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18.It's alright (nothing special)

“常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。
昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう。
大切なのは、疑問を持ち続けることだ。
学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの…それが教育というものだ。
学べば学ぶほど、自分が何も知らなかったことに気づく。
気づけば気づくほど、また学びたくなる。
何かを学ぶ為には、自分で体験する以上に、良い方法はない。
その上で、想像力は知識よりも重要になる。”

これはAlbert Einsteinさんの御言葉です。


今日は“常識”とか“普通”とは何かについて、少し考えてみたいと思います。

福祉と関係ないって?

いやいや、大いにあります。

この“常識”や“普通”という見方が完成してしまっている社会だからこそ、福祉が必要になってしまいます。

福祉なんて、難しいこと考えないで自然発生的にあれば良いのに…。

例えば、少しおかしな行動や言動をする人がいると、その本人にとっては理に適ったことであっても、よその人にとってはそうではありません。

その対象が65歳以上だと何でもかんでも認知症だと言われたり、それより若ければ“変”な人と見られてしまいます。

福祉業界で働く人たちはそういう人たちを世間一般の言う“普通”とか“常識”の中で生活できるように関わります。

でも、いずれ世の中のパワーバランスが変わっていった時には、ひょっとしたら、今、“変”な行動と見られているものが、“普通”になっているのかもしれません。

“常識”とか“普通”は、時の流れとともに変わっていくものです。

一般的に“変”と言われるのは、褒め言葉ではないことが多いかもしれません。

しかし、“あなたは普通ですね”とか“どこにでもいるような退屈な人”と言われても嬉しくないわけです。

でも、それぐらいがバカにされるわけでもないし、イジメられたりしないで済むポジションになります。

おそらく学校教育が悪いのでしょう。

学校教育は到達するべき学習内容の程度が定まっていて、そこを基準としています。

各学校や学級で平均の値を上げることで優秀度合が決まってくるわけです。

学校のテストでは独創的なことは求められません。

学習内容を忠実に再現する力が求められます。

学校生活そのものも協調性が何よりも大切です。

“みんな同じ”が良いとされます。

どんなことでも、あまり“常識”とか“普通”から外れていない方が良いわけです。

平均点が最高♪

“常識”や“普通”から外れてしまうと叩かれます。

“変”な人は、いじめの対象になりやすくなります。

“普通”じゃないからであり、“普通”じゃないものは変だからです。

ちなみに、能力的に“普通”よりも上をいっていても問題があるようです。

少しぐらいの上下は許されますが、一定の範囲を超えると問題が出てきます。

子どもだけではなく大人も平均から見た比較をします。

それは当然です。

子どもが大人になり、大人になったら子どもを育てる…その循環だからです。

平均、普通、均質、最高♫

そういうところで小ぢんまりと生活していると肩こりそうですが…。

手順に沿った再現なんて、もうそういうのはAIに任せましょう。

逆に人間様よりも能力高過ぎてダメか?

まず、計算速度が人間の処理速度と比べるとヤバいし正確ですからね。

こういう答えのある作業は、すべてAIに任せたら良いと思うのですが…。

これまでの学校教育が求めていた高い平均値で優秀であるかが決まる世界はAIに任せれば良いんです。

それを求め続ける教育だったら、AIのオマケに人間様が付属みたくなってしまうような社会になります。

おそらく、人間はみんな個性を惜しみなく出せる環境だと、みんな、“変”になるのだと思います。

“変”はマイナス面として見られることが多いですが、それは唯我独尊的な最強の武器…個性でもあります。

平均とはかけ離れているから、唯我独尊になれるわけです。

“天上天下唯我独尊”

これは御釈迦様が生まれた時に発したとされる言葉です。

“この世の中で、人は生まれた時から唯一無二の尊い存在である。”という意味です。

誰もが唯一無二の存在です。

考え方も得意なことも苦手なことも、好きなことも嫌いなことも、姿形も……同じ人間はいません。

それでも、日常の中では他人と自分を比べてしまい、自分は劣っているのではないかと悩んでしまうことがあります。

平均より劣っていると感じること……私の場合は学生時代は9割方そうだったので、なかなか大変でしたが、そんな時に大切なのが自己肯定感です。

私の場合は自己否定感に支配されていたので、だから、ひょっとしたらロックバンドをやっている時だけは、うまくいっている気がしたのかもしれません。

その瞬間だけは自己肯定感が芽生えていた気がします。

自己肯定感は、他人と比較することなく、今の自分をそのまま認めて大切に思うことです。

完璧でなくて良いですし、誰かより優れてなくても良い。

弱さがあっても失敗しても、それを含めた自分を受け入れることができることが重要です。

自己覚知です。

自分に価値があると感じることができれば、自然と他人との違いも受け入れられるようになります。

自分を認めることで、他人を尊重することもできるようになります。

そうすることで、他者にも自分にも優しくなれます。

だからこそ、それぞれの個性が大切とされる組織ができるような教育が求められるんじゃないか…と思ったところで本日の御志事は終了です。


“教育とは学校で学んだことを忘れた後にも残るものだ。
大人の常識は、子どもの目には時々、奇妙な迷信に見える。
子どもは大人の言葉より、大人の矛盾をよく覚えている。
悪い習慣は捨てるよりも先に、飼い慣らしたつもりになるから厄介だ。
立派な肩書ほど、中身の確認を怠らせることになる。
人は失敗から多くを学ぶ。
ただし、同じ失敗を好んで繰り返す。
賢者の助言も聞く耳のない人にはただの騒音になる。
教育とは、うぬぼれた無知からみじめな曖昧さへの道である。
人生で必要なものは無知と自信だけ。
これだけで成功は間違いない。
自由とは行き先を自分で選ぶだけではなく、迷う責任も引き受けることだ。
冒険は、計画から少し外れたところから始まる。”

〆はMark Twainさんの御言葉でした。

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