♯043【運命のバトンと未完のバトン】どちらを選ぶ?選ばないという選択肢もあるとおもう
夜の名残を抱いた空に十三夜の月が、優しく微笑んでいる。もうしばらくすると東の空は、ほんのりと薄紅(うすくれない)に染まりはじめる。空気は、どこか柔らかい。冬なのか秋なのか。今日は若い人たちと人気のビュッフェ・バイキングに行く。太らないようにするには、出かける前に早起きして、緩急つけたジョギング・ウォーキングをして、内臓の代謝を高めておかないと、食べ物は分解できずに太ってしまう。毎回のジョギング・ウォーキングは、明日の太らない自分へのバトンタッチ(継承、引き継ぎ)だ。手を抜かない緊張感を維持できれば、” 健康 ”という” 成功のバトン ”を握り続けることができる。
そんな緊張感のなか東の空は、ほんのりと染まりはじめた。本日の減量成功後の「距離は10km程度、1km10分のペース」の周回コース(※1)は、Bコースである。古典的なアーケードゲームのパックマンのように公園から公園へ、公園内の水道蛇口をひねり水を一口飲み、そして公園の中を通り抜けていく。この時期の公園の花壇には、初冬の花であるスイセンと冬咲き椿、そしてパンジー・ビオラも咲く。朝日が斜めに差し込む花壇の中央には、白磁のように透き通るスイセンの花が凛とした姿で並び立ち、輝いている。視線を左に移すと、冬咲き椿は薄桃色の花をゆっくりと開いている。艶やかな葉の間から覗く花びらは、ひとひらごとにあたたかな温もりを宿して伝わってくるようである。
※1)♯019【梅雨のはざまに】速足ウォーキングをする。今朝の紫陽花(あじさい)の色は鮮やかに深く濃い
造園スキルのノウハウが行き届いた花壇は、芸術的で個性がある。そんな花壇が多いなか、いくつかの公園は土の呼吸だけが残るさみしい姿を見かける。パンジー・ビオラすら植栽されておらず、殺伐としている。そうそう、近所のおしゃべりオババが言っていた” 管理のヒトの差 ”ということか。” 公園を一周して見回るだけのヒト ”、” 水だけ撒いて帰ってしまうだけのヒト ”、” 剪定できるヒト ”、” 剪定と草花の入れ替えができるヒト “の4種類がいるらしい。
「ねぇ、知ってた?担当者の交代で急に殺伐とした公園になったら、あたしがクレーム入れに行っているの、すごいでしょ、ねぇ、あんた、世も末よねぇ。」と、ドリフ大爆笑” 芸者コント ”の柄本 明さんのようなしゃべり方をする。ホントかコントか、わからなくなるくらいだ。そういえば、ボロアパートの近隣の公園が殺伐となった時期があり、ある日から造園スキルのノウハウが行き届き始めたと感じたことがあった。このオババが動いていたのか。「このオババ、けっこうな観察眼と行動力がある。おバカ扱いせずキチっと向き合おう。敵に回したら後ろから撃たれるぞ。」と心の中でおもう。
公共サービスとはいえ、担当者が変わるだけで「殺伐」か「華やか」の両極端は困る。造園スキルが行き届いた公園であってほしい。ほとほどのスキル平準点で収まらないものか。スキルの平準化は会社組織や自治体組織の永遠のテーマであるから書くことは避けるが、せめて最低限スキルのバトンはつないでほしいとおもう。陸上のリレー競技のようにバトンを託された人は、期待された機能と能力を出し切って、次につなぐ。陸上リレーは、スペックのある同志がバトンタッチしているから、理想的な美しい映像となる。では、一般社会である町内会の寄り合いや、会社組織だとどうか。
