移ろう季節 われ思う
わたしはある日、ある場所で、ふいに自分が四十二~三歳だった頃に立ち戻り、それが十年以上も昔だという事を…嘘みたいだと思うのだ。
昨日のよう、は言い過ぎかもしれないが、せいぜい二、三年前のような
”四十二歳からの二年間”を、わたしは自宅からほど近い ”この場所”…あらゆる生活品を扱う、年中閉店セール中の安売り店…で、時短パート従業員として過ごしていた。ガラクタばかりの、素敵とは程遠い店である。
当時ここにはわたしの他に、六十歳前後の女性が四人ほど、風景に溶け込むように働いていたのだが。。
彼女らは今ごろ、どうしているのだろうか。。。
そう思うと胸が、チリチリした。
思えばあの頃のあの人達は、現在のわたしの、年頃だったのだ。
あの頃、四十代前半のわたしにとって彼女らは、初老でおしゃべり、
古株ゆえの我こそがルールブックと言わんばかりのご都合主義の怠け者、
ひとことで片づけるなら、老害だった。
新入り を思い通りに動かそうとし、優しくする気もないくせに。
そのくせにその人達は、新入り の爪に押しなべて興味を持った。
わたしはそのころ、パートの傍らネイリスト検定二級の受験準備中でもあったから、試験課題のピンクグラデやフレンチネイル、フラワーアートの
いずれかを自分の爪上に練習のため、常に描いていた。
「ねー、それ、やってよ」
リーダー格の最古参は無遠慮な人だった。
わたしの手をつかみ、しげしげと見つめ、
ただでネイルをしてもらおうと何度も勝手に話を進めた。
やんわりと断わるのだが、言葉通りに受け止めない。
そんな彼女が大嫌いだった。絶対にやってやるものか。
「だったら、五百円はらうわよ、ごひゃくえん!」
幾度となく心の中で唾棄したものだ。
なぜ、この人は、人が努力を重ねて習得した技術を、
同僚というだけで、当たり前にやってもらえると思うのだろう。
技術を冒涜する人にはハンドモデルだって頼まないのに、
好意で塗ってあげるわけがないじゃないよ。憤りしか感じなかった。
なぜなら、わたしにとってネイルは、主婦の手習いの延長上にあるものとは違っていた。資格取得の先におうちサロン開業を、夢見てもいない。
当時の私は手に職をつけようとただ必死だったのだ。
正社員だった会社を寿退社して以降、ほぼ専業主婦で十年を過ごしてしまった代償は、簡単な事務のアルバイトにさえ受からない現実、そして、
こんなダサい店でしか雇ってもらえない現実なのだ。
そして決めた。仕事の方から近づいてくる人になりたいと。つまり、
あなたと一緒に仕事がしたいと言われる人になる為に手に職を求めて学んでいた。そしてその思いは高尚な向上心というよりも、多分に焦燥感を孕んでいたのだ。
わたしの行く手には黒い闇が待ち受け、そこへ放り出されるXデーが近づいていた。方向転換は選べない。
…これから一人親として子供を養っていけるのか、世帯主として住宅ローンを払っていけるか、その前に住まいの名義を自分名義に変更できるのか、
何をどうすれば今更、独り立ちできるのか…
とにもかくにも闇の中へ我が子を連れて進むしか道はない。わたしを選んでくれた、一秒も迷わずに。そのことを後悔する日がないようにしなければ。
しかしやっていけるのか、のうのうと生きてきた わたし、ひとりで、厳しい現実の荒波を超えられるのか。しかし、ゆくしかないのだ、しかし、このままでは、だめ。だめ。だめ。。。
通りすがりの何かがわたしの手に触れて…
”あの頃”から十年以上もたった”今”に立ち戻る。
店内を見渡すと”この店”には、いまや知った顔はひとりもいない。
あれから…わたしはネイリスト検定二級に一発で合格し、
彼女らに先んじて店を辞めた。が、どういうわけか
現在ネイリストとして生計を立ててはいない。
かわりに、週に一日しか休みのない会社で事務員をしながら
我が子を大学に進学させるのが精一杯の、爪の上には色もない生活を送っているが、足りないものはあるようでなく、しあわせ だと思える日々を送れている。
ただこの数年、肩が痛い、腰が痛い、膝が痛いの連続で、整形外科通いが続いているのが悩みだが…あと数年で還暦なのだ。
年相応のありふれた体の悩み、なのだろう。
だからこそ今ならわかる。
怠け者だと思っていた彼女達も、きっとどこかが痛かったのに違いない。
だからきっと。ひとに検品仕事を、押し付けていたのだと。
”ここ”での稼ぎは家計の足しで、自分は洒落こむこともなく、
いち日、ひと月、いち年いく年と多くの季節を費やしたこの場所で、
主 の様にふるまっていたあの頃の彼女達は
まだたったの六十歳周辺の、爪に花を描いて欲しがる女性達だったのだ。
今ならわかる。
自分が優しくなかったと。
あの頃、私の季節が夏の終わりだったなら
あの人達は晩秋へと向かっていた。
きっと爪を色づける、それだけのことが、一瞬だけでも 季節の移ろいを停めただろうに。
そして今、あの頃のあの人達と同じような季節の中に身を置きながら、
わたし自身はできる限り仲秋を長引かせようと踏ん張っている。
移ろう季節にさからうように、まだ、まだ、と思っている。
生きていればいろいろあるよね。
今、心の内で、
今ならわかる、この言葉を、わたしはだれに向かって云ったのだろう。
見知らぬ店員と目が合う前に、踵をかえし、私はこの場を後にした。
振り返りざまに もう一度、思った。
どうしているかな、げんきかな。
移ろう季節
今、この時、 われ、思う。
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