【鎧を脱ぐ日々】番外編:難病という「ギフト」〜抗MDA5抗体陽性という「神判」の日から〜
第1部(全8話)の物語を最後まで温かく見守ってくださった皆様、本当にありがとうございます。
皆様の存在が、初めてのnote投稿に苦戦する僕にとってどれほど大きな支えになったか、言葉では言い尽くせません。
これまでの航海の記録は下のマガジンにまとめています。まだお読みでない方も、もう一度振り返ってくださる方も、ぜひそちらからご覧ください。
今回は番外編として、僕が今直面している「現実」——指定難病である「皮膚筋炎」との出逢いと、これまでの経緯について少し詳しくお話しします。
なぜ僕が、これほどまでに「甘えること」や「光」について語るようになったのか。その根源にある、激しい数ヶ月の記録です。
1. 現在地:不眠の凪の中で
入院から、早いもので3週間が経過しました。
最新の検査結果でも、数値はまだ期待通りには下がりきっていません。
そのため、入院当初から行っている「高容量ステロイド治療」は当面継続することになりました。
この治療の影響もあり、ひどい不眠が続いています。平均睡眠時間は、一晩にわずか2〜3時間。
さすがにここ数日は、意識が遠のくようなフラフラとした感覚があります。

けれど、その朦朧とした意識の隙間に、不思議と研ぎ澄まされた感覚が湧き上がってくるのです。
2.「神判」の日:抗MDA5抗体との出逢い
僕が罹患しているのは、膠原病の一種で指定難病の「皮膚筋炎」です。
さらに詳しく言えば、皮膚の症状が中心で筋肉の炎症が少ない「無筋炎性皮膚筋炎」、その中でも最も予後が厳しいとされる「抗MDA5抗体陽性」というタイプでした。
この病気が恐ろしいのは、急速に肺が硬くなる「急速進行性間質性肺炎」を高い確率で合併することです。
かつて、あの素晴らしい歌声で日本中を魅了した八代亜紀さんが、発症からわずか3ヶ月で旅立たれたのと全く同じ病名でした。

2026年2月、主治医から告げられた瞬間、頭の中は真っ白になりました。
「抗MDA5抗体が陽性です。肺炎も始まっています。大至急入院してください」
動揺を抑えながら妻に送ったLINEは、「大丈夫、詳しいことがわかればまた連絡する」という、精一杯の虚勢でした。

3. 7年前から始まっていた伏線
今振り返れば、この病は7年以上前から、静かに、けれど確実に僕の身体に忍び寄っていました。

始まりは、顔面の皮疹でした。近所の皮膚科では「脂漏性皮膚炎」または「アトピー」との診断を受け、塗り薬で様子を見ていました。
そんな中でも、毎週末は少年サッカーのコーチとして、炎天下のグラウンドに立ち続けていました。
ここ数年は日焼け対策を徹底していましたが、それでも夕方には顔が真っ赤に腫れ上がることも多々ありました。
2025年の夏には、愛用のロードバイクで帰宅した際、ヘルメットの穴から差し込んだ陽光によって頭皮まで真っ赤に焼き尽くされてしまいました。

さらにその年の秋からは、右太ももに激しい痛みが走るようになりました。
階段の上り下りすらままならない。「自転車の乗りすぎかな?」「歳のせいかな?」。

当時は顔面の皮膚症状と関連があるとは夢にも思いませんでした。
皮膚科の主治医にも相談しなかったその痛みこそが、全身へと広がる自己免疫の暴走、つまり病からの警告だったのです。
2025年の暮れ、僕の体は悲鳴を上げていました。
顔、頭、指の皮疹。関節痛、動悸、倦怠感、食欲不振、口内炎、下痢、そして急激な体重減少。
「さすがに皮膚科の範囲を超えてきているようです」
年明けにリウマチ・膠原病内科を受診した頃には、職場へ通うのも、サッカーの試合に行くのも、まさに死に物狂いの状態でした。

4. 降参、そして受け取ったギフト
「入院期間は、短くても2ヶ月は覚悟してください」
医師の言葉を衝撃とともに受け止めた後、何とか冷静を取り戻す時間を取り、一日置いてから職場の上司に状況を報告しました。
その次の日も大事な会議が入っており、さらに週明けには重要な出張が控えていました。
「どうすれば良いですか?」「誰に引き継いでもらうのがベストでしょうかね?」
そんな僕に、上司は迷わずこう言ってくれました。
「今は自分を最優先に。残りのことは何とかするから」
職場で初めて、涙が溢れそうになりました。同僚や後輩たちも、「不在の穴は任せてください」と、頼もしい笑顔で送り出してくれました。

僕がこれまで「自分がいないと回らない」と握りしめていた責任の鎧を、彼らは最高の形で受け取ってくれたのです。彼らの成長こそが、僕にとっての救いでした。
こうして始まった入院生活は、僕にとって人生最大の「ギフト」となりました。
難病という、夢にも思わなかった過酷な現実。
それを受け入れるには、少しの時間が必要でしたが、家族、上司、同僚、後輩、仲間の声に支えられ、何より病院スタッフの方々の献身的な働きを目の当たりにする中で、僕の心は少しずつ変わっていきました。
生かされていることへの感謝。 そして、自分を超えた「大いなる意志」とのつながり。 そこにただ、ひれ伏し、降参すること。

退院の日はまだ見えていません。
退院してからも、病気や薬とは一生、長い付き合いになるでしょう。
自分が「難病患者」であることを忘れずに過ごす日々が待っています。
けれど、今の僕に不安はありません。
ケセラセラ。
神さま、僕にこれほどまでに多くの「大切なこと」を気づかせてくれて、本当にありがとうございます。
これからも、できることを、できる範囲で、全力で楽しんでいきたいと、今は心からそう思います。
その決意と共に、僕の新しい日々は続いていきます。

さて、この第1部で僕が得た数々の気づき。
それを頭の中の整理だけで終わらせるつもりはありません。
明日からは、この病室という特殊な環境下で検証し、僕の心と体を救ってくれた「生活の最適化(ライフハック)」についてお届けします。
📖 第1部をまだお読みでない方、
もう一度この航海を辿り直したい方は、
ぜひこちらのマガジンからどうぞ。
特にこんな方は、第1部から読むことをおすすめします。
✅ 頑張りすぎて疲れてしまった
✅ 「自分の役割」に押しつぶされそう
✅ 大切な人に「弱さ」を見せられない
✅ 「自分らしく生きる」ってどういうことか知りたい
📖退院後の日々を綴った第2部はこちらから。
気が向いたときにふらりと、この窓辺を訪ねるような気持ちで立ち寄っていただけたら、これほど嬉しいことはありません。
明日もまた、ここでお会いしましょう。
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