FPSはいつから撃ち合うゲームではなく“着せ替え会場”になったのか
オンライン対戦ゲームを起動する。
メニュー画面には、新シーズンの告知。
限定バンドル。
コラボスキン。
光る武器。
よくわからないエフェクト。
あと、たぶん今だけ買える何か。
こちらはただ一戦だけ遊びたいだけなのに、ゲーム側はまるでショッピングモールの入口みたいな顔をしている。
もちろん、嫌いではない。
派手なスキンは楽しい。変なコラボも嫌いじゃない。むしろ「そこ混ぜるんだ」と笑える瞬間もある。戦場に場違いなキャラクターが立っているだけで、SNSではそれなりに盛り上がる。
ただ、たまに思う。
いや、今日は普通に戦場へ行かせてくれないか、と。
この感覚を考えるうえで、『Call of Duty: Modern Warfare 4』はちょっと面白い題材になる。

Activisionは2026年5月28日、『Call of Duty: Modern Warfare 4』を正式発表した。発売日は2026年10月23日。対応プラットフォームはPS5、Xbox Series X|S、PC、Nintendo Switch 2で、PS4とXbox Oneには対応しないとされている。公式サイトでは、マルチプレイについて「地に足のついた、正確な戦闘」といった方向性が示されている。発売初日には12種類の新規6v6マップも用意されるという。
出典:Call of Duty公式ブログ、Call of Duty公式サイト
まだ発売前なので、実際のプレイ感を断定することはできない。
だからこの記事は「Modern Warfare 4は絶対に硬派だ」と言いたいわけではない。
むしろ考えたいのは、その打ち出し方に対して、私たちがなぜ少しホッとしてしまうのか、ということだ。
派手なスキンは楽しい。でも、ずっと楽しいわけではない
近年のオンラインゲームでは、スキンやコラボはほとんど当たり前になった。
キャラクターの見た目を変える。武器を光らせる。期間限定の衣装を出す。別作品とコラボする。
それ自体は悪いことではない。むしろ、長く遊ばれるゲームにとってはかなり重要な仕組みだ。
同じマップ、同じルール、同じ武器だけでは、どうしても飽きが来る。
新しいスキンは、ゲームに季節感を足す。コラボは話題を生む。プレイヤーは自分らしさを出せる。運営は収益を得られる。だいたい全員に得がある。
問題は、その「得」が積み重なりすぎると、ゲームの世界が少しずつ売り場に見えてくることだ。
戦場にいるはずなのに、視界の端には限定商品の気配がある。
任務へ向かうはずなのに、まずショップ更新を確認している。
銃声よりも先に、「今買わないと逃すかも」という声が聞こえてくる。
かなり現代的な戦場である。
敵より先に、販売ページが待ち伏せしている。
世界観を壊すな、でもネタは欲しい
ここで面白いのは、プレイヤー側も別に一枚岩ではないことだ。
我々はよく「世界観を大事にしてほしい」と言う。
その一方で、面白いコラボが来ると普通に反応する。
限定スキンが出れば見る。安ければ迷う。強そうならなおさら迷う。友達が買っていたら、ちょっと欲しくなる。
つまり、私たちは世界観を守りたいのに、世界観を壊すネタにも弱い。
これはかなり都合がいい。
でも人間とは、だいたい都合がいい生き物である。
真面目な戦場が好き。
でも、たまにはふざけたい。
没入したい。
でも、SNSで話題になるものも欲しい。
リアルな兵士として動きたい。
でも、他人と違う見た目で目立ちたい。
この矛盾こそ、ライブサービス時代のプレイヤーらしさだと思う。
昔のゲームなら、世界観はだいたい作品側が用意するものだった。
プレイヤーはそこに入っていく。
しかし今のオンラインゲームでは、世界観は運営とプレイヤーとコラボ先とシーズンイベントが、毎月少しずつ上書きしていくものになっている。
結果として、戦場は戦場でありながら、同時に展示会場になり、広告枠になり、自己表現の舞台にもなる。
そりゃあ疲れる。
“地に足がついている”ことが、ぜいたくになっている
『Modern Warfare 4』の公式サイトで示されている「grounded, precise combat」という言葉は、直訳すれば「地に足のついた、正確な戦闘」に近い。

