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家でやるべきは「教育」ではなく「育児」だった。荒れる年少の長男と、叩いてしまった僕の反省

毎朝の登園拒否や、保健室登園。


最近の長男の荒れ模様を見ていて、僕はずっと「どうしてこんなに苦しそうなんだろう」と考えていました。

そして、一つの大きな原因に気づきました。
我が家の関わり方が、子どもにとって**「育児」ではなく「教育」になってしまっていた**ということです。

家庭が「逃げ場のない教習所」になっていた
年少(3〜4歳)になり、集団生活が始まった長男。
もともと自分の世界を大切にするタイプで、周囲の状況がよく見えている分、「自分はみんなと同じようにできていない」と傷つき、園にいるだけで膨大なエネルギーを使っています。

そんな長男の姿を見て、親側の不安もピークに達していました。
「集団のルールを守らせなきゃ」
「集中力や社会性を身につけさせなきゃ」

その焦りから、我が家では家庭の中でも学校のような規律やルール遵守を求めるようになっていました。うまくできない長男に対して、妻が強い言葉で責めてしまう場面も増えていきました。

外(園)で必死で戦ってエネルギーを使い果たし、帰ってきた家でも「ルール」や「正しさ」を求められたら……長男にはどこにも安心できる居場所がありません。

家庭が、疲れた心を休める「安全基地」ではなく、四六時中チェックされる「教習所」のようになっていたのです。

僕自身も、焦りから手をあげてしまった
偉そうなことを書いていますが、実は僕自身も人のことを言えません。

長男が何度言ってもルールを守れなかったとき、「なんで分からないんだ」「ちゃんとさせなきゃ」という焦りから、イラっとして思わず叩いてしまったことがあります。

叩いた瞬間、激しい罪悪感と反省が押し寄せてきました。
「ルールを守らせなきゃ」「ちゃんとした子に育てなきゃ」と思えば思うほど、親の心から余裕が消え、子どもに強くあたってしまう。その愚かさと恐ろしさは、僕自身が一番痛感しています。

だからこそ、妻の焦る気持ちも分かるのです。
親が「教育」や「正しさ」にとらわれると、家庭は一瞬で子どもにとって危険な場所になってしまうのだと気づきました。

公園で思い切り汗を流す意味
妻は「もっと家でごっこ遊びやおままごとをして、ルールや集中力を教えるべきだった」と後悔を口にします。

でも、僕はそうは思いません。
僕がこれまで長男と一緒に行ってきた、公園遊びやストライダー。
外で全身のパワーを使い切った日は、長男は本当に満足そうで、とてもいい顔をしていました。
集団の規律を学ぶのは、保育園という社会の場で十分です。(もちろん、最低限のマナーは家庭でも必要ですが)

園で気を張り詰めているからこそ、家でやるべきなのは「教育」ではなく「育児」。

つまり、やりたいことを思い切りやらせてあげて、存在そのものを丸ごと認め、褒めてあげることなのだと確信しました。

完璧じゃなくていい。まずは「心の安全」から
規律を守るのが苦手なら、サポートは必要です。
でも、そこにフォーカスしすぎて子どもの笑顔や安心できる居場所を奪ってしまっては本末転倒です。

子どもが本当に必要としているのは、正しい指導ではなく、「ここは絶対に自分を受け入れてくれる場所だ」という揺らぎない安心感。

親が不安になればなるほど、子どもを言葉や力でコントロールしたくなってしまいます。だからこそ、まずは僕自身がイライラを手放し、長男の最大の味方でいようと思います。
「家ではどんなあなたでも大丈夫」

そう思える安全基地があって初めて、子どもはまた外の世界へと踏み出していけるのだから。

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