オーナー側の都合で変わってくる。
その土地と建物の所有者の経済状態と運営方針によっては、途中でオーナーチェンジがあり、又、資金繰りの問題から、大規模修繕をしないまま放置される恐れがある事も、頭の隅っこに置いておくべきである。
雨ざらしにはならない建造物の中に遺骨を入れるという事は、そういう事なのである。

永遠性、連続性を重んじるならば、土地付きで、「きちんとした寺の墓」である事が望ましいと個人的には思っている。


 

私は、現在2箇所にある墓を、最終的には一つにする。
一つは、マンションタイプの永代供養の墓から、別の寺にある先祖代々、永代供養の土地付きの墓に全てを移すと決めている。
私が死ぬ様な事があった場合には、別のところにあるマンションタイプの永代供養型に入れてある遺骨と私を、雨ざらしになる先祖代々の土地付きの墓に全て一緒に移すのだ。


 


私は、マンションタイプの方にだけしか墓参りはしないのだけれど、行った時には入れてある人の遺骨の崩れ具合がどの程度進んでいるのかを必ずチェックする。
私は、遺骨が絶対に崩れない様に、クッション代わりになる物を遺骨の中に入れてあるので、火葬直後とほぼ同じ状態を保っている。
そのままの状態を保ってくれている事が、何よりも嬉しいので、かなり工夫して、崩れない様なスタイルをとっている。


 


そして、最終的に最も永遠性があるのは、「髪」なのである。
私は、自分で髪を切り、それを何本も作っている。
長さ的には17㎝ぐらいのものを何本も作り、遺髪にする為に艶のある、若い時の髪を遺すように考えている。
白髪だらけになった髪を遺したくはないからである。

実は、髪だけは2箇所の墓にもう、入れてある。
これは、ユダヤの商人から学ぶところが大きい。
何かあった場合の事を考えて、リスク分散をしているのと、今ならまだ精神的に余裕がある為、髪だけは先に入れておこうと思った。
例えば、爆発事故なら遺体は残らないかもしれず、墓に入れるものが無くなる為、早くから髪を切って残してあるのだ。
私は、こういう事を早くから準備しておきたいと思う性格なので、だから墓は大事なのである。   


 


私の考え方は、エジプトの “太陽神ラー” に近いのかもしれない。 
いつも、勧誘避けに太陽神ラーは使わせて頂いているけれど、エジプトでミイラにしたいと思う人の気持ちが私にはよくわかる。

そのままの形で、崩れる事なく…..という点が、私と同じである。
だから、三島由紀夫様の最期には、全く賛同出来ないのである。
私なら、あんな苦しいやり方はしない。
もっと、簡単な方法を選ぶ。
その方が、美しいからだ。
あんな方法をとらなくても、もっと美しく死ねただろうに。


 


私にとっては、墓は大事。

それらの中身は、土には返らない。

壺の中で
守られる。

そして将来
さらに
土に返らない様に
遠くの墓へ行く事になる。

その時は
私も一緒である。

それらは、全て
土に返らない。

私は、土へは返りたくはない。

散骨、樹木葬、海洋葬なんて、まっぴら御免である。

だから、そこへ行くと決めたのだ。
 
永遠に守られたいから。
 
崩れない様に。⚜️



 

カール.リヒター  ルター派の牧師を父に持ち、宗教色の強い環境だった事から、高い精神性に導かれた演奏となっている。


バッハ.コレギウム.ジャパン  鈴木雅明様メッセージ 教会から


 

                           
                                                     《 あとがき 》

バッハは、一族の連続性、永遠性を守りたかったと考えられる。
その考え方は世界共通であり、日本でも同じはずなのである。

ところが、近年の墓仕舞いから見る「連続性、永遠性の考え方の消失」の方が皆に受け入れられているけれど、まだそれを守り抜こうとする人間も残っている場所には残っているのである。

それを、さも馬鹿げているかの様な風潮で、「あぁ~墓なんか…..」という考え方の方が、“良い事で、現代社会に合っている” と言わんばかりの事を、あまりにもテレビや雑誌等で言い過ぎだと思っている。

そして、皆、Al に頼りすぎである。

Al は、感情と情緒と想像力がない。
あくまでも、「人間がメインで、Al はサブ」である。
自分の眼と足で、きちんと確かめるべきだと思う。

言葉や理論は、神を説明しようとする「影」に過ぎない。
しかし、眼の前にある現物は、神が作ったそのものズバリである。
つまりは、現物は「神の分身」である。( In Kind )
理論、Al は間違えるけれど、現物は嘘をつかない。
故に、代えのきかない実体で、加工されていない生の真実である現物こそが、真の全知者である。
現物即神、現物が、今ここにある神の正体でもある。

真実は、「アナログの現物にこそ」存在している。⚜️



⚜️ アウグスト3世が1742年に購入したドレスデン.グリーン.ダイヤモンド ⚜️


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