とても公平とは言い切れず一部の恣意的な「?」な力を感じることも少なくない。自分が見てきた劇場は、特定の会長モドキか部長モドキが仕切って「おまえは、副会長をやれ。おまえは、班長だ。」とか「おまえは、次長をやれ。おまえは、課長だ。」みたいな感じ。怪しげな人事モドキを感じ取ったカンの良いヒトたちは、おバカのふりして「はい、はい、一任します」とそそくさ逃げていく。
首領とみられるボスは、「あいつらは、根性と気合が入っていないからダメな奴らだ。みんな、そう、おもうだろう、ガハハ~」「はい、そのとおりです、ワッハッハ」と会話する。自分が小学生だったころ、帰宅した午後4時過ぎに観た、地方テレビ局の垂れ流し放映の粗悪なB級映画のワンシーンそっくりである。正しいバトンタッチができないヒトたちは避けるべきではないかと今でもおもう。お互いの背景、機能、能力を確認し合わず、根性と気合とアンコンシャス・バイアスにまみれた状態で繫栄した国家や会社組織なぞ無いに等しいとおもう。いつかは滅亡するはず。
ただしいバトンタッチをできないヒトの方にフォーカスし過ぎたので、自分がおもうバトンの種類について書いてみたい。バトンには三つあるようにおもう。それは、運命のバトンと未完のバトン、成功のバトンだ。
・運命のバトン:運命の分かれ道を託されたバトンであって、崩壊か解散か。” 失敗への行進 ”である。
・未完のバトン:私利私欲は少なくして期待された機能と能力を注入すれば、成功のバトンに変化する。
・成功のバトン:成功したバトンを株分けして、未完のバトンを創るタネである。無限〇〇のモトである。
だれしも” 成功のバトン ”が欲しいとおもうはずである。草木や花の株分けが難しいように、見識・経験・観察眼、機能と能力が必要なはずなので、そういうレベルに達した人が持つべきバトンではないか。中年期を過ぎ、所属させていただいている会社組織の崖っぷちにいて、経験どころか学ぶ機会すらなかった自分は持ってはいけないとおもっている。自分が握ったらバトンはアッという間にボロボロに腐り落ちてしまうはずだ。言うまでもなく、持ってはいけないヒトが握り続けていた” 成功のバトン ”は、邪念が染み込み、じわじわと” 運命のバトン ”に変化していく。
” 運命のバトン ”、これは一番困る。今までは” 成功のバトン ”だったから、少し磨けば何とかなりそうと受け取る人が多いような気がする。このバトンは、傾きかけの会社とか後継者不在の組織とかのイメージだ。時代の変化を感じ取らず、変化に追従できなかったから破滅か縮小か解散のレッドカードを突き付けられているのに、受け取る人はどうするつもりなのだろう。昨日の成功は明日の崩壊のきっかけになるかもしれない時代になっているのに、自分の成功事例をあてがうつもりか。一瞬でも、役員や部長などの肩書が欲しいのか。ハローワークや転職紹介会社に行けば、最後の役職は過去の遺物として取り扱われる可能性が高いのに知らないのだろうか。遠い昔々にハローワークで聴こえてきた、山〇證券の部長さんらしきヒトと職員さんの会話を思い出す。
「ボクは、ブチョーだったから、ブチョーの仕事を紹介してくれ」
「ここは、職安ですよ。イチから自分の能力を見直す場所、人生の出直しの場所です」
いやだ、カッコ悪すぎる。
欲しいバトンは、” 未完のバトン ”だ。♯042【遠い親族の子に教わる】にて書いたように、相手が若い人たちであってもきちんと考えている話はしっかりと聞いて、” 成功のバトン ”を株分けしてもらう努力や人付き合いは大事だ。他力本願はダメだとおもうので、自分の生き方しだいで見つかりそうだし自分の努力しだい伴走してくれる人が見つかって何とかなりそうな予感がする。
“未完のバトンか? ”、” 運命のバトンか? ”。さぁ、どちらを選ぶか?
「 選ばない 」という選択肢も「 有り 」かもしれない