この表現が少し目を引くのは、今のゲームにおいて「地に足がついている」こと自体が、ひとつの売り文句になっているからだ。
普通に考えれば、ミリタリーFPSが地に足のついた戦闘をするのは自然なことだ。
だが、現代のオンラインゲームでは、その自然さが意外と貴重になっている。
メニューはイベントだらけ。
報酬は階段のように積まれている。
バトルパスは終わりを待ってくれない。
ショップには新商品。
SNSには「今シーズンこれだけは取れ」という情報。
ゲームの中に入る前から、ゲームの外側にある都合がこちらを囲んでくる。
だからこそ、ただ普通に、泥臭く、銃を持って、マップを歩き、撃ち合う。
その当たり前の体験が、少しぜいたくに見えてくる。

高級料理ではない。
むしろ白米と味噌汁みたいなものだ。
ただ、毎日スナック菓子とエナジードリンクみたいな情報量を浴びていると、急に白米がありがたくなる。
ゲーム世界に“広告の匂い”が混ざる瞬間
ライブサービスゲームが難しいのは、ゲームを続けるために売らなければならないことだ。
開発も運営も無料ではない。サーバーも人件費もかかる。
だからスキンやバトルパスを売るのは自然だし、プレイヤーもそこを完全に否定するべきではない。
ただ、売り方が前に出すぎると、プレイヤーは少し冷める。
たとえば映画を観ている最中に、登場人物が急にカメラ目線で新商品の説明を始めたら困る。
作品の中に広告があること自体より、「今、広告を見せられている」と気づいてしまう瞬間がつらい。
ゲームでも同じだ。
スキンがあるのはいい。
ショップがあるのもわかる。
でも戦場に入った瞬間、世界観よりも商売の気配が勝ってしまうと、プレイヤーは急に現実へ戻される。
「ここは戦場です」と言われていたのに、気づいたら「こちら本日限定です」と言われている。
敵兵に撃たれるより先に、現実に撃たれている。
真面目な戦場を求めるのは、硬派ぶりたいからだけではない
では、なぜ私たちは“真面目な戦場”を求めるのか。
単に硬派ぶりたいからではないと思う。
「昔のCoDはよかった」と言いたいだけでもない。
たぶん私たちは、たまには自分が消費者であることを忘れたいのだ。

ゲームを遊んでいる時間くらい、客ではなく兵士でいたい。
ショップの前にいる人ではなく、マップの中にいる人でいたい。
限定品を逃さない人ではなく、次の角を警戒する人でいたい。
これは、けっこう切実な欲望だと思う。
現実では、どこへ行っても何かを勧められる。
動画配信サービスではおすすめが並ぶ。
SNSでは広告が流れる。
通販サイトでは「あなたへのおすすめ」が待っている。
ニュースアプリも、音楽アプリも、ゲームストアも、常にこちらの好みを先回りしてくる。
便利ではある。
でも、ずっと客扱いされていると疲れる。
ゲームの中でまで、常に「買うか、逃すか、選ぶか、比較するか」を迫られると、我々は少しだけ逃げ場を失う。
だから、泥臭い戦場が恋しくなる。
そこでは、少なくとも一瞬だけ、買い物客ではなくプレイヤーになれるからだ。
ただし、泥臭さもまた商品になる
もちろん、ここには皮肉もある。
「地に足のついた戦闘」や「リアル回帰」もまた、結局は売り文句である。
泥臭さも、硬派さも、世界観重視も、商品として提示される。
我々は「商売の匂いがしないものが欲しい」と思いながら、商売の言葉として届けられた“商売の匂いがしない感じ”に惹かれている。
なかなか逃げ場がない。
でも、それは別に悪いことではない。
ゲームは商品であり、作品であり、サービスであり、遊び場でもある。
その全部が混ざっているから、現代のゲームは面倒で、同時に面白い。
『Modern Warfare 4』が本当にどこまで“地に足のついた戦場”を見せてくれるのかは、発売後に触ってみないとわからない。
今の段階で言えるのは、少なくともその方向性が語られるだけで、我々の中にある疲れが少し見えてくるということだ。
派手なスキンは楽しい。
コラボも楽しい。
限定品も、まあ気になる。
それでもたまに、ただ普通の装備で、普通の銃を持って、普通に撃ち合いたくなる。
その「普通」が、今は少し特別になっている。
戦場に行きたいのではない。
売り場ではない場所へ行きたいのかもしれない。

『Call of Duty: Modern Warfare 4』が本当に取り戻そうとしているものがあるとすれば、それはリアルな銃声や硬派な雰囲気だけではない。
ゲームを起動した瞬間、我々がもう一度「客」ではなく「プレイヤー」になれる時間。
もしそれが少しでも戻ってくるなら、泥臭い戦場というのは、思ったよりぜいたくな遊び場なのだと思う。
