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赤い☆ラジカセ☆ダブル☆カセット

この話は時計の針を…わたしの中学一年時分まで巻き戻す。
当時の中学生が欲しがるものといえばラジカセ…ダブルカセット…
わたしの場合、色は赤。
ねだるわたしに父は条件を提示した。
それは、中間、期末試験のいずれかで、英語で満点をとることと、総合成績百位以内に入ること。
えーーー無理無理。むり、だよ絶対無理だーーー
全力で反抗したが、父は厳しかった。
買ってもらいたければやるしかないのだ。
しかしそうはいっても、わたしの世代はベビーブームに産まれた子供だ。
通う中学校もクラス数は十を超え、学年だけで四・五百人はいた。
その中の一人である。一学期の中間こそ百二十 120 位、英語は七十 70 点ほどだったわたしの成績は、期末で一気に二百五十 250 位までランクを落とし、肝心の英語はさっぱり振るわずに、嫌いな教科となっていた。
父としてはこのまま下降線をたどらせまいと、わたしの鼻先にニンジンならぬラジカセをぶらさげた訳なのだが、当時のわたしに親心がわかるはずもなかった。
父は時折、自ら私に指導した。
ぼやっとするな!とゲンコツを食らわせる熱血指導に、心がクサクサした、あの時の感情を鮮明に覚えている。
ラジカセを買ってもらえぬままに二学期も過ぎたが、熱血指導の甲斐もあり
三学期を迎えるころには、少しだけ成績が上向き始めた。
この少しの成果が、わたしのやる気スイッチになったのは言うまでもない。
それからやる気スイッチはもう一つ…自分の部屋で音楽が聴きたい。その気持ちがわたしを机に向かわせていた。
放課後にはクラスメイトの部屋にたむろし、オフコースの”さよなら”を聞きながら泣き合う会が毎日のように行われていた。みんなのように、わたしだって、好きな時にオフコースを聞きたかった。
わたしはせっせと単語を覚えた。熟語を覚えた。文法も…おまけに総合順位を上げるには他の教科だって…眠い目をこすりつつ机に向かった。

そして迎えた正念場…父に与えられた猶予期間の最後の機会…三学期の期末試験で、わたしは答案の空白をすべて埋めた。
神様お願いします…こころの底から天に祈って、答案用紙を机上に伏せた。
ラジカセの命運が決まるまでは、試験が終わった開放感もなく、ただソワソワしていたように思う。
それから数日後の答案返却日に先生は、このクラスに一人だけ満点がいると言った。
その言葉に教室はザワめき、だれだだれだだれだ……みんなが口々に、クラスの秀才の名前や思い思いの名前を言って騒いだが、わたしは貝になっていた。他の名前が出切ったのか、うしろの友人が「もしかしてmomoちゃん?」と聞いてきたが、わたしはぶんぶんと首を横に振って否定した。
なぜ、だろう。
その試験で、満点をとったのはわたしだった。
父に対して真っ向から、絶対に無理、と拒否した英語の満点をついにとった。なのに、周囲には自分じゃないと嘘をついた天邪鬼。
やっとラジカセを買ってもらえる!そんな心の高揚とは裏腹に。

ここで忘れてはならない。ラジカセを買ってもらうための条件は
もう一つあることを。総合順位 百 100 位以内入ること、だ。
しかし結果は無情にも 百一 101 位だったことを、わたしはいまだに忘れない。

その夜、丸だらけの答案を差し出すと、一目見るなり父は言った。
出来ると思っていなければ俺はこんなことは言わなかった、と。
そして…普段は飲まないビールを母に持ってこさせた記憶もある。
順位に関しては…残念だったなぁ!と破顔した。


しかし、それからしばらくのちだった。
父はわたしにダブルカセットのラジカセを与えてくれた。色は赤。
百位以内に入れなくても贈ってくれた、父の想い ねがい に、当時のわたしはやはり思い至れない。手に入れた念願のラジカセでオフコースや稲垣潤一、安全地帯を繰り返し聞き、次第に机に向かわなくなっていく。
クラスメイトに頼まれるとテープ間のダビングを業者のように繰り返し忙しく、楽しく日々は過ぎ、勉強は二の次、以後、英語で満点をとることは一度もないままに学生時代に別れを告げる。


時を戻そう。

つい先日のこと。
この思い出話を書こう、そう想起させる面白いものと出会った。
ラジカセ型のブリキのお菓子缶。しかもダブルカセット、色は赤。
半額シールが貼られていたせいだろうか。
手にとってまっすぐにレジに向かっていた。

中身は粒粒のミントチョコとクランチチョコ。
わたしの思い出の中のラジカセは
これに近い姿だったような気がする。


既に、思い出の赤いダブルカセット本体も
父も亡い。
聞くところによると、
若かりし頃の父は、海外での活躍を夢みた時期が、あるそうだ。
だから…数学や理科ではなくて英語で満点と、言ったのだろうか。
結果として父から孫(当時 小学六年生)への遺言となった言葉も
英語を頑張れ だったことを鑑みるに、そうであったのだろうと思う。
そして
わたしには、子供にはしっかりと教育を受けさせろよと、
これが最期に交わした父娘の会話となった。

父は、娘がじきに離婚をするとは知らずに逝った。
けれど、
おとうさん、
おとうさんの遺言を胸に
たとえ家計が苦しくても、教育費を削る選択だけはしてこなかった。
大学に通わせて やりたいことはやらせて。
おとうさん、それだけは
ほめてくれますか…。

今日は父の日 なんですね。
いまごろようやく自発的に勉強する親不孝な娘です。
みていてください。
たとえ時間がかかっても やってみせます。
だってわたしは、あなたの 娘なんだから。
きっとできる。


#創作大賞2026
#エッセイ部門


